モリアーティ兄弟はりんごがお好き。
夜が明けてしばらくした頃、モリアーティ家執務の一切を引き受けているルイスは目覚める。
閉められたカーテンを開けて光を部屋に取り込み、ナイトウェアからスーツに着替えて屋敷の外へ出た。
「おはようございます、フレッド」
「おはようございます。いい天気ですね」
「えぇ」
まだ少しひんやりとした空気の中、フレッドが花たちの世話をしている様子が目に入る。
朝早くから土で汚れることも厭わず、丁寧に手入れをするフレッドの仕事ぶりには頭が下がる。
彼が来てから花たちも生き生きとしているように思う。
勿論ルイスも手伝っているが、今では花や木々の世話はフレッドの方が格段に上手い。
ついこの間もアルバートから薔薇の仕上がりについて褒められたばかりだ。
満足気に微笑んだアルバートの言葉は、モリアーティ家に恥じない仕事ぶりを認められたようで嬉しかった。
まだ蕾をつけたままの蔦を見て、ルイスはフレッドにアルバートの言葉と感謝を伝えた。
「アルバート兄様が薔薇の仕上がりについて褒めてくださいました。フレッドのおかげですね」
「いえ、僕だけの手柄ではありません」
「今度の花も期待しています」
「はい」
フレッドの手伝いを申し出たルイスは、花に水をやるため如雨露に水を汲みに行こうとその場を離れた。
裏口にある水場に向かおうとしていると、正門の方から何人かの話し声が聞こえてくる。
静かな朝に似つかわしくない賑やかな声は、悪意のあるものではなくむしろ温かみのあるそれだ。
騒々しい空気は好まないルイスだが、もう何度か経験のあることなので嫌悪感もない。
声に覚えがあるルイスは手に持っていた如雨露をその場に置き、ゆっくりと正門へと歩いて行った。
「おはようございます。どうされましたか」
「あぁモリアーティさん。良かった、今時間あるかい?」
「構いませんが」
「これ、ウチで採れた野菜!出来のいいのを持ってきたから、良かったら受け取っておくれよ」
「こっちはウチの卵な」
「これはウチの家内が作ったタルトなんだ。美味く作れたって喜んでたから、食べてやってくんねぇか?」
「こんなに…良いのですか?皆さんの分は宜しいのですか?」
「気にしないでくれよ!たくさんあるからな!」
次々と渡される紙袋の中には芋やかぶ、玉ねぎ、にんじん、レタスといった野菜と卵、小さなホールタルトが納められている。
一つ一つの中身を確認して、今朝採ったばかりであろう新鮮な食材にルイスは感嘆の声を零す。
「いつもありがとうございます」
「いや、こっちこそいつもあんたらには世話になってるからな」
「貴族にしちゃ格式ばってないし、野菜を食べる貴族ってのも珍しいじゃないか」
「当家ではあまりそういったことに拘りはありませんので。皆さんからいただいたものはいつも美味しくいただいてます」
「それなら俺らも有難いよ」
すぐに割れてしまう卵以外の食材を一度下ろし、ルイスはわざわざやってきた三人に丁寧に礼を告げる。
ウィリアムのおかげでこの町の信頼を得た。
傲慢な貴族というものは、現在のモリアーティ家が最も嫌う人種だ。
貴族としての品位を保つ程度の贅沢が出来ればそれで十分だと考えているため、平民との対話にも抵抗はないし、彼らが手塩にかけて作ったものを食べられることは喜ばしいことだとルイスは思う。
勿論これはルイスだけでなく、ウィリアムもアルバートも同じ考えだ。
アルバートは伯爵家当主という立場上、その考えを公に表明することは出来ないが、ウィリアムとルイスの行動を咎めることもない。
その結果、屋敷での執務を一手に引き受けるルイスは領地の管理をしている最中で、町の人間と良好な関係を築くことに成功していた。
「以前いただいた梨と葡萄のジャムも美味しかったです。ウィリアム兄さんにも好評でしたよ」
「そりゃあ良かった。このタルト、小さいけど教授と食べてくれな」
「ありがとうございます」
おそらく朝の一仕事を終えてから届けに来てくれたのだろう、彼らはルイスに目的のものを渡すと早々に屋敷を後にした。
