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2019.12.01 12:23
私(住職)が、学生時代にお世話になった先生が、八十歳後半に入りに、年を重ねることについて、
年を重ね、死期を意識するようになると、体力・精神力も衰え、以前より出 来ることも少なくなり、「生きる目標」や「人生の目的」といったものが見えにくくなってくる。そのような私に、親鸞聖人は、「信心によって、むなしさにとどまらない」という言葉が心に響いてきます。
とおっしゃっていたことを思い出されます。親鸞聖人が晩年、八十五歳の時に作られた『一念多念文意(イチネンタネンモンイ)』という書物にて、
信心あらんひと むなしく生死に とどまることなし
【試訳】お念仏の教え聞くことによって得た、新たに気づきや発見(信心)は、生きる迷い(生死)にむなしくなることなく、最後まで充実した歩みを得ることができる。
という言葉があります。親鸞聖人が晩年に綴られた書物ということを思うと、年老いることについて、先生と同様な思いを抱いていたのだろうかと想起されます。
ここで言う「信心」という言葉を、私は、“仏のはたらきが私に届いていることに気づく”という意味で、言い換えれば、今を生きる私が、様々なものに支えられて生きていることに気づいていくという意味として受け取っています。
そして、そのことが、空しく過ぎる生活から脱却する道であると、語られるのです。
本年も残り少しとなり、テレビや新聞でも、今年一年の出来事を振り返る特集が組まれ、いやおうもなく、それぞれ、一年の生活がどうだったかを考えさせられる時期になってきました。
いろいろな事が頭をよぎりますが、その中でも、この一年を今の今まで過ごしてくるにあたって、私自身を支えてきた様々なはたらきに感謝することが、つらかった出来事も、悲しかった出来事も、そのことをただ単に“嫌な思い出”としてとらえるのではなく、意味あるものとして受け止めていくことがお念仏の教えの道なのだと思います。