イースターバニーと三兄弟
タタタタ、と小気味いいミシンの音が部屋に響くのを聞きながら、アルバートは手元の布を送り返す。
縫い間違いのないよう慎重に針を進め、それを何度か繰り返してようやく目当てのものが完成した。
縫い終わった布を目の前にかざして、ほつれや違和感がないかどうか念入りに確認する。
柔らかい上質な布で縫ったパーカーは我ながら上出来だ、とアルバートは一人ほくそ笑んだ。
服の色はブラックとホワイトリリーの二色。
フードにつけた細長い布部分と胸元と腰につけた丸い飾り部分がふわりと揺れたそれは、何とも愛らしいうさぎのパーカーである。
「ウィル、ルイス。例の物が完成したよ」
「そうですか。お疲れ様です、兄さん」
「ありがとうございます」
「サイズを確認したいから、今着替えてきてくれないか?服は衣装部屋に用意してある」
「分かりました。行こう、ルイス」
「はい」
珍しく兄弟三人とモラン、フレッドの全員が揃っている夕食後。
アルバートは食後酒を嗜みながら、二人の弟に声をかけた。
常に余裕のある微笑みを浮かべている次男のウィリアムと、涼やかな目元に知性と憂いを帯びている末弟のルイスだ。
現実に血の繋がりはないが、それでもアルバートはこの二人のことを実の弟以上に愛しく思っているし、事実とても溺愛している。
それはウィリアムとルイスの二人も同様で、両親に愛されたことのない二人にとって、アルバートが自ら手を込めて作ってくれたものを受け取ることは、昔からとても喜ばしいことだった。
ウィリアムがアルバートに目配せをしてから、ルイスを連れ立ってともにリビングを出る。
その様子が浮き足立っているように見えて、モランは陽気に口笛を吹いた。
「相変わらず器用だな、アルバート。また手作りか?」
「えぇ。二人のために私がデザインしたものを、そこらの仕立て屋に頼むのはどうかと思いましてね」
「今回はどういった理由なんでしょうか?」
「見れば分かるよ、フレッド」
「何だぁ?勿体付けやがって」
ぐい、とウイスキーを煽ったモランと、アルバートの言葉に納得したフレッドはそれ以上喋ることはなかった。
アルバートは優雅にグラスを傾けて、完璧に着こなしてくるであろう二人の弟を待つ。
「お待たせしました」
静かな空間に凛としたウィリアムの声が響き渡る。
やっとか、と待ちわびていたモランは顔を上げて中に入ってきた二人の姿を見ると、訝しげに眉を歪めた。
それはフレッドも同様だったが、唯一アルバートだけが口元に緩く弧を描いた。
「二人とも、よく似合っている」
「ありがとうございます」
「お忙しいのにわざわざ作っていただいて嬉しいです」
「いや良いんだ。二人の可愛い姿を見れて私も嬉しいよ」
「もういい年をした弟に可愛いはどうかと思いますよ、アルバート兄様」
「おや、弟はいくつ年を取ろうが可愛いものだろう?ウィルならこの気持ち、分かるはずだな?」
「えぇ、それはもう。弟というだけで別格ですから」
「そう、いうものでしょうか」
「そういうものだよ、ルイス。よく似合ってる」
「ウィルも似合っているよ」
二人は戸惑うことなくアルバートの近くに行き、穏やかに微笑みながら三人で言葉を交わす。
細長いうさぎの耳がついたフードを浅く被り、歩くたびにゆらりと耳が動くのは目に面白かった。
なるほど、瞳が赤いこの兄弟ならばうさぎを模した衣服が似合うのも納得だ。
ましてや二人とも十分に見目麗しく、線も細い。
成人男性という違和感よりも先に、「似合っている」と感じるのもあながち間違ってはいないのかもしれない。
フレッドはそんなことを考えながら、でもどうしてうさぎなんだろう、とぼんやり思考を働かせた。
「もうすぐイースターだからな。二人には孤児院やスラムに行って、例年どおり子どもたちに菓子やおもちゃを届けに行ってもらおうと思っていてね」
「なるほど」
フレッドの思案顔に気付いたのか、アルバートは簡潔明瞭に答えを授けた。
英国での復活祭は、貴族や貧民の隔たりなく盛大に祝われてしかるべき行事である。