彼らの姿が見えなくなるまで見送ってから、ルイスは届けられた食材を運ぶため一度屋敷の中に入っていった。
「親切な方たちですね…いえ、これも兄さんの力というべきでしょうか」
ルイスは今もまだ寝ぼけてソファに横になっているであろう兄を思い、くすりと笑みを零す。
今朝は彼らに貰った野菜と保存してある野うさぎの肉を使った朝食を作り、デザートには小さなタルトを出そう。
ウィリアムは肉よりも魚派であるが、保存が難しい魚類は朝食に出すには少し難しい。
そのため必然的に朝は肉料理が多くなるが、今日は卵も使えるのでバランスは良いだろう。
ルイスは頭の中で朝食のメニューを考えながらフレッドの手伝いに戻り、朝食の準備をしてからウィリアムを起こすため彼の部屋へと訪れた。
「兄さん、おはようございます。朝ですよ」
「ん…」
「起きてください。また遅刻しては学長に嫌味を言われてしまいますよ」
「…ぅん」
「兄さん」
「…おはよう、ルイス」
「おはようございます」
珍しく深く寝落ちたのか、兄の寝起きが悪いことにルイスは苦笑した。
あまり頻度は多くないが、極稀に何度呼びかけても反応が薄いことがある。
きっと必死に睡魔と闘っているのだろう。
これが講義のない日ならば存分に寝てもらいたいところだが、今日は朝の一番から講義があるのだ。
いつまでも寝てもらっていては教授としての威厳もなくなってしまう。
兄を敬愛するルイスとしては我慢ならないことだ。
「まだ眠り足りないようですが、今日も朝から講義ですよね?もう起きていただかないと遅刻してしまいますよ」
「そうだね…いい加減起きないと」
「今夜は早めに休んでくださいね」
「あぁ、そうするよ」
まだ眠たげなウィリアムが再び眠りに就かないよう話しかけながら、ルイスは彼の服や鞄の用意をする。
講義に必要な資料は机に置かれている冊子で良いのかと尋ねれば、幾分かはっきりした声で肯定の返事がきたのでそれも合わせて鞄に入れた。
徐々に覚醒してきたのか、ウィリアムは綺麗な顔を照れくさそうに緩ませてルイスを見る。
朝早くからてきぱきと行動できる弟の姿は、兄として誇らしい気持ちと情けない気持ちの半々だ。
「ありがとう、ルイス」
「いえ。朝食の準備は出来ていますので、早く行きましょう」
「うん」
いつでも隙のない兄の弛んだ姿を見るのは嫌いじゃない。
少しだけ歪んでいる兄のネクタイを真っ直ぐに直してから、ルイスは部屋の扉を開けてウィリアムに先を促した。
「フレッド、デザートにタルトはいかがです?」
「タルト?」
「えぇ。今朝、町の方にいただいたものです。本当は兄さんに食べていただこうと思ったのですが…」
「あぁ…ウィリアムさん、慌てて出ていきましたもんね…」
「…はい」
ルイスが用意した朝食をフレッドとの三人で食べていると、届いていた新聞に目を通していたウィリアムが夢中になってしまい、タルトを食べる時間などなくなってしまった。
兄の時間を邪魔したくないルイスはデザートを出すことは諦め、まずは食事を食べてもらうことを優先したのだ。
あまり食に執着のないウィリアムは、放っておけば紅茶と付け合せの菓子で一日を過ごすことさえある。
ただでさえ膨大な案件で頭を働かせるのだから、最低限の食事は採ってもらわねば困る。
そう考えるルイスの促しで何とか食事を済ませたウィリアムは、時計を目にして慌てて屋敷を出て行ってしまった。
「生ものですし、置いておくよりも食べてしまった方がいいでしょう。今、紅茶の用意をします」
「ありがとうございます、ルイスさん」
小さなタルトは二人で分けるとデザートとしては十分すぎる量だが、食べられないことはないだろう。
タルトの上部にはりんごが敷き詰められており、甘いバターとりんごの香りがテーブルに広がった。
「タルトタタンのようですね」
「たるとたたん?」
「僕もあまり馴染みはありませんが、りんごをカラメリゼしてバターと絡めて焼いたタルトだったかと」
「へぇ。詳しいですね、ルイスさん」
「当家での食事は僕の仕事ですので、ある程度の知識はあります」
