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のらくらり。

おやすみなさい、良い夢を

2019.12.03 23:31

ウィリアムがジャック先生に頬っぺた抓られた後の話。

ウィルイスがすやすや寝てる。


ウィリアムの睡眠は大きく分けて二種類ある。

一つは溜めこんだ疲労を回復させるため自主的に眠りに就く極一般的なものであり、もう一つは働かせすぎた頭脳により気力がゼロになることで意識を失うように墜ちるものだ。

前者は週の半分もあれば良い方であり、ルイスの頭を悩ませている要因にもなっている。

後者は類い稀なる頭脳を持つウィリアム特有の性質と言って良いだろう。

ほとんど前触れもなく突然眠りに就き、僅かの時間だけ入眠できればすぐ目を覚ます。

通常の眠りよりもよほど深く入眠しているためか、何をしても起きることがない。

よってウィリアムが突然寝落ちた場合には放っておく、というのがモリアーティ家に関わる者の暗黙の了解となっていた。

短時間で目覚めることが分かっているため、静かに寝かせておくのが最も効率が良いと理解しているからだ。

ウィリアム自身もそれを知っており、敢えて付け加える点もないため全員の好意に甘えていた。


「兄さん、頬を抓られても起きないというのは些か無防備すぎませんか?」

「そうかな。僕が眠るのはこの屋敷の中だけだし、屋敷に出入りをする人間で危険な人間はいないだろう?」

「それはそうですが…」

「なるべく気を付けるようにはしているんだけど、どうしてもね」

「…夜にしっかり休んでいれば良いというのに」


書斎でウィリアムが読み終わった本を片付けているルイスは、先ほど見た光景に呆れたような声を出す。

読み終えていない本が山のようにあるこの書斎はウィリアムにとって楽園のようなもので、仕事や計画の合間を縫っては貪るように本を読んでいるのが常だ。

その場合、削られるのは睡眠時間である。

もう何年も続いているのだから今更改善されることはないだろうが、それでも兄の体調を慮るルイスとしては小言の一つや二つ言わずにはいられない。

久方ぶりに会った恩師も相変わらずだが、寝ている様子を晒してしっかりと頬を抓られても寝入ったまま、というのはどうだろうか。

信頼の現れと言われてしまえば次の言葉を返すに返せない。

大きな瞳をジトリと細くしてウィリアムを見るルイスの顔は、どうしようもないという諦めとそれでも何とかしなければという使命感に満ちていた。


「安心して良いよ、ルイス。今日はちゃんと日付が変わる前にはベッドに入るから」

「本当ですか?」

「僕は随分と信用がないなぁ」

「こと睡眠に関しては全くありませんね」

「手厳しいね、ルイスは」


ウィリアムは苦笑しながらルイスに弁明するが、それでも弟の疑念が晴れることはない。

そうさせるだけの前科が彼にはあるのだから。

一通りの本を棚に戻したルイスは指示された書籍を持ってウィリアムの前に立つ。

兄の顔には偽っている様子など見受けられないが、隠すことも誤魔化すことも抜群に巧い彼のことだ。

ルイスが気付けないだけで、その心内はそれとは違う感情で占められている可能性は十分にある。

じっとウィリアムの顔を見て真偽を確認しようとするルイスに気付かない訳もなく、ウィリアムは手渡された本を受け取ってから優しく囁いた。


「じゃあルイスが僕を見張っていれば良い。今夜、僕の部屋においで」


誘うように顔を上げてルイスを見るウィリアムは、赤褐色の瞳を持つ弟へ親愛の情を浮かべた顔を向ける。

ウィリアムとしては先ほどの言葉は間違いなく本心であり、その通りに行動するつもりではあった。

だが前科が多数あるゆえに、ルイスがそれを信用しないなど簡単に予想できたことである。

ならばそれにかこつけて可愛い弟を一晩独占するのもいいだろう。

ウィリアムは目の前で目を丸くして己を見るルイスを楽しげに見返した。


「…仕方ありませんね。では僕がしっかりと兄さんが眠っているかどうか、確認するといたしましょう」

「ルイスが見張ってくれているなら間違いない。消灯したら待ってるよ」

「えぇ」


ウィリアムのいきなりの誘いに驚いたルイスだったが、すぐに兄なりの甘えだと気が付いた。

それに付随して、おそらくは自分に対する甘やかしも多分に含まれているのだろう。

少しの見栄を張ったルイスは、あくまでも「兄さんを監視する」という名目を崩さずに了解の意を返す。

