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のらくらり。

とくん、とくん、とくん

2019.12.03 13:59

ルイスの心臓の音を聞いて安心するウィリアム。


屋敷の人間が全員寝静まってしばらく経った深夜の時間。

珍しくベッドで横になって眠りに就いていたウィリアムは、夢見が悪く魘されてからはっと目が覚めた。


「…はぁ」


横になっていた体を起こして額に手を当てる。

夜目は効かないが注意深く周囲を見渡すと、しんとした空間は慣れた自分の部屋に間違いなかった。

ウィリアムは気だるげに瞳を伏せ、先ほどまで脳内に広がっていた光景を振り払うように頭を動かす。

深く深く息を吸って、時間をかけて肺の中にある全ての空気を吐きだすように呼吸をした。

夜でも怪しく揺らめく緋色の瞳をそのままに、ウィリアムはベッドを抜け出して部屋を出る。

近くには身に纏うためのブランケットが置かれているが、それには目もくれず冷えた空気の中を歩いて行った。

何よりも嫌悪するこの世界で生きていくことを決めたのは、正された美しい世界を見るため。

それに間違いはないし、住む人間が変わればきっとこの国は美しい姿を魅せてくれる。

歪んだ階級制度の元を絶てば望む世界になる。

自分ならば実現できる、実現させてみせる。

実現させたい理由などいくつも思い浮かぶけれど、まず第一に思い浮かぶ理由はウィリアムの実弟であるルイスのためだった。

無垢な弟には無垢なままで美しい世界を生きてほしい。

ルイスならば美しい英国が似合うに違いないのだ。

誰よりも大切で愛しい弟のために美しい世界を作り上げてみせることなど、ウィリアムにとっては雑作もない。

自分にとって唯一の家族だった彼のためならば、自分の手などいくら汚しても構わないし、どんな手間も厭わない覚悟がある。

ルイスのためならば何でも出来ると、ウィリアムは確かな信念を持って生きてきた。

それはきっと、目的が達成されるその瞬間まで続くのだろう。


「…よく寝てる」


ウィリアムは冷えた廊下を短い距離だけ歩き、目的の部屋の扉を開けて戸惑うことなく中に入る。

足を進めたその先には、毛布に包まれて小さな寝息を立てるルイスがいた。

随分と大人びた色気を醸すようになった弟だが、それでも寝顔は昔と変わらずに幼く見える。

それはウィリアムが兄であるがゆえなのか、元々幼いのかは分からない。

けれど、安心したように息をしたウィリアムにとってはどちらでも良いことだった。

心臓が弱かったあの頃のルイスよりも、今ここにいるルイスは確実に年を重ねているのだから。

少しだけ開いた口元から微かに空気が漏れて、濃い金髪を揺らしているのが目に入る。

頬を擽っている髪を梳くように撫でてみると、無意識なのか、ルイスは瞳を開けずにその手に擦り寄ってくれた。

その顔が穏やかに見えるのは気のせいではないだろう。

何より、気配に敏感なルイスが起きることなく眠りに就いている姿が無防備で可愛らしいと思う。

ウィリアムはルイスの髪を優しく掻き上げ、人形めいて整っているその顔にキスをした。


「ん…」

「ルイス?」


唇を深く重ね合わせるようにキスをして顔を離すと、ルイスの唇から吐息のような声が漏れ出た。

起こすのは申し訳ないが起きてほしい気持ちもあるため、このキスで起きてしまったのなら好都合だ。

そう考えて額を合わせながらルイスの瞳が開くのを待つが、次第に先ほどと同じような寝息が聞こえてくる。

すぅすぅ、と規則的な寝息が顔にかかり、くすぐったさと期待を裏切られた愛しさでウィリアムの口元が緩んだ。

ルイスの鼻先にもう一度キスをしてからウィリアムは身体を起こした。

見下ろすように弟の顔を見るウィリアムの顔は酷く穏やかだ。

寝る前はウィリアムの身体を心配して「今日はベッドで寝てください!」と叱ってくれたルイスも、今はよく休めているのか小さな寝息をたてるのみだ。

その幼い寝顔を見て、ウィリアムは先ほどの夢見の悪さが解消されるような心持ちだった。


「…ルーイス?」

「…んぅ…」


この幼い睡眠を中断させるのはどうにも忍びない。

だが、今はどうしてもその濃い色をした瞳に自分を映してほしいのだ。

そしてその心臓の鼓動を満足するまで聞かせてほしかった。

ウィリアムはなるべく小さな声で彼の名前を呼ぶがあまり効果はないようで、ルイスは耳馴染みの良い声を聴いて安心したのか、枕に顔を埋めるようにして一層深い眠りに就こうとしていた。

