Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

のらくらり。

僕の弟は可愛い

2019.12.03 13:20

子ども時代の三兄弟。

ルイスのアルコールデビュー。

酔ったルイスは甘えただと良いな。


「うん、もう大分調子も良さそうだ。これならもう他の人と同様の生活でも問題ないでしょう」

「本当ですか?」

「はい。よく頑張りましたね」


ルイスの胸に当てた聴診器を外して、穏やかに微笑んで見せた主治医にルイスは目を見開いた。

頬の火傷に当てていたガーゼも必要なくなり、心臓の調子も頗る良いと実感してはいたのだが、専門の医者に太鼓判を押されたのは今回が初めてだ。

思わず頬を赤らめて後ろにいた兄二人を見上げると、二人も同様に嬉しそうに表情を甘くしていた。


「兄さん、僕もう大丈夫です!」

「うん、良かったねルイス」

「おめでとう」

「ありがとうございます、兄様!」


三人の幼い兄弟の様子を、ルイスの主治医は微笑ましく見守っていた。

元孤児とはいえ貴族となったルイスの担当医であるこの男性は、もともと通常よりもよほど慎重に経過を見ていたのだ。

ゆえに長い間に渡り丁寧に診察を続けてきたが、それももう必要ないだろう。

あとは定期的に検診を受ける程度で十分だ。

それをルイス本人と彼の家族に伝えて、ついでのように注意事項の一つを口にした。


「もうアルコールの類も飲んでいいでしょう。ただし、心臓の負担になるかもしれないので程々にしてください」

「分かりました!」


大人しく控えめに診察を受けてきたルイスにしては珍しく気分が高揚しているようで、大きな瞳がきらきらと期待に満ちている。

細かい制限があった今までの生活よりも、ずっと生きやすくなることへの期待だろうか。

よく頑張ったね、と以前よりも伸びた髪の毛を優しく混ぜてから、次回検診の時期を伝えてから退出を促した。


屋敷に付くまでの馬車の中でもルイスは上機嫌で、珍しく誰が見ても分かりやすく笑っていた。

今までずっと心臓に、ひいては体に無理のないように制限をかけて過ごしてきたのだから、その分の感慨も一段と大きいのだろう。

偉いね、頑張ったね、とルイスの隣に座るウィリアムは懸命な弟の髪を撫でて今までを労った。

兄の優しいその手に一層の嬉しさを実感したのか、ルイスははにかむようにウィリアムを見上げては笑いかける。


「これで勉強も屋敷での仕事も、今まで以上に頑張れます!兄さんたちのお役にも立てます!」

「ふふ、無理はしちゃいけないよルイス」

「でも兄さん、無理をしても大丈夫と主治医にお墨付きを貰いました」

「頑張りすぎて体調を崩したら元も子もないだろう?程々にやろうね」

「はい!」


今にも張り切って無茶をしそうな弟にウィリアムは苦笑するが、兄の忠告を聞いているのかいないのか、返事だけは立派に返したルイスはふわふわと楽しそうに笑っている。

そんな幼い兄弟を対面する席で見守るアルバートは、小さい猫のじゃれ合いのようだな、とのんびりした感想を持ちながら屋敷までの道のりを見た。

考えるのは、ルイスの主治医が言った最後の言葉。

酒、か。

社交界や貴族同士での晩餐ではワインやカクテルなどのアルコールの類は必ず提供される。

ゆえに、心臓への負担が大きいアルコールをルイスに摂取させるわけにはいかず、招待されても常に屋敷で待ちぼうけをさせてしまっていた。

元来人見知りの強いルイスが社交界に出たがっているとは思えないが、アルバートとウィリアムのいない屋敷で一人過ごすのは寂しいだろう。

ルイスがそう口に出したことも顔に出したこともないが、兄二人が帰宅して出迎えたときのルイスの表情は一際安心したように見える。

お帰りなさい、と二人のジャケットを受け取るその顔に少しの不安が隠されていると気付いたときには、誘われる社交界への参加も必要最低限のみになってしまった。