対するウィリアムはルイスの意図には簡単に気付いたが、嬉しそうに赤く染まったその目元には気付かないふりをしておいた。

口角の上がったルイスは机に散らばった資料を機嫌よく纏めており、ウィリアムは本を片手にその姿をじっと見つめる。

好かれている自信はこれ以上ないほどにあるのだから、自分の言葉でルイスが喜ばないはずがない。

今までずっと一緒に生きてきたというのに、未だに一つ一つの出来事を嬉しく感じている無垢なルイスがウィリアムにとっては何よりも愛おしかった。

体を重ねることなくただ隣合って眠るというのは昔を思い出してどこかくすぐったい。

だが、それがたまらなく心と体を癒してくれるという事実を二人は知っているのだ。

ルイスは自分に向けて優しく微笑んでいるウィリアムを見て、淡く笑みを返してから資料を手渡した。




「…兄さん、起きてますか?」

「…」


屋敷内の全ての灯りを消したルイスはウィリアムとの約束通り、その足で彼の寝室へと足を運んだ。

ベッドに凭れて何かの紙束を捲っていたウィリアムにむっとした視線を送れば、元々集中していなかったのかすぐにその紙束はサイドテーブルに置かれることになる。

部屋の奥へ足を進めたルイスはランプと眼鏡を紙束と同じ場所に置き、灯りを消してから兄の待つベッドへ潜りこむ。

するとすぐさまウィリアムにその体を抱きこまれた。

そうしていくつか言葉を交わしていると、「おやすみ」という声とともに額に唇を落とされる。

暗い室内では軽やかなリップ音がよく響く。

同じように返すべきかとルイスが一瞬だけ思案していると、すぐにウィリアムの瞳が閉じてしまった。

思っていた以上にすんなりと眠ろうとしている兄に拍子抜けしたルイスを余所に、ウィリアムからは次第に規則的な寝息が聞こえてくる。

腰を抱いている腕から察するに、さすがにまだ完全には寝入っていない。

だが基本的に寝つきの良い彼のこと、このまま数分もすればすぐに深い眠りにつくのだろう。

監視も何も普段からこの調子で毎晩眠ってくれればいいのに、とルイスは目の前で整った容貌に穏やかな寝顔を浮かべている兄を見る。

美しい緋色は隠されているが、それでも抜群に綺麗な顔は見ていて飽きない。

優しく微笑んでいるか威圧感のある表情をすることが多いウィリアムの寝顔は、普段よりも随分と幼く見えた。


「兄さん」

「…」

「(…返事がないということは、もう寝ているんですかね)」


見目麗しい兄の可愛い寝顔を間近で見れたルイスは気分が良い。

それに付け加えて、思っていたよりもすんなり眠ったことも嬉しさに拍車をかけていた。

日頃からウィリアムの部屋でこうして共に眠ることはあるが、ほとんどルイスの方が先に寝入ってしまう。

元々宵っ張りで睡眠自体を面倒だと感じている節のあるウィリアムは、規則正しい生活リズムを築いているルイスに比べれば格段に起きていることに慣れているのだ。

朝食の支度をするルイスは早くに寝る習慣があるし、体を重ねた後は心地よい疲労感のままいつのまにか眠りに落ちている。

ウィリアムが突然寝落ちる姿はよく見るため寝顔そのものは珍しくないが、こうして抱きこまれながらベッドを共にして見るウィリアムの寝顔は珍しかった。

ルイスは夜も遅いというのに目を輝かせて、自分を抱いて眠る兄を見る。

目が悪いことも相まって視界にはウィリアムしかはっきりと映らないが、今この状況ならばそれで十分すぎるほどだ。

そして昼間、師がやっていたようにその滑らかな頬に手を寄せた。

さすがに抓るような真似はしないが、手触りの良い頬に触れても何の反応もないことに胸が高揚する。

寝入ったウィリアムが簡単なことでは起きないことを、ルイスはずっと昔から知っている。

きっともうしっかりと眠ってしまったのだろう。

だからこれからする行為もウィリアムに気付かれることはない。

兄の眠りを確信したルイスは頬に手を添えたまま、薄く開いた唇に自分のそれを押し当てた。


「…おやすみなさい、兄さん。良い夢を」


軽く触れるだけのキスは音もなく可愛らしいだけのものだった。

それでもウィリアムではなくルイスに主導権があるというキスは希少だ。

薄いけれど柔らかさのあるウィリアムの唇に触れて、まずは先ほど返せなかった眠前の挨拶を返す。

ウィリアムは先ほどと変わらず規則正しい寝息を立てており、ルイスの声など届いてはいないだろう。