タルトが崩れないよう注意しながらナイフを入れ、真っ白い皿に盛り付ける。
そのままでは味気ないかと思い、予め摘んでおいたミントの葉を添えてフレッドの前に差し出した。
香り高いダージリンの紅茶もちょうど飲みごろの温度だろう。
「どうぞお召し上がりください」
「ありがとうございます」
フレッドが手を付けたのを見届けてから、ルイスも席に着いてタルトを一口だけ切り分けて口に含んだ。
甘いりんごの風味とバターの香りが相まって、とても美味しく仕上がっている。
「美味しいですね、これ」
「えぇ。分けていただいた町の方は以前もジャムを届けてくれましたし、お菓子を作るのが上手な方なんでしょうね」
「…美味しい」
もぐもぐと口を膨らませて幸せそうに食べるフレッドは、本当にタルトを美味しいと感じているのがよく伝わってくる。
リスのようだな、とルイスは思ったが声にも顔にも出さず、そうですね、と同意の言葉を返しておいた。
「兄さんにも食べていただきたかったですね」
「ウィリアムさん、りんごすきですもんね」
「えぇ」
二人で少しばかりの談笑をしながら食べていけば、あっという間に小さなタルトは食べ終わる。
食後ではあったがすんなりと食べられてしまったところを考えると、果物主体とだけあってあまり胃に負担もないのだろう。
無理を言ってでも食事を勧めて、ウィリアムにデザートとして食べてもらうべきだったかと、ルイスは少しばかり気を落とした。
「あれ…ルイス?」
「兄さん」
「どうしたんだい?こんなところで」
「いえ、大したことではありません。荷物お持ちしましょう」
「大丈夫だよ、ありがとう」
ウィリアムが講義を終え、町を通り屋敷に帰ろうとする道すがら、ルイスを見かけた。
遠目からでも自分と同じような髪色をしたスーツ姿の弟を見間違えるはずもなく、疑問に思いながら彼がいる方へと足を向けて声をかければ、多少驚いた様子の弟がそこにいた。
商店が多い道通りではなく民家の方から歩いてきたところを考えると、おそらく買い物に来たわけではないのだろう。
そもそも普段の食事に必要になる分は屋敷に届けてもらう手はずになっているし、ルイスが食材を買いに来る用事など材料が不足したときくらいだ。
それも突発的に客人がきたときか、当日中に使わなければならない食材の付け合せが必要になったときなど、不測の事態が起きたときしかない。
さてどうしたのだろう、とウィリアムは首を傾げながらも深くは問い詰めず、ともに屋敷までの道のりを歩いて行った。
「今日はフレッドとモランさんもいます。賑やかな夕食になりそうですね」
「そうだね」
「来週末には兄様にも会えますし、手土産に持っていきたいものもあるんです」
「そうなのかい?何を持っていくつもりだい?」
「まだ秘密です」
普段は独りで歩く道を誰かと話しながら歩くのは新鮮なものだ。
ましてやどこか楽しそうにしているルイスが相手なのだから、講義の疲れも飛んでいくようだった。
見たところ手には何も持っていないが、一体何をしていたのだろうか。
ウィリアムは見定めるように足を止めて、先を歩くルイスの姿をじっと見る。
どうしましたか、と振り返って声をかけるルイスに、何でもないよ、と笑いかけてから彼に近寄れば、何故か甘いバターの香りがした。
それから二度、ウィリアムは講義帰りにルイスと遭遇することがあった。
この一週間で二度もだ。
帰宅時間が遅くなる日には普段と変わらず屋敷にルイスがいるため、もしかしたらもっと回数は多いのかもしれない。
それとなくルイスに昼間どうしていたのかと尋ねても、彼からはっきりした返事はない。
ただ彼とともに帰るときには、決まって甘いバターの香りが彼から漂ってきた。
後ろめたいことがある様子もなく、ただ楽しげにしているだけだから困ることもないのだが、大事な弟に秘密めいたことがあるということ自体がウィリアムには許容できない。
一番初めに町でルイスと出会ったとき、アルバートへの手土産について提言されたことと何か関係があるのだろうか。
甘い菓子を兄への手土産にするつもりか?