その仕草に思わず苦笑したウィリアムはそっと肩を押して、ルイスの体を仰向けにして覆い被さるようにその身を重ねる。

体重をかけずに触れ合うだけのそれは、ルイスの睡眠を妨げることはなかった。

起きないのならば、自然に目が覚めるまでは休ませてあげるのもいいだろう。

ウィリアムは彼のナイトガウンのボタンを上から順に外していき、手術痕を中心に左胸を露わにした。

そして手術痕のすぐ隣に目をやり、暗闇でも何となく判断できる程度に色づいた部分に唇を落とす。

親指の先程度の大きさしかない薄い痣は、以前ウィリアムが付けたキスマークだった。

屋敷での執務を中心に働くルイスの肌は白い。

時期によっては腕が日焼けしていることもあるが、今の時期はまず間違いなく全身白いだろう。

特に日の当たる機会のない胸元は彼本来の色を示しているはずだ。

その肌の白さを、ウィリアムは一等好ましく思っている。

ちゅう、と軽く吸い付いただけで独占の証である跡が付くのだから、ウィリアムの支配欲を心地よく満たしてくれるのだ。


「ん、ん…?」


ウィリアムは以前付けた跡を舌でなぞるように舐めていき、白い肌に唇を合わせてから歯を当てて吸い付いた。

跡を残すだけならばさほど力もいらないのだが、それを理解しつつ余計に吸い付いてみると、普段よりも生々しい音が部屋に響く。

だらんとベッドに落とされていたルイスの腕が宙をさまよい、たまたま触れたウィリアムの肩に添えることで落ち着いた。

さすがに起きたかな、とウィリアムは横目でルイスの腕を見て、ぴちゃりと響くように舌を這わせてから顔を上げる。

目に入った顔はまだ瞳を閉じているが、眉を顰めている様子は意識が浮上していることを知らせていた。


「ルイス」

「…ん、ぁ…にぃ、さん…?」

「うん」


耳元に唇を寄せて名前を呼べば、ゆっくりと睫毛を震わせてルイスの瞳が現れた。

月明かりの中でようやく分かる濃い色に映る自分の姿に、ウィリアムは安心したように微笑んだ。

起き抜けに兄に微笑まれたルイスは状況を理解できていないが、優しく微笑む彼を間近で見て嬉しそうに目元を赤らめる。

肩に添えていた手をそのまま首元にずらし、兄を見上げ首を傾げて問いかけた。


「兄さん…どうしましたか?」

「あまり夢見が良くなくてね」

「悪い夢を見たんですか?どんな夢でしょう」

「そうだね…」


まだ眠気があるだろうに起こしたウィリアムを咎めるでもなく、柔らかく微笑んで抱きついてくる姿が健気で愛しい。

ウィリアムに対し全幅の信頼を寄せているルイスの存在が、どれだけウィリアムの心を救ってきたか彼は知らないだろう。

どんなことがあってもウィリアムに付いていくと、幼いながらもそう言ってくれたルイスが誰より大切で愛おしい。

ルイスがいたからこの英国で生きていこうと覚悟を決めて、ルイスのために彼に似合う国にしてみせると決心した。

だけど、それは今この場にルイスがいるからこそなのだ。

彼が病弱であり、ろくに治療を受けることも出来ないままだったら、今ここに成長した彼はいなかった。

ウィリアムは愛しい気持ちと同じくらいに切ない気持ちを抱え、今しがた彼の手術痕のすぐ近くに付けた跡に視線を落とした。

白い肌に映える濃い色は、明るい中で見ればさぞ鮮やかなのだろう。

思っていた通り綺麗についたそれに気を良くして、ウィリアムは親指でゆっくりとなぞっていった。

この跡はルイスをこの世界に、何より自分に引き留めるための枷のようなものだ。

常に色づいていないと安心出来ない。


「…?あ、跡、付けました?」

「うん。暗いから分かりづらいけど、綺麗に付いていると思うよ」

「そうですか。明日見てみます」