けれどそれでいいのだとルイスはもう一度唇を寄せて、今度は薄く色付いているそれを舌で軽く触れてみる。

起こしてしまわないよう下から上へとゆっくりとなぞっていき、名残惜しく思いながらも僅かに開いた唇の奥へは触れないよう離れていく。

そうして終わりにまた唇を重ねれば、先ほどとは違って濡れた感触がルイスの唇に広がった。

ウィリアムが起きていればこのようなルイス主体のキスは中々させてもらえないだろう。

そのことに対し不満を感じたことはないが、こうして兄を独占して思うままに触れることが出来るのはやはり嬉しいものだ。

だからといって自己満足だけが目的のキスではなく、不規則な睡眠ばかりとる兄に向けて良く眠れるように、という祈りも込めている。

ルイスは満足気に瞳を閉じてから、自らも眠るために彼の腕の中で寝心地の良い場所を探して体を動かす。

今夜はよく眠れそうだと、ルイスは温かな気持ちで意識を沈めていった。


薄暗いウィリアムの寝室には一人分の小さな寝息が微かに響く。

寝息の発生源であるベッドの中で閉じていた瞳を開け、綺麗な緋色を覗かせたのはこの部屋の主だった。

その腕の中にはさも安心した状態で寝息を立てている弟がいる。

ウィリアムは眠気を感じさせないはっきりとした眼差しで腕の中で眠っている彼を見た。

長い睫毛が月明かりで影を落としており、その整った容姿に見合う寝顔を見て、ウィリアムは先ほどの出来事を思い出す。

ウィリアムが起きているなど想像もしていないからこそ出来た大胆な行動は、控えめで常に一歩後をついてくる性分のルイスらしくないものだ。

触れるだけのものが二回と舌で濡らすものが一回。

普段のルイスならば羞恥が勝って滅多にしないようなキスだった。

だが随分と慣れた様子でキスをしたルイスの行為はこれが初めてではない。

勿論、ウィリアムもそのことを知っている。


「起きているときにしてくれてもいいんだけどね…」


いつから始まったのかを考えるとさすがのウィリアムも記憶が曖昧だが、気付いたときにはルイスからのキスは続いていた。

ウィリアムが突然寝落ちるとき、完璧ではないにしろある程度の状況認識は出来る。

師に頬を抓られたことに気付いたのも、そういう行動をとるだろうという推理よりも抓られた感覚を覚えていた要因の方が大きい。

寝落ちたときには何をしても起きないという認識が仲間内では広がっているが、実際は単に起きるのが億劫で睡眠を優先しているだけなのだ。

緊急の用件があれば惜しむことなく目を開けるが、そうでなければ適当にやり過ごす方が幾分か疲労の回復が早い。

突然の眠りでさえそうなのだから、意識的に眠るときは落ちるぎりぎりまで意識がはっきりしていてもおかしくはないだろう。

昔からそうだったのだがいつの日かを境に、眠っていることを確認したルイスが自分にキスをしていることに気が付いた。

最初は何かの間違いか単なる気のせいかとも思ったのだが、それが何度も続けば勘違いしようもない。

ルイスはもうずっと長い間、ウィリアムが眠っている最中に自分だけで完結するキスを続けている。


「…安心しきったように眠るね、ルイス」

「ん、…」

「ふふ」


ルイスを腕に抱いたまま、先ほど触れてきた唇に手をやればむずがるように顔を動かした。

起きる様子はない。

ウィリアムは愛おしげに表情を緩くして、昔から変わらない寝顔を存分に堪能する。

この可愛らしいキスがいつから始まったのか記憶にないが、それが気にならない程度にはこの習慣が馴染んでいた。

キスをされてから目を覚ましたときに見るルイスは驚くほど普段通りで、敢えて指摘することもなくただただ受け入れるだけにしている。

嫌なわけではないし、ルイスからのキスなのだからむしろ嬉しいに決まっている。

それに何より、ウィリアムには秘密にしているはずのルイスの独占欲を知れて気分が良いのだ。

起きているときよりもずっと大胆なそれは、この先も変わらず堪能させてもらおうとウィリアムは考えている。

体を預けて熟睡するルイスを抱きしめ、彼の居場所が自分の近くにあることを改めて実感する。

ウィリアムは腕の中でさらりと流れる金髪を梳いて、真っ白い頬を撫でてから彼と同じように触れるだけのキスをした。

寝入っているのは確実だが、どこか笑うように表情を甘くしたルイスを見て、ウィリアムは幸福感を得たまま今度こそ本当に眠ろうと瞳を閉じた。



(…ん…)

(あ、兄さん起きたんですね。疲れは取れましたか?)

(ルイス、この部屋にいたのは君だけかい?)