だがそのために足繁く菓子店に通うには頻度が多いし、それをウィリアムに隠す理由が見当たらない。
むしろルイスならばウィリアムにも味を見てもらうよう頼むことだろう。
あるいはルイス本人がバターを使う菓子を作っているのだろうか。
わざわざ屋敷以外の場所で、何のために?
さすがに情報が少なすぎて、さしものウィリアムも正答を導くには至らない。
あのルイスが何のために頻繁に民家へと通い、バターの香りを纏わせて帰ってくるのか。
「フレッド、調べてくれるかな」
「…はぁ」
「何だよウィリアム、その指令は」
ルイスのいない間に、フレッドを呼び出してウィリアムは彼の動向調査を依頼した。
何故かモランも付いてきたが特に気にせず、ウィリアムは優雅に微笑みながらフレッドを見る。
困惑した表情は予想した通りだ。
「ルイスが僕に内緒で何かしているみたいでね。何をしてるのか教えてくれないし、僕には大学の講義があるから、フレッドにお願いしたいんだ」
「…そうですか」
「別にいいじゃねーか、あいつが何してようと。ウィリアムの邪魔になることはしないだろ」
「そうだろうね。でも僕に隠し事というのはいただけない。指令というよりも僕個人の頼みだ。聞いてくれるかな、フレッド」
「構いません」
「良かった。じゃあ分かったら早急に僕に教えてほしい」
ウィリアムの、いやモリアーティ家の過ぎた兄弟愛は今に始まったことでもない。
あまり難しい内容でもないし、今抱えている仕事もないフレッドは頷くことで了解の意を表した。
早速、屋敷の清掃をしているであろうルイスを見張るため、フレッドは部屋を静かに出て行った。
「…おい」
「何かな、モラン」
「おまえ、本当にルイス大事にしてんな」
「今さらだよ、モラン。ルイスは僕のたった一人の弟だしね」
「そういうもんかぁ?アルバートの野郎もおまえら溺愛してるし、モリアーティはそういう血筋なのか?過保護すぎねぇ?」
「ふふ、どうだろうね。証明するには他の家族もいないからなぁ」
モランの呆れた視線を軽く受け流し、ウィリアムは今この場にいないルイスを思い瞳の奥を燻らせる。
僕の知らないルイスなど在ってはならないと、その瞳が言っていることにモランは気付きながらも放置した。
そしてそれからわずか二日後。
ウィリアムの疑問はいとも簡単に晴れてしまった。
「あ、兄さん、お帰りなさい」
「お帰りなさい」
「ルイス、フレッドも。こんなところでどうしたんだい?」
「りんごを買いに来ていたんです。兄さん、りんごすきですよね?」
「うん、すきだけど」
「やぁ若先生。今帰りかい?」
「えぇ、弟がお世話になったようで。りんご、ありがとうございます」
「いいんだよ、今日とっておきの奴だ。美味しく食べな」
「はい」
「スザンナさん、またよろしくお願いします」
「あぁ、気を付けて帰るんだよ」
今日もバターの香りを纏わせているルイスを見て、一瞬だけウィリアムは眉を寄せた。
だがその手には以前とは違い、りんごの入った紙袋がある。
手ぶらでない弟の様子を疑問に思いながら隣で静観していたフレッドを見れば、何も言うことはないとばかりに首を横に振るのみだ。
だがどことなく、フレッドのその顔は呆れているようにも見えた。
「りんごは夕食のデザートにお出ししますね」
「そうか。パイにでもするのかな?」
「いえ違います。出来上がってからのお楽しみということで」