特にルイスの実兄であるウィリアムは、アルバートの介添人としての役割がない限りは一切の参加をしなくなった。

アルバートとしても幼いルイスを屋敷に一人残すのは心苦しかったので、ウィリアムの申し出には何より安心したものだ。

元より、子どもであるアルバートが当主になってしまったモリアーティ家に、社交界や晩餐会の招待など少数ではある。

だがその少数の中でも、貴族当主として参加せざるを得ないものもあるのが現実だ。

つまらないしがらみに耐えてこそ大義を果たすことが出来る、そう思えば苦でもない。

今まではそう考え、出来る限りアルバートのみで貴族としての義務を果たしてきたが…


「兄様?どうされました?」

「兄さん?」

「あぁ、何でもないよ」


嬉しそうな顔を変えずにアルバートを見やる幼い兄弟を見て、可愛い弟たちを紹介するのも吝かではないな、とアルバートは思うのだった。




「ルイス、ちょっとおいで」

「?はい、兄様」


主治医に通常の生活を送っても良いと許可を貰った日から一週間。

屋敷での雑務を終えてウィリアムとともに本を読んでいたルイスに、アルバートが呼びかける。

濃いエメラルド色をした瞳がふとウィリアムを見れば、心得た、とばかりに頷きを返された。

ウィリアムがルイスの背を押しながらともにアルバートの後ろをついていけば、リビングにはたくさんの種類の酒とグラスが置かれているのが目に入る。

何だろうかと首を傾げるルイスの頬に、さらりとした金髪が流れていった。


「主治医の許可も下りたことだし、そろそろルイスもアルコールに慣れておいた方がいいだろうと思ってね。ルイスにも飲みやすいだろう種類を用意したよ」

「お酒…」

「ルイスも近いうちに社交界に参加しなきゃならないだろう。自分の上限を知っておくのは大切だよ」

「兄さんもお酒を飲み慣れているんですか?」

「慣れている程ではないし、アルバート兄さんには敵わないけどね。そこそこは飲めるよ」

「兄様はお酒に強そうです」

「そうだね、まぁ強い方だろうな」


ウィリアムに促されるままソファに座り、じっと目の前に置かれている瓶を見る。

孤児だった頃に安物の酒をかけられたことはあるが、香りも味もあまり良い印象はなかった。

だがアルバートの言うように、これから先はある程度のアルコールを窘めないと三男とはいえ貴族としてはアウトだろう。

そしてウィリアムの言うように、酒に溺れて前後不覚になってしまっては飲めない以上にマズイ事態になってしまう。

今までは心臓のこともあって酒を飲む機会はなかったが、なるほど、確かに味を覚えて損はない。

アルバートに注いでもらったグラスを手に、ルイスは物珍しそうに波打つ液体を見て瞳を煌めかせた。


「シャンパンだよ。食前酒としてもよく出されるしアルコール度数も少ないから、これは飲み慣れておいた方がいい」

「兄様にお出しすることはありますが、僕が飲むとなると不思議な気持ちです」

「口に合わなかったら無理しなくていいからね、ルイス」


綺麗に泡が立っているシャンパンの入ったグラスを傾け、小さな喉が小さく上下する。

アルバートとウィリアムが屋敷で飲んでいたのを参考にしたのだろうが、一気に流し込まず一口をゆっくりと飲み込む動作が、幼くも様になっていた。

舌に残る感じたことのない後味に少しだけ違和感を覚えるが、思っていたよりも飲みやすい。

爽やかな風味が喉を通り抜けてから、ルイスは閉じていた瞳を開けてアルバートを見た。


「これ、美味しいです」

「そう、良かった。ルイスのために上等なものを用意した甲斐があったよ」

「隣国から取り寄せて正解でしたね、兄さん」

「え、取り寄せたんですか?」


可愛い弟が初めて酒を嗜む席に半端なものを置いておくほど、この兄達の愛は温くない。

飲みやすく、それでいて少しでも上等なものをこの日のために用意したのだ。

