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経営者の条件

2019.12.03 09:18

  P.F.ドラッカー氏の「The Effective Executive」(1966年)の日本語訳です。このブログで紹介した書籍の順番でいうと、「現代の経営」(上・下)の後ということになります。(「まえがき」に述べられていますが)ドラッカーは、「経営管理者は、成果をあげなければならず、その成果を出すためには自らをマネジメントする必要がある。」としていて、本書はその自らをマネジメントする方法が書かれています。

  彼はさらに、「一応の成果をあげるためでさえ、理解力があり、懸命に働き、知識があるだけでは十分ではない。(中略)成果をあげている者はみな、成果をあげる力を努力して身につけている。そして、彼らのすべてが、日常の実践によって成果をあげることを習慣にしてしまっている。しかも、成果をあげるよう努める者は、みながみな成果をあげられるようになっている。成果をあげることは習得できる。そして習得しなければならない。」としています。そして、それがマネジメントなのです。

  まず、一般的にリーダーの特質としてカリスマ性とか、強烈な個性のリーダーシップを考えがちですが、ドラッカーは「私がこれまでの65年間コンサルタントとして、出会ったであったCEO(最高責任者)のほとんどは、いわゆるリーダータイプでない人だった。性格、姿勢、価値観、強み、弱みのすべてが千差万別だった。外交的な人から内向的な人、頭の柔らかな人から硬い人、大まかな人から細かい人までいろいろだった。」(P2)と述べています。しかしながら、次の八つのことを習慣化している、ということでは共通していた、と言います。(1)なされるべきことを考える。(2)組織のことを考える。(3)アクションプランをつくる。(4)意志決定を行う。(5)コミュニケーションを行う。(6)機会に焦点を合わせる。(7)会議の生産性をあげる。(8)「私は」ではなく「われわれは」で(ものごとを)考える。

  そして、第一章「成果をあげる能力は習得できる」において、彼は、戦後先進国社会における「知識労働者」の台頭を最近の資本主義社会の特色として強調しています。彼が言う「知識労働者」とは、コンピュータや他の先進的技術を縦横無尽に操るような一部の技術者(だけ)ではなく、例えば、病院においては昔は存在しなかった「X線技師、検査技師、理学療法士、栄養士、セラピスト、ソーシャル・ワーカーなど医療サービスの専門家」のことを指すのです。そして彼は、「組織のマネジメントにおいて成果をあげるには、この知識労働者が生み出す『知識、アイデア、情報』(これら自体は独立して組織の成果となるようなものは生み出しません。)を組織のための行動と姿勢に反映させ、その成果をほかの人間に供給することが必要になる。」と論じています。しかも、ドラッカーはこの「知識労働者は、アメリカ、ヨーロッパ、日本など高度の先進社会が、国際競争力を獲得し、維持するための唯一の生産要素である。(中略)そして、知識労働者の生産性とは、なすべきことをなす能力のことである。成果をあげることである。」(P22)と言っています。(ドラッカーの本を読んでいて一つ特色なのは、この「知識労働者」という概念です。例えば、今、ごくふつうの会社にある「経理」「システム」「総務・人事」「営業」なんかの部署でも考えてみれば確かに「専門化」されているし、ドラッカーの言う『知識労働者』という存在は、今となっては当たり前すぎるせいか)ピンときませんが、ドラッカーが経営論を論じていた1950-1970年代という時代は、それまで肉体労働専門だった労働者の仕事が、急速な科学技術の進歩を背景に高度していった時代と言えるのかもしれません。)

  そして、「成果をあげるために身につけておくべき習慣的な能力として次の五つを挙げています。(1)何に自分の時間がとられているかを知ること。(2)仕事ではなく成果に精力を向けること、「期待されている成果は何か」からスタートすることである。(3)強みを基盤にすること。自らの強み、上司、同僚、部下の強みの上に築くことである。(弱みを基盤にしてはならない。すなわちできないことからスタートしてはならない。)(4)優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中することである。最初に行うべきことを行うことである。(5)成果をあげるよう意思決定を行うことである。決定とは、つまるところ手順の問題である。そして、成果をあげる決定は、合意ではなく異なる見解に基づいて行わなければならない。必要なものは、ごくわずかの基本的な意思決定である。あれこれの戦術ではなく一つの正しい戦略である。」(以上P43,44)そして、これら五つの成果をあげるための必須の条件の説明を以降の第二章~第七章で解説しています。

  ドラッカー、というと経営哲学者みたいなイメージがあり、言葉の説明でも、凝った表現がいろいろなところでみられるのですが、文章を咀嚼して考えると、もっともなことを言っていたりとか、いろいろなところで端的に本質を表現するような言葉があったりで、実はドラッカー氏の著書の魅力の一つはこのような、味のある文章の表現力にあると感じます。(厳密には、オリジナルの英語を訳しいた翻訳者の功績も大なのですが。)

  (翻訳者と言えば)本書の「訳者あとがき」において上田 惇生さんが次のように話しています。「本書は、普通の働く人たちのための本である。経営者のためだけの本ではない。現にこの本の中で、上司に命じられたこと以上の仕事をする人はすべてエグゼクティブであるといっている。(中略)とにかく何ページかでもよい。読んでいただきたい。面白いはずである。即日役に立つだけでなく、思い当たることばかりである。そして何より興奮させられるはずである。当然のことながら、古典とは面白いものである。ドラッカーは本書において、仕事ができるようになろうとする者は必ずできるようになる。成果をあげることは身につけられるし、身につけばければならない。」(P230)

  うーん。ドラッカーさんといえば一般には「経営コンサルタントの巨匠」とか、「経営哲学者」といった感じで評価されていると思いますが、(本書に限らず彼の本は)「経営の指南書」というよりもっと深く味わいのある「哲学者が論じた会社についての組織論、教養書」という印象を持ちました。実際、ドラッカーさんは実にいろいろな分野に精通していて、例えば「すでに起こった未来」(論文集、1994年)なんかを読むと、経済学者のシュンペーターとケインズの比較論を論じていたり、デンマークの哲学者、キルケゴールについて語っていたり、また、日本美術をよく研究されていることがわかったり(それも、的確に考察している)。正に「経営学」という範疇をはるかに超えていろいろな分野にまたがって研究を続けられた「知の巨人」という感じがします。

(*)下は「すでに起こった未来」(The Ecological Vision、1994年)です。ドラッカー氏の本のなかで、「事業のヒントの一つになり得るのは、今においてすでに起こった未来をみつけることである。」(つまり、時流を読んですでに起こっている流行やそれを先取りしている事業形態、ビジネスを探すことで新しい商売のヒントとする。)という一節があって、そのアイデアを発展させたのが本書だと勝手に思い込み読んだのですが、概念的な論文集でした。