さっきの快感はそれだったんですね、と納得したように表情を変えるルイスは、この跡に込められたウィリアムの想いを知らないのだろう。

彼はこの兄になら何をされても良いと、盲目的なまでに信頼している。

事実ウィリアムはルイスに無体を強いることは一切ないし、常に惜しみなく愛情を注いでいるのだから、無条件な信頼に値するのだ。

兄に付けられた跡を喜んでいるルイスは、大人びた風貌に昔と変わらない笑みを浮かべている。

それが無性に怖くなり、ウィリアムは彼の手術痕に耳を寄せてからその背を抱きしめた。

細いけれど、確かに大人の体をしているルイスの肉体が嬉しくて愛おしい。


「兄さん?どうしました…?」

「…ちゃんと動いてるね。ルイスの心臓の音だ」

「兄さんは心配性ですね…もう大丈夫ですよ、僕の心臓はちゃんと機能しています」

「そう…良かった」


ふふふ、と兄に苦笑するルイスは、ウィリアムの恐怖を知らない。

とくん、とくん、と力強い鼓動を耳で感じられることがどれほど奇跡的なのか、ウィリアムを安心させるのかを、知らないのだ。

昔は少し走っただけで息を荒くして座り込んだ。

無理をすればすぐ倒れ込むように崩れ落ちたし、苦しそうに顔を歪めても心配させないよう懸命に笑おうとしていた。

その顔を見る度に、ウィリアムがどれほど絶望したかルイスは知らない。

教えるつもりもない。

あの頃のウィリアムはルイスに無理をさせず、そして確かな治療を受けさせるためにはどうすればいいのか、常に頭を働かせていた。

無条件に自分を慕ってくれる可愛い弟がいない世界など何の価値もない。

大嫌いな英国で生きる覚悟を決めたのはルイスがいたからだ。

ルイスとともに生きるため、この英国を変えようと決意した。

「兄さん」と無邪気に笑う弟にどれだけたくさんの感情を貰ったのかわからない。

ルイスのためなら何でも出来る、してみせると、ウィリアムは幼い頃から確信していた。

だがそれも、ルイスがいなければ意味がないのだ。

病弱な弟を見て、いついなくなってしまうのかを考えなかった日はない。

治療を受けるのが先か、それとも症状が悪化してしまうのが先か、頭を悩ませてばかりの毎日だった。

アルバートに拾われ何とか治療を受けさせ、そうして完治を言い渡された今でも、まだどこか夢見心地だ。

ウィリアムの中では未だルイスは幼く病弱なイメージが強い。

それはもう根付いてしまった恐怖ゆえのイメージだった。

あの頃のウィリアムはこの愛しい存在をなくす夢を何度も見たし、今でもこうして夢に見る。

他人には澄ました顔で接するルイスが柔らかく表情を変えて自分を見る姿が何より大事なのに、それと同時に苦しそうに顔を歪める幼い頃のルイスが脳裏をよぎる。

息を荒くして崩れ落ちる様を何度も見てきたのに、夢でも見るのだ。

恐怖、以外の何ものでもない。


「…思ってなかったから」

「え?」

「一緒に大人になれるなんて…思わなかったから」

「…兄さん?」


絶対に適切な治療を受けさせる、と決意して頭を働かせていた幼い頃の自分を思い出す。

嘘ではない。

明るい世界を信じて生きていたが、それでも周りの環境ゆえに信じ切れなかった部分はあったのだ。

苦しそうに息をする弟と一緒に大人になりたいというウィリアムの願いは、分不相応な願いだった。

生きることすら選ばれたものの資格という、そんな非情で悲しい世界が今の英国だ。

一緒に生きて一緒に大人になりたいという願いすら人間を選ぶ国など、あっていいはずがない。

今こうして一緒に大人になれたルイスを抱きしめて、ウィリアムは強くそう思う。

あのときアルバートに拾われなかったら、きっと今ウィリアムの隣にルイスはいない。