ルイスが、美味しい、と頬を染めて言ってくれたのが何よりの対価である。


「す、すみません僕のために」

「良いんだよ、ルイス。美味しく飲んでくれればそれで良い」

「あ、兄様も飲んでください!僕がお注ぎします」

「ありがとう」

「兄さんもいかがです?」

「うん、貰うよ」


こうして兄弟三人、ルイス初めてのアルコール解禁パーティーはささやかに開催された。


「この白ワイン、凄く美味しいです。飲みやすい」

「それ、僕も気に入ってるんだ。ルイスも気に入ってくれて良かった」

「ルイス、こちらのカクテルはどうだ?おまえの好みに合うように配合してもらった」

「いただきます、兄様!」

「ウィルもどうだい?おまえたちの好みは似ているから、きっと気に入ると思うよ」

「ありがとうございます、いただきますね」


決して速いペースではないが、色々な酒を少しずつ飲んでいく兄弟の周りは酒気を帯びていた。

途中でチーズやサラミ、チョコレートなどを摘まみながら飲む酒は素直に美味しいと思える。

既にアルバートは結構な量を飲んでいるにも関わらず、全くの素面だ。

ウィリアムも同様に、ほろ酔い程度にアルコールが回ってはいるが未だ何の影響もない。

対するルイスは兄二人によるペース配分のおかげか、急激にアルコールを摂取することもなく酒を楽しめているらしい。

だが普段は真っ白い頬を紅潮させてとても機嫌が良いところを見るに、適度に酔ってはいるのだろう。

兄二人に比べれば格段に少ない量でこの様子では、ルイスはあまり酒には強くないのかもしれない。


「ルイス、気分は大丈夫かい?」

「大丈夫です。にいさまお勧めのカクテルも赤ワインも、とってもおいしいです」

「それは良かった」


にんまりとアルバートに笑いかけるルイスにつられ、アルバートも優しく微笑みかける。

普段は甘えることなどしない末弟が甘えてくれているようで気分が良い。

だがどこか甘ったれた喋り方になっているところを考えるに、ここまでが彼の許容量なのだろう。

ルイスの隣でウィリアムがそう考えていると、ふいにアルバートから声がかかった。


「ウィル、そろそろ限界のようだし、ルイスのために水を持って来てくれるかな」

「はい。ルイス、そろそろお酒はやめて休もうか」

「え、もっとのめます。にいさんも普段よりのんでないですよ」

「駄目だよ。君はこの辺りでおしまいにしないと、後で大変だからね」

「むぅ…」

「水を持ってくるから、少し待っておいで」

「はぁい…」

「ルイス、初めての酒はどうだった?」

「にぃさま…おいしかったです、とても」

「それは良かった。また日を改めて一緒に飲もうか」


手に持っていたワイングラスをウィリアムに取られ、拗ねたように唇を尖らせたルイスの頬にアルバートは手を寄せた。

普段ならば嫌がる火傷跡のある右頬を撫でても、払いのけるどころかすり寄せてくる仕草が心を擽る。

小さな頭を支えるように撫でて、もう片方の手は変わらず弾力のある頬の感触を楽しんだ。

その様子を見て、アルバートが見てくれていれば無暗に酒を飲むこともないだろう、と判断したウィリアムは静かにその場を退室した。


「にぃさま」

「ん?どうした、ルイス」

「にぃさま…」


止めることなく飲んでいた酒を控えてアルコールが回ったのか、先ほどよりもとろんとした褐色の瞳がアルバートを見上げる。

アルバートよりもよほど大きな瞳が真っ直ぐ彼を見つめ、小さな声を聞き逃さないように両手を頬に沿えてルイスの言葉を待つ。

すると震えるように兄を呼んでいたルイスの唇が、それはそれは綺麗に弧を描いた。


「にぃさまのめ、とってもきれいですね」

「え?」

「きれいなみどりいろ…このいろ、えめらるどぐりーんっていうんですよね。ぼく、にぃさんからそういうほうせきがあるってきいたことがあります。にぃさまのめは、ほうせきみたいにきれいです」