「…?そう。楽しそうだね、ルイス」
「そうでしょうか。気のせいですよ、兄さん」
ここ最近の楽しそうな顔がより一層楽しげに浮付いている。
愛しい弟の機嫌が良いことは何よりだが、もしかすると今夜にでも疑惑が晴れるのかもしれない。
ウィリアムはそう感じてフレッドを見れば、会話をしたわけでもないのにウィリアムの思考が分かっているかのように頷きで返された。
その顔は先ほどと変わらず、呆れが混じっていたように思う。
彼らが屋敷へと戻ると、酒を飲んでいたモランがルイスに食事の催促をする。
ルイスはその様子に若干の苛立ちを見せたが、ため息とともにそれを流して、すぐ用意します、とだけ返して厨房へと足を踏み入れた。
それからは普段通り、何も変わらないいつもの夕食を済ませる。
さていつ話を切り出されるのかな、とウィリアムは食後に用意された香り高い紅茶を飲む。
まだ熱いそれは口の中に残る後味を喉の奥に流し込んでくれた。
「お待たせしました」
「ん?デザートか?何だこれ?」
「…確か、フランスの方のお菓子だったかな」
「タルトタタンです。兄さんの口に合えばいいのですが…」
「ありがとう、ルイス」
焼き立てのようで、まだ少しばかりの湯気を立たせるタルトタタンからは、ここ数日ウィリアムを気にさせていたバターの香りが漂ってきた。
バターとともにりんごの甘い香りも感じさせるそれは、おそらく残り香としてはりんごの香りだけが薄れてしまったのだろう。
茶色くカラメリゼされて芳ばしく香ってくるタルトは、ミントの緑との対比で見た目も美しい。
きっと香りと見た目通り、その味も良いのだろう。
だが、数回だけ食べたことのあるりんごのデザートにウィリアムは首を傾げた。
「ルイス、タルトタタンなんて作れたかな?」
モリアーティ家でりんごといえば、フレッシュな状態かソース、ジュレやジャム、パイとして出されることがほとんどだ。
ましてやフランスで流行り始めたばかりのタルトタタンなど、今まで食卓に上がったことは一度もない。
ただ純粋な疑問として、タルトに手を付ける前にウィリアムはルイスに問いかけた。
「以前、町の方にいただいたんです。あまり食べ慣れない菓子ですが、とても美味しかったので。兄さんにも是非食べていただきたいと思い、作り方を教わりに行っていたんです」
「そうだったんだ」
「少しばかり妙な顔をされましたが、快く受け入れてくれました。兄さんが町の方達を助けたおかげですね」
モランとフレッドにもタルトを配り、最後に自分の席にも皿を置いてからルイスは席に着く。
フレッドは一足先に事情を知っており、またも頷いてからウィリアムを見た。
まるで、調査報告をすることはもうないです、と言わんばかりだ。
「何だ、わざわざ習いに行ったのかこれ。どれどれ…あ、うめぇ!」
「それは良かった。兄さんもどうぞ」
「うん、いただきます」
手でそのまま食べたモランとは違い、ウィリアムはナイフとフォークで綺麗に切り分けてからタルトを口に運ぶ。
味わいながらゆっくりと咀嚼する様子をじっと見るルイスは、自分の分に手を付けることなく兄の姿を見ていた。
味はおそらく問題ないはずだ。
ここ数日、好意に甘えて果樹園を経営する民家に毎日出入りしてはタルトを作っていたのだから。
貴族とはいえ末弟、しかも使用人のいないモリアーティ家ゆえに、ルイスが屋敷の執務一切をこなしていることは町の人間が周知していることだ。