この日ばかりは世間体を考えた貴族たちにより、恵まれない子どもたちにはこぞって施しの手が差し伸べられる。
アルバートを長子としたモリアーティ家でも例外はなく、むしろイースターという日にかこつけて最大限の支援をするのが通年の仕来りになっていた。
去年まではともに生活することがなかったため、フレッドとモランはイースターにおけるこの屋敷の慣習を今初めて知ったのだ。
「にしてもよぉ、うさぎの服って女子どもが着るもんじゃねーのか?」
「それは思い込みですよ、モラン大佐。うさぎが菓子を配るのはイースターの伝統ですし、近年では他の貴族たちもこぞってうさぎの格好をしています。似合ってはいませんがね」
「そりゃおまえ、偉そうに髭生やして肥え腐った貴族様がこんな格好してたら気持ち悪いだけだろ」
「でしょう。ですが、その点ウィルとルイスは若く美しい。よく似合っているでしょう?」
「中身知ってると違和感しかねーんだけど」
「ごちゃごちゃうるさいですね、大佐。安心してください、似合わないでしょうがあなたの分も用意してあげますよ」
「いらねーよ!」
「…はぁ」
仲が良いのか悪いのか知らないが、相変わらずのやりとりにフレッドが小さくため息をつく。
その様子を見たウィリアムは労うように微笑みかけ、次いで隣に立つルイスのフードを手に取った。
「ルイスの色はホワイトリリーかな。よく似合っているね」
「そうでしょうか。兄さんも黒い耳がよくお似合いですよ」
「ありがとう。それにしても兄さんも器用だね、ちゃんと耳に芯まで入って立つようになってるなんて」
「さすがアルバート兄様です」
ウィリアムはルイスのフードを少しだけ前に下げて、耳が頭の真上に来るよう位置を調整する。
赤い瞳がホワイトリリーの生地によく映えていて可愛らしいと思う。
同じようなことをルイスが考えていることには気付かず、ウィリアムはジッパーの部分にかけられていた黒縁の眼鏡を手に取った。
今のルイスは普段身に付けているノンフレームの眼鏡をかけている。
「あぁ、ルイスは肌も白いしアクセントをつける意味で眼鏡も用意したんだ。度も合わせてあるから、かけてみてくれるかな」
「…だってさ、ルイス。僕がかけてもいいかな?」
「お願いします」
モランとのやりとりをすっぱりと止めて、アルバートは弟二人のやりとりに声をかける。
瞳の大きいルイスの目にも違和感なく合うよう、大きめのフレームを選んでおいたのだ。
視力の良いウィリアムには出来ないが、ルイスは眼鏡といった小物で遊ぶことが出来るからコーディネートをする際には俄然やる気が出る。
アルバートは二人の弟の姿を見て、自分の判断は正しかったと納得するように頷いた。
見ればちょうどウィリアムの手によりルイスの眼鏡が外されようとしているところで、ルイスは軽く首を上げて見上げるようにウィリアムを見る。
そしてそっと丁寧に外された眼鏡に向けてアルバートは手を出し、私が持とう、とアイコンタクトをウィリアムに送った。
それに笑みを浮かべて頷きを返し、レンズに指紋が付かないようウィリアムは眼鏡をアルバートに手渡した。
そして黒縁の眼鏡をルイスの耳にかけ、高さを調節してから巻き込まれた髪の毛を優しく払う。
柔らかい金髪が頬を擽り、はにかむようにルイスが笑った。
その笑みにつられたように、ウィリアムとアルバートはより一層笑みを深めてルイスを見る。
「うん、よく似合ってる。さすが兄さんが選んだ眼鏡ですね」
「ありがとうございます、兄様」
「礼には及ばないよ、ルイス。気に入ってもらえて何よりだ」
二人の兄に穏やかに褒められ、ルイスは照れたように視線を落として何となしに髪を耳にかけた。
可愛い末弟の可愛いその仕草にたまらなくなり、アルバートは思わず、と言ったようにその手をフードの上に持っていく。
ふわふわとした手触りの布を撫でるように手を動かすと、手を払いのけはしないがルイスの大きな瞳が上目で訴えかけてきた。
「…兄様?」
「はは、すまない。子ども扱いをしたわけではないよ」
「はぁ…」