「え」

「にぃさま、とってもかっこいいです。いつもぼくにやさしくしてくれて、きぞくなのにいばってなくて、おかおもすてきで。ぼく、にぃさまのこと、だいすきです」

「え…」


んふふ、と頬を包むアルバートの手に自分の手を重ねて幸せそうに微笑むルイスに、そしてルイスの言葉に、アルバートは一瞬だけ呆けてしまった。

初めて兄様と呼んでくれたあのときから、本当は彼に慕われていることは分かっていた。

彼とともに住む中で、随所にそれが伝わる場面があったのだから疑いようもない。

だが実際にそれを言われたことはないし、こんなにも甘えた様子で懐いてくることもなかったのだから、驚くのも無理はないだろう。

こんなにもはっきり「だいすきだ」と伝えてくる弟の存在など、今まで知らなかった。


「そ、そうか。僕もルイスがだいすきだよ」

「ほんとうですか、うれしいです!」


慌てて返事をすれば、より一層笑みを深めながらアルバートを見て喜ぶルイスがいる。

何だこの可愛い子、あぁ僕の弟か。

瞬時にそれを理解したアルバートは、ルイスの頬に当てていた手を離して小さな体を抱きしめた。


「ありがとう、僕も嬉しいよ」

「にぃさま…にぃさま、ごめんなさぃ」

「え?何がだい?」


思いのままに抱きしめれば、変声期前特有の高い声ではしゃぐのが聞こえたのもつかの間、すぐに震えた声で謝られた。

何を謝罪されているのか分からないが、感情が定まらないこの状態は正しく酔っているのだろう。

酔っ払いに何を言っても何を聞いても無駄かもしれないが、ある意味これがルイスの本音なのかもしれない。

アルバートは律儀にルイスの話を聞こうと、その背を擦って宥めてあげた。


「ぼく、にぃさまにひろってもらったとき、にぃさまのこときらいだったんです…にぃさまのことうたがってて、なにかうらがあるんじゃないかって、ずっとずっと、きらいだったんです」

「あぁ…そうだな、あの頃は仕方ないだろう。気にしなくていい」

「でもにぃさまのかんがえをしって、ぼくのかんちがいだったんだなって、ずっとあやまりたくて、でもあやまれなくて…ごめんなさい」

「大丈夫だよ、ルイス」

「にぃさまのこと、だいすきです。うそじゃないです、ほんとうにだいすきです、あるばーとにぃさま」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ、ルイス」

「にぃさま」


ルイスは今にも泣きそうに歪んだ顔だったのに、アルバートの言葉を聞いて心底安心したと言わんばかりの満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、にぃさま!」