そう考えると身が凍るほどに恐ろしかった。


「生きてくれて嬉しい。一緒に大人になれて嬉しい。今こうして僕の隣に居てくれて、嬉しい」

「兄さん…?」


ルイスの顔を見ることなく、その鼓動を聞いたままウィリアムは静かに呟いた。

力強く聞こえる鼓動はこの世界で何より愛しい音だ。


「ありがとうルイス。他の誰より、君がここに居てくれることを幸せに思うよ」

「…はい」


とくん、という一音を聞いてから顔を上げれば、穏やかに微笑むルイスと目が合う。

兄の意図を全てではなくとも察したルイスは、少しだけ悲しそうに眉を寄せた。

そんな顔をさせていることを寂しく思い、ウィリアムは身体を動かしてその顔に唇を近づける。

皺の寄った眉間にキスをすれば、緊張が解けたように眉を下げてくれた。


「ずっと心配かけていてごめんなさい。僕も兄さんと一緒に生きることが出来て、嬉しい。嬉しいです」

「うん」

「ありがとうございます、兄さん。ずっと僕のことを心配してくれて、今までずっと一緒に居てくれて、ありがとうございます」


首に回していた腕に力を込めてウィリアムを抱き寄せ、ルイスは悲しげに目元を歪めていたと思いきや、次第に晴れやかな笑顔を見せてくれた。

こんな可愛い笑顔をずっと見ていたくて、こうして大人になった今も見れていることが何よりの奇跡だ。

大切で愛おしい弟をなくすことなく今まで生きてこられたこと、そして一緒に大人になれたことが、ウィリアムにとって最大の幸福だろう。

ウィリアムは瞳を歪ませて、それでも口元だけは笑みを作ろうと表情を取り繕う。

そんな兄の様子に気付かないルイスではなく、無理をしているウィリアムの瞳に指を添えた。


「僕はもう本当に元気です。勝手にいなくなったりしません。兄さんと一緒に美しい英国を見るために頑張ります」

「…うん」

「兄さんがずっと傍にいてくれて、アルバート兄様に治療を受けさせてもらえて、こうして家族三人で過ごすことが出来る今が、凄く幸せですよ」

「…良かった」

「えぇ、兄さんが僕の兄さんで本当に良かった」


そう言って自慢げに微笑むルイスがおかしくも可愛く見えて、ウィリアムは先ほどまで感じていた寂寥感が薄らいでいくのを実感する。

こうして大人びた顔をしながらも時折見せる幼い顔こそがウィリアムの恐怖を煽っていたが、それはきっと弟ゆえの自我からくるのだろう。

ならばいつまでも恐怖を感じているわけにもいくまい。

だって彼は未来永劫、ずっと大事な弟なのだから。

ウィリアムは自然と浮かんだ微笑みを意識して深めてから、ルイスの顔をじっと見つめた。


「僕も、ルイスが僕の弟で本当に良かったよ」


愛してる。


強く抱きしめてからそう言えば、合わさった胸から温かい体温が移ってくる。

何となく感じられる鼓動に溢れんばかりの幸福を貰い、この無垢な弟に似合う世界を早く実現させなければ、と決意を新たにしては愛しい弟を想うのだった。



(兄さんが、僕の左胸にキスマークを付けているのって、僕の心臓が心配だからですか…?)

(それもあるかな…でも一番は、ルイスが僕のものだって実感するためだよ)

(僕はいつでも兄さんのものですよ)

(分かってるよ。それでも、付いていると安心するんだ。ルイスが頑張った証でもある手術痕の近くに僕が付けた跡があると、凄く安心する)

(ふふ、そうですか…ふ、ぁ…)

(ごめんね、夜遅くに来てしまって。もうゆっくり休むと良いよ)

(はい…兄さんも、悪い夢を見たそうですが大丈夫ですか…?)

(うん、もう大丈夫だから。今日はこのまま一緒に寝ようか)

(本当ですか?嬉しいです…)

(おやすみ、ルイス。良い夢を)

(おやすみなさい…兄さん)