その目に気付いてすぐにアルバートは手を下ろし、ウィリアムとよく似た余裕のある笑みを浮かべて視線を逸らす。
どうしたのか、と見るからに気恥ずかしそうにするルイスを見ているのは、より羞恥を助長するだけだろうというアルバートなりの優しさからだ。
兄と弟の子どものようなやりとりを見たウィリアムは、二人の気持ちがよく分かる立場ゆえに珍しく堪えきれないというように笑いを零した。
その頭の上では黒いうさぎの耳が楽しげに揺れている。
「それにしても無駄に凝ってんな、この服。耳はまぁ当然にしても、尻尾までついてんのかよ」
「本当だ。さすがアルバート様ですね」
「どうせやるなら徹底的にやった方がいいだろう」
アルバートはモランとフレッドの言葉に対し、得意気に言葉を返す。
可愛い弟たちのためならば労力は惜しまない。
大きな目的のために生きてはいるが、そこに至るまでの日々を味気ないものにしてはつまらないだろう。
己の目的のためにウィリアムを支えることは勿論だが、彼は自分の弟なのだ。
ルイスも含め、優秀で美しい弟たちを可愛がるのは兄として当然の義務だと、アルバートは考える。
「昔はこんな風に構うことなど出来なかったからな。出来るうちに出来ることはしておきたい」
自分よりもいくらか幼い兄弟を見て、その内に秘めた野望を知れたことはアルバートにとって転機だった。
思うように行動できない世界に絶望していた自分にとって、ただ一つの希望がこの二人だったのだ。
屋敷の人間たちを始末するのと二人の心を開かせるまでに時間はかかったが、それも今はいい思い出だ。
今では自分を慕ってくれる、無二の弟たちになってくれた。
腰についた尻尾に触れようとじゃれている弟たちを見て、アルバートは瞳を閉じて息をつく。
「尻尾もふわふわなんだね」
「そうなんですか?」
「うん、ルイスも僕のを触っていいよ」
「はい。…本当ですね、まるで本物みたいだ」
「兄さんは凝り性だね」
「それが兄様の良いところですから」
尻尾を触って満足したのか、ウィリアムとルイスの二人はフードをかぶったままアルバートを見る。
「兄様、イースターで配るお菓子は僕が作りましょう」
「そうかい?じゃあお願いしよう」
「僕も手伝うよ、ルイス」
「ありがとうございます。フレッドとモランさんもお願いしますね」
「はい、頑張ります」
「ゲッ、俺もかよ」
「見ていないとすぐにサボるんですから、僕の目の届く範囲で皿でも洗ってください」
「ルイスに迷惑をかけないでくださいね、大佐」
「チッ、分かったっつーの」
観念したように大きなため息をつくモランを見て他の皆が笑う。
殺伐とした日常の中で限りなく穏やかな時間が過ぎていき、その中心では黒と白のうさぎの耳がゆらゆらと楽しげに揺れていた。
(もうイースターの衣装が完成したんですね)
(兄さんも完璧主義だから、早めに準備しておきたいんだろうね)
(ありましたよ、兄さん。白と黒がありますけど、どちらを着ますか?)
(そうだな…多分、兄さんの中では僕たちの色が決まってると思うんだけど、どちらかな)
(…あ、眼鏡が置いてあります)
(ふふ、なら明白だね。ルイス、黒い方を僕にくれるかな)
(はい、どうぞ。それにしても、兄様もお忙しいでしょうにわざわざ手縫いで準備してくれるなんて申し訳ないですね)
(そうだね…申し訳ないよ。でもそれ以上に、有難いことだ)
(…はい。僕たちのために何かをしてくれるなんて、アルバート兄様だけでしたから)
(兄さんの恩に報いるためにも、イースターでは精一杯頑張らないといけないね、ルイス)
(勿論です、兄さん)
(…随分と可愛い格好だね、ルイス)
(…兄さんこそ)
(確かにイースターといえばイースターバニーだけど、今年は随分とラフだな)
(着心地重視、ですかね)
(確かに着心地は最高だね。それに、この服なら子どもに威圧感もないだろうからいいのかもしれない)
(頭の上で耳が揺れるのは何となく落ち着かないですね…)
(そのうち慣れるよ。さぁ行こう、ルイス。兄さんが待ってる)
(はい!)