うっすらと水の跡が残る目元をそのままに、花が飛び散るような幼く明るい笑みを間近で見た兄は、そのあまりの愛らしさに瞠目した。

かつていた実弟とは段違いに可愛い。

弟に甘えられるというのはこんなにも気持ちを満たしてくれるものだったのかと、アルバートはさらにルイスを抱きしめる力を強くした。


「ルイス?兄さん?」


きゃあ、と幼い声をあげるルイスをひたすら抱きしめていたアルバートの元に、水の入ったピッチャーとグラスを持ったウィリアムが帰ってきた。

そういえばルイスの酔い冷ましのために水を頼んでいた。

アルバートがそう記憶を掘り出しているときも不思議そうに二人を見ていたウィリアムだが、ルイスに早く水を飲ませるために足早に彼らに近寄った。


「どうしたんですか、兄さん」

「あぁ、いや…ウィル、酒は人を変えると言うな?」

「…いえ、酒は人の本性を現すと僕は解釈していますね」

「本性を出させる、か…上手いことを言うな」

「ふふ。ほらルイス、水を持ってきたからこっちにおいで」

「んー…?あ、にぃさん!」


アルバートの腕の中で微睡んでいたルイスだが、優しく肩を叩かれ視線を移せば、ずっと昔から見慣れた愛しい人の姿があった。

大きな瞳をまたも輝かせたルイスはウィリアムに手を伸ばし、彼のその首に縋りついた。

ウィリアムも慣れたもので、抱きつく弟の背を支えて互いの頬を寄せ合わせる。


「どうしたんだい、ルイス」

「にぃさん、にぃさん」

「うん、僕だよ」


甘える末弟をあやす次男は、二人の外見の良さも相まってアルバートの目を楽しませる。

先ほどまでルイスを抱いていた腕が少しばかりひやりとしたが、目の前の光景が十分心を温めてくれた。


「あるばーとにぃさまが、ぼくのことだいすきだっていってくださいました」

「そう、良かったね。僕もルイスがだいすきだよ」

「ぼくも、にぃさんのことだいすきです!」

「ありがとう」


ルイスはアルバートの言葉がよほど嬉しかったのか、最近は滅多に見せることがなくなった満面の笑みを浮かべている。

控えめに笑う普段のルイスも勿論愛しいが、こんなにも幼い表情を見せてくれるというのもまた愛しさが増す。

どう見ても酔っているが、アルバートの様子を見るに失礼をしたわけではないようだし、初めての酒であることを考えてもここは目を瞑るのがベストだろう。

そんなウィリアムの考えなど気付くはずもないルイスは、兄の腕の中でじっとその顔を見ていた。

先ほどと変わらずとろんとした瞳に映るのは、自分のものと似た金色と赤色である。


「ん?どうしたんだい、ルイス」

「にぃさんのめもきれいです。きれいなあかいろ…すかーれっとっていうんですよね。ぼく、いろのほんでしらべたんです。にぃさんのいろだなって。ぼくのだいすきないろです」