(?はい。兄様や他の方は自室にいるので、僕がお傍にいました)

(そう、ありがとうルイス)

(いえ、大したことではありません。僕、花に水をあげてきますね)

(行ってらっしゃい、頑張ってね。…ということは、僕が寝てる間にキスしたのはルイスか。どうかしたのかな、滅多に自分からはしてこないのに。…まぁいいか、可愛いし)

(兄さん、おはようございます)

(…あぁごめん、また眠ってしまったんだね)

(仕方ありません、少しでも休めるときに休まないとお体に障りますから。じゃあ僕は食事の準備をしてきますね)

(うん。…遠慮がちだったのが大胆になってきたな。バレてないと思って普段通りにしてるようだけどまだまだ甘いね、ルイスは)


没にしたバージョン。

ルイスが眠ろうとしたところから続いてます。



そんなルイスの意識を引き戻したのは、他ならぬウィリアムだった。


「…もうおしまい?」

「え、にい、さん?起きてたんですか…!?」

「何となくだけどね。随分可愛いことしてくれるなぁと思ってたのに、もう終わってしまうから。物足りなくないのかい?」


腰を強く引かれて慌てて目を開ければ、薄暗くて緋色が分からずとも愉悦に満ちた色が見える瞳と目が合った。

弧を描いている唇は先ほどまでルイスが好きに扱っていたそれだ。

とても楽しそうに自分を見詰めているウィリアムに、ルイスは軽く混乱した。

何をしても起きないはずの兄がどうして起きていたのか、ルイスには分からない。


「無意識に寝るときと違って、意識して寝ようとすればさすがに寝付くまでに時間はかかるよ」

「では、さ、最初から起きてたんですか…!?」

「まぁそうなるのかな」


別に勝手にキスをしたことを咎められるとは思ってはいない。

自分はそれが許される存在であることをルイスははっきりと自覚している。

問題は寝入ったことを確認してからしたはずのキスが、相手に気付かれていたことである。

何度か呼びかけて寝入りを確信していたというのに、完全に騙されていたことになる。

ルイスが一人納得いかないように顔色を変えてウィリアムを見れば、若干の申し訳なさを感じさせる声でウィリアムが囁いた。


「ルイスに呼ばれて起きようとは思ったんだけど、本当に眠気も来ていたからそのまま寝てしまおうと思ったんだ。そうしたらルイスが随分と可愛いことをしてくれるから、すっかり目が覚めてしまったよ」

「…それは、すみませんでした」

「謝らなくていいよ。もしかして僕が寝落ちている間にもしていたりするのかい?」

「し、してません!今回が初めてです!普段からこんな寝込みを襲うような真似、していません!」

「へぇ、そうなんだ」

「ほ、本当ですよ兄さん!」

「大丈夫、信じるよ」


申し訳なさを感じたのもつかの間、いつものようにルイスをからかうような甘い声でウィリアムは喋り出した。

抱きこまれているため離れることは出来ず、近くで懸命になるルイスを見たウィリアムの眠気などとうに消えている。

おそらくはルイスもそうだろう。

でなければ、こんなにも目を見開いて気まずそうにウィリアムを見ることはない。


「ところで」

「え?」

「さっきも聞いたけど、物足りなくないのかい?」

「物足りないって、何が…」

「どうせするならもっと深くてもいいだろう?」

「ん、っ…」


そうしてウィリアムは顔を赤くして己の羞恥に耐えているルイスと深く唇を合わせた。

本音を言えば、軽く触れる柔らかい舌の感触が物足りなかったのだ。

どうせ触れるならもっと深くまで触れ合い、互いを感じ合う方がよほどいい。

舌を絡ませて唾液を交換しようとしても抵抗のないルイスを見て、ウィリアムは機嫌よく唇を重ね合わせた。

普段から一切の抵抗をしない従順な弟ではあるが、今は己の羞恥と戦っていてそれどころではないのだろう。

ルイス主体のキスも悪くはないしむしろ大歓迎ではあるのだが、やはり元々の性分としてウィリアムは相手を翻弄する立場である側を好むのだ。

兄のなすがまま唇を貪られながら、ルイスはやはり彼には敵わないと思いながらも一つの安堵を覚える。

今回がたまたまだと強調したのだから大丈夫だろう、と強く願う。

だがそんなルイスの心情とは裏腹に、ウィリアムは可愛い弟の可愛い一面を思い浮かべた。


「(僕が眠っているときの方がルイスは積極的だな)」


気絶するように寝入っても、基本的にある程度の状況は判断できる。

ただ危害がないのであれば動かない体を推してまで咎める必要がないだけで、何をされているのかは分かるのだ。

だからルイスが触れ合うだけのキスをして、その後で何事もなかったかのように過ごしていることもウィリアムは知っている。

それを伝えてしまえばいつまでも初々しい反応をする弟からの接触がなくなってしまうことも分かる。

今回は寝落ちたわけでもなく、体も無理なく動くのだからつい起きてしまったが、もう次はないだろう。

願わくばあの可愛らしいキスだけはそのまま続けてほしいものだと、そう願いながらウィリアムはルイスの体を抱きしめた。