食事のメニューを増やすことも必要な仕事だと思われたのだろう。
訝しげな顔をされたが、貰ったタルトが美味しかったので作り方を教えてほしい、と頼まれて嫌な顔をする人はいない。
礼儀正しいルイスの姿を気に入った女性は、上手にタルトを作れるまで根気よく付き合ってくれたのだ。
味には自信がある、が、それはウィリアムの口から肯定されるまでは確立されたものではない。
「うん、美味しい。凄いね、ルイス」
「…ありがとうございます」
にっこりとルイスに微笑みかけるウィリアムは、ここ数日の疑問が晴れて満足気な様子だった。
しかもその理由がウィリアムのため、とあれば自尊心が満たされる以外はない。
弟の行動原理が自分にあるというのは、ウィリアムの支配欲を心地よく刺激してくれる。
自分以外には決して入れ込まないよう仕向けてきた甲斐があると、ウィリアムはそっとほくそ笑む。
その笑みの意図にモランとフレッドはどことなく気付いていたが、盲目的にウィリアムを信頼するルイスは気付かなかった。
「以前食べたときはどうも思わなかったけど、ルイスが作ったこれは美味しい。わざわざありがとう」
「いえ、喜んでもらえて嬉しいです。兄さんはりんごがお好きなので、丁度いいかと思い教わった甲斐がありました」
「そうだったんだね。今度、アルバート兄さんに持っていく手土産もこれなのかい?」
「はい。どうでしょうか」
「良いと思うよ。きっと兄さんも喜ぶと思う」
「そうだと嬉しいですね」
ウィリアムに褒められ、週末に会うアルバートの反応を想像し、誇らしげに表情を緩めるルイスはより一層機嫌を良くして、ようやくタルトを口に運んだ。
甘いりんごの果汁と香ばしい砂糖とバターの風味が抜群に合っていて、我ながら会心の出来だと心の中で舌鼓を打つ。
満足気にタルトを食べるルイスの姿を見て、ウィリアムは先ほどよりも笑みを深めた。
そうしてもう一口、タルトを口に運んでその甘味を存分に堪能する。
そんな兄弟を見て、タルトを食べきったモランとリスのように口を膨らませているフレッドは思う。
「アルバートが作ったナイスブラザーズってセーター、おまえらにぴったりだな」
ぼそりと発言したモランの言葉は一番席が離れているルイスには届かず、ウィリアムとフレッドにだけ届いた。
ウィリアムは不敵に微笑み、フレッドは膨らんだ口のままこくこくと頷き、ルイスは聞こえなかった言葉など特に気にせず黙々とタルトを口に運ぶのだった。
(おや、上手に焼けたじゃないか)
(えぇ、良かった)
(うん、これならあんたんとこの先生も満足するんじゃないかい)
(そうだといいですね)
(大丈夫だよ、あたしが太鼓判押したげるよ!)
(ありがとうございます)
(しかしあんたも偉いねぇ。お兄さんのためにタルトを作ってあげたいなんて)
(兄さんはいつもお忙しくしていますから、これくらいは何でもありません)
(先生、りんごがすきなのかい?)
(はい。僕もすきですし、一番上のアルバート兄様もすきですね)
(ならきっと喜んでくれるよ。タルトタタンは今フランスの方で流行ってるからね)
(そうみたいですね)
(何より、他でもないあんたが作ってくれたんだから。兄さん方はそれが嬉しいだろうよ)
(…ありがとうございます)
(ほら、今日はもうこれで帰んな。そんで今日のデザートにでも作ってあげるんだね)
(はい。お世話になりました)