「そう。僕もルイスの目の色、すきだよ。色味が深くてとても綺麗だ」

「ぼくもにぃさんとおなじいろがよかったけど、にぃさんだけのいろはすごくきれいだから、ずっとみていたいです」

「僕もルイスの目、ずっと見ていたいな」

「にぃさん、にぃさん」

「うん」


ルイスをあやしながらゆっくりと話を聞くウィリアムの姿は、兄としての貫禄がしかと見えている。

よほどルイスが大事な存在なんだろうな、ということは彼と過ごしている中でもよく理解していた。

仲良きことは素晴らしきことかな、などこの大英帝国ではあまりお目にかかることもなかったが、それでも見ていて気分の良いものだ。

アルバートは幼い弟たちのやりとりを微笑ましく見守っていた。


「ぼくのしんぞうよくなったので、これからはにぃさんのもくてきのために、ぼくもがんばれます。うつくしいせかい、はやくみたいです」

「…そうだね。美しい大英帝国を、早くルイスに見せてあげたいよ。ルイスのために頑張るからね」

「ぼくもがんばれます」

「期待してる」


酒に酔った中での反応ではあるが、兄のために頑張る、という健気な弟の声はその心に響いたらしい。

あやしていた手に思いきり力を込めて、自分のものよりも高い体温をしているルイスの体を抱きしめた。

健気に慕い付いてきてくれる愛しい弟のために、一日も早く誰もが幸せになれる平等な社会を築き上げなければならない。

誰よりも純粋な弟には、穢れのない美しい世界がよく似合う。


「ルイスならきっと、新しい英国がよく似合うよ」

「にぃさんもにあいます」

「そうかな、ありがとう」

「にぃさん」

「何だい?」

「ぼく、にぃさんのことだいすきです」

「僕もすきだよ、ルイスのこと。誰より大事で、愛しい」

「ふふふ」


兄の言葉を理解して、瞳を細めて笑みを深めるルイスは実に幸せそうだ。

自分が大事に想う兄と新しく出来た大切な兄の二人に、同じだけの想いを返してもらったことが嬉しいのだろう。

何度となく繰り返しているはずのその言葉は、聞くたびに新鮮な愛しい気持ちを湧き出させてくれた。

ウィリアムはくすくす笑っているルイスの額にキスをして、触り心地のいい頬を撫でてみる。

昔から感触の変わらないふにふにとした頬は、今ではウィリアムだけじゃなくアルバートも気に入っていた。

ウィリアムが触れていない側の頬をアルバートが撫でてみせれば、二人に構ってもらえて嬉しいのかルイスの笑みが一段と増した。


「ぼく、うぃりあむにぃさんのおとうとにうまれて、あるばーとにぃさまのおとうとになれて、しあわせです」


二人の顔を見て言ったことで満足したのか、ルイスはそのまま瞳を閉じてウィリアムに凭れ掛かった。

そうして聞こえてきたのは、安心したような寝息だった。


「…」

「…」

「…ウィル」

「…何でしょう、アルバート兄さん」

「酒は人の本性を現す、そうだったな」

「えぇ。酒が人を変えるのではなく、抑えていた自我が酒で現れるのだと考えています」

「なるほど。では、おまえはルイスの酔い方をどう見る?」

「日頃甘えることの少ない弟ですから、酒で箍が外れたのかと」

「では、先ほどのはルイスの自我という解釈で良いんだな」

「少なくとも僕はそう考えます」


腕の中の弟を一際強く抱きしめて、ウィリアムはアルバートを見上げてにっこりと微笑む。

その笑みと幼い寝顔に合わせて、アルバートも少年らしい笑みを浮かべた。


「言ったでしょう。僕の弟は可愛いんです」


この世界の誰よりも可愛い、という副音声が聞こえてきそうな表情と声に疑問を抱くことなく、アルバートは同意した。

あれだけ警戒心の強いルイスが、今は大人しくウィリアムの腕の中で眠っている。

だがきっと、その腕がウィリアムではなくアルバートのものでも同じ結果が出るのだろう。

そう確信できるほどには慕われている自信があった。

勿論、それでもルイスの中の一番はウィリアムには違いない。

そのウィリアム含め、二人の可愛い弟がいるという事実がアルバートには嬉しかった。


「さぁ、ルイスも眠ってしまったことだし、今日はもう休もうか」

「そうですね。この状態のルイスを一人にするわけにはいかないので、今日は彼と一緒に休みます」

「それがいいだろう。なら僕のベッドを使うといい。おまえたちのベッドでは二人寝るのに窮屈だろう」

「すみません、ありがとうございます兄さん」


よいしょ、と声をあげてウィリアムはルイスを抱き上げながら立ち上がった。

ずり落ちていく体を上手に抱え上げ、少しばかり抱き心地の良い体勢を探してからようやく人心地付く。


「大丈夫かい?僕がルイスを抱えていこうか」

「平気です。もうずっと抱っこしてきているので慣れてます」

「それもそうだな」


あまり体格差はないはずだが、それでも兄としての矜持ゆえか、ウィリアムはふらつくことなくルイスを抱き上げている。

何度となくこの身体を抱きしめ、抱えてきたのだから負担などない。

むしろ兄としての特権だと感じているほどだ。

尊敬しているアルバートでさえその特権を譲るわけにはいかないと、ウィリアムは腕の中で眠るルイスを見て口元を緩めた。

そうしてアルバートの部屋へと向かうため足を進めたところ、ふと抵抗があることに気が付き足を止める。

ななめ横を見れば、ルイスの手がアルバートの服を掴んで離していない。

アルバートがその場から動いていないのだから、抵抗を感じるのも無理はないだろう。


「すみません、兄さん」

「いや、別に構わないよ。しかし、寝ている割には力が強いな」

「ルイスは昔から、気に入ったものは離さない性質なので…すみませんが、一緒に来ていただいていいですか」

「勿論」


無理矢理その手を離すことも出来ただろうが、少しでも強く力を込めれば唸るような寝言が聞こえてくる。

せっかく気持ち良く寝ているのに、これだけのことで起こすのは可哀想だろう。

ウィリアムとアルバートはそう考え、ともにリビングを出ていくことにした。

極力静かに歩いてはいたが、全く起きる気配のない末弟に苦笑する。

初めての酒は、少しばかり許容量をオーバーしてしまったらしい。

これから徐々に慣れていくだろうが、それでもあまり飲まないに越したことはないだろう。

精々食前酒の一杯とメインに合わせる一杯程度が限界のはずだ。

ルイスが起きたら徹底して酒量について教え込み、かつウィリアムかアルバートのいないところでは一滴たりとも酒など飲まないようにさせなければならない。

万が一にも甘え上戸なルイスを他の人間に見せるわけにはいかないのだ。

ちらりと視線を合わせるだけで互いの考えが一致していることが分かった兄二人は、相手の頭の回転の速さに感謝した。


「よし、着いた」

「落ちると危ないから中央に寝かせておいた方が良いだろう」

「はい。僕が隣にいるので安心してください」

「では僕はウィルの部屋を借りるとしようか」

「分かりました。…ルイス?」


アルバートの部屋に入り、中央に置かれた大きなベッドの中央にルイスの体を横たわらせる。

程よく聞いたスプリングで多少上下したが、すぐにその体を柔らかく包み込んでいった。

ウィリアムもルイスの隣に潜り込んだのだが、ルイスの手は変わらずアルバートの衣服を掴んで離さない。

慌てて外そうとその手を掴むが、寝ているというのに眉を顰めてウィリアムの腕に顔を埋めてしまった。

まるで、もうこのまま寝ます、とでもいうような頑なな仕草だ。

寝入ってしまっても未だ酒の威力が残っているのか、兄の心を擽る甘えた仕草が可愛らしい。

アルバートは驚いたように笑い、ウィリアムは苦笑した。


「すみません兄さん…この通りなので、兄さんもここで一緒に寝ませんか?幸い、兄さんのベッドは大きいので三人並んで寝ても狭くはないでしょうから」

「はは、そうだね。この調子じゃあ、無理矢理ルイスの手を離しては機嫌を損ねてしまうかもしれない」


アルバートは怒ることも呆れることもなく、むしろ嬉々としてウィリアムとは反対側のルイスの隣に寝そべった。

もう大丈夫だよ、アルバート兄さんも一緒に寝てくれるって、と眠っているルイスに囁きかけているウィリアムを間近で見る。

気付いたときには誰かと眠ることなど一切なかったが、普段は冷たい掛布が随分と温かく感じる。

生憎とルイスはウィリアムの方を向いてしまっているのでその寝顔を見ることは叶わないが、穏やかにその寝顔を見つめるウィリアムの顔を見れば大方の予想は着いた。

ウィリアムがルイスを抱きしめているので、アルバートはそのウィリアムの背中を抱くことで弟二人を抱きしめることにする。


「おまえたちは温かいな。子ども体温という奴かな」

「かもしれません。それにしても、明日はきっとルイスが驚くでしょうね」

「近くで見られるのかと思うと楽しみで仕方ないな」

「僕もまさか、酔ったルイスがあんなにも甘えたになるとは思いもしませんでした」

「ルイスは日頃がしっかりしているから、たまには我慢させないよう甘やかすことも必要かもしれない」

「そうですね。愛されたがりなのに我慢しがちな子だから、気を付けてあげないといけません」


普段よりも温かい人肌に安心したのか、ルイスの寝顔は至極穏やかだ。

その頬に掛かる乱れた前髪を梳いてから、ウィリアムはもう一度頬を寄せて目を閉じた。



(…ん、んん)

(あ、起きたかい?おはよう、ルイス)

(え?)

(気分は大丈夫かい?昨日は少し飲みすぎたようだから)

(え、え?)

(顔色は悪くなさそうだね。頭は痛くないかい?)

(だ、大丈夫です兄さん)

(吐き気もなさそうかな、良かった)

(は、はい、兄様。大丈夫です)

(念のため今日はゆっくり過ごそうか)

(そうだな、それがいい。ルイス、今日は一日ゆっくり休みなさい)

(あ、ああああの!僕もしかして何か失礼をしましたか!?)

(え?してないよ。何で?)

(お酒、美味しかった覚えはあるのですが、それからのことを覚えてなくて!あ、兄様、兄様に失礼はなかったですか!?)

(あぁ、大丈夫だよ。心配しなくていい)

(そ、それなら良いのですが…)

(ルイス、昨日のこと覚えてないのかい?)

(…すみません。兄様にカクテルをいただいた後から、覚えてないです…)

(…ルイス。お酒は僕かアルバート兄さんがいるところで飲もうか)

(はい…)

(それと、飲んでもグラス二杯まで。どうやらそれが君の限界みたいだから)

(分かりました…)

(決して飲みすぎたり、僕らのいないところで飲むことのないようにな)

(…あの、僕本当に失礼をしなかったんですか…?お二人にご迷惑をかけたんじゃ…)

((それはない))

(は、はぁ…)