ふくふく、ぷにぷに
幼さを残したままの頬は真ん丸と滑らかでふくふくしている。
あまり感情を露わにすることのないモリアーティ家末弟だが、二人の兄にだけは年相応の笑顔を見せてくれることもあった。
整った顔の右頬に在る火傷跡は痛ましさを与えるが、それでも控えめに笑う頬はやはり幼くも庇護欲をそそられるのだ。
幼い顔と過激な跡は実兄であるウィリアムの心を程よく擽った。
「に、兄さん」
「んー?何だい、ルイス」
「ぼ、僕そろそろ夕食の仕込みに行かないといけないのですが」
「あぁ、もうそんな時間か…」
ウィリアムはふくふくとしたルイスの頬を気に入っている。
優しく触れると滑らかな感触が指先に届き、程よく弾力のある頬は幼子のようで気持ちが良い。
幼子のようで、と伝えればきっと子ども扱いしないでほしいと怒るだろうから、本人にはその部分を伏せている。
もう痛みはないようだから右頬にも触れたいのだが、何を気にしているのか、前髪を伸ばして隠そうとしているから触れようにも触れられない。
以前、無理に触れようとして怖がらせてしまったのは記憶に新しい。
何も気にすることはないと追々教え込むとして、今は熟れた桃のような瑞々しさを持つルイスの頬で癒されるばかりの毎日だ。
ソファに腰掛け膝に乗せたルイスの頬にほとんど無心で触れていたウィリアムは、ルイスの声で時計を見た。
ひたすらに撫でていたルイスの頬はうっすらと赤く染まっている。
「今晩は何を作るんだい?」
「今日はアルバート兄様の希望で野兎のローストを用意します。兄さん、スープはポタージュとコンソメのどちらが良いでしょう?」
「ポタージュの方が良いかな」
「ではそちらで準備しますね」
「ありがとう」
大人しくウィリアムの膝の上で頬を撫で繰り回されていたルイスは静かに微笑んで床に下りる。
撫でていたせいかよりふっくらとした頬に引き寄せられるかのように、ウィリアムは小さな頭に手をやってその弾力に擦り寄った。
頬を合わせると一層その滑らかな感触が心地よく伝わってくる。
どこか甘い香りのするルイスに一声かけてあげると、一際張り切って厨房の方へと向かって行った。
きっと夕食は豪勢なものになるのだろう。
「…時間があいてしまったな」
手持ち無沙汰になってしまったウィリアムは、先ほどまで存分にルイスの頬を愛でていた己の右手をぼんやりと見つめる。
やるべきことはそれこそ山のようにある。
だが、今は何かを進められる時期ではない。
事を急いても良い結果は残せないし、そのためにはベストのタイミングで計画を実行することが要になる。
まだ子どもであり、庇護される立場で出来ることは数少ないのだ。
本音を言ってしまえば、ウィリアムはただ単純に暇だった。
「ルイスを手伝おうにも嫌がるし」
アルバートは学業、ウィリアムは目的へのプランニングといった分かりやすい役目がある。
ルイスは二人の手が届かない屋敷の執務を担ってくれているが、兄の貴重な時間が割かれることを嫌うため、彼らが手伝いを申し出ても良い顔をしない。
僕の仕事です、兄さんは御自分のお仕事をしてください、と真面目な顔をして言われてしまえば、そこを押し通してまで手伝うだけの理由がウィリアムにはないのだ。
先ほどはルイスの手が空いてウィリアムも読書が一段落したため、丁度いいとばかりに可愛い弟を構い倒していた。
子ども扱いを嫌うが甘やかされるのは満更でもないルイスも、ウィリアムに頬を撫でられることは気に入っている。
んふふ、と嬉しそうに喉を鳴らしてウィリアムに懐いていたルイスは今この場にいない。
仕方ないか、とウィリアムは一応持って来ていた本を手に取り、ソファに深く腰掛けてゆっくりとページをめくり始めた。
そうして幾分か集中して読み進めていたところで、玄関のベルが鳴るのが耳に届いた。
時計を見ればまだ夕食には早い時間だが日は沈んでくる頃合いだ。
廊下からぱたぱたと小さな足音が聞こえてくることを合わせて考えると、恐らくは昼前から出かけていたアルバートが帰ってきたに違いない。
小さな足音はルイスが出迎えている証拠だろう。
ウィリアムも腰を上げて玄関ホールへと向かい、兄を出迎えることにした。
「お帰りなさい、兄さん」
「ただいま、ウィル。そうだ、喉は乾いているかい?」
「えぇ、多少は」
「それは良かった。ルイス、お茶の用意をお願いできるかな」
「分かりました!」
ウィリアムが玄関に着くまでの間、既にアルバートのジャケットとハットを受け取っていたルイスは元気よく返事をして踵を翻していく。
ふとアルバートの足元を見れば見慣れない紙袋が一つ置かれている。
何だろうかと顔に出ていたのか、ウィリアムの口が開く前にアルバートが正解を声に出した。
「招待された屋敷で面白い菓子を貰ってね。好意に甘えて、土産として幾つか分けてもらったんだ」
「そうですか」
「きっとウィルも気に入ると思うよ」
特別甘いものを好むわけではないが、年齢ゆえか菓子や果物といった甘いものは口に合う。
アルバートが見繕ってきたのならきっと美味なのだろう。
暇を持て余していた身としてはどんな菓子なのか興味をそそられるが、それはルイスが紅茶を用意して来るまでの辛抱だ。
ウィリアムはアルバートに近寄り、紙袋を持ってから彼と連れ立ちリビングまで歩いて行った。
「マシュマロ、というらしい」
「ましゅまろ?」
「フランスの方ではギモーヴともいうみたいだね。最近作られたばかりの菓子だから、ウィルも詳しくは知らないだろう」
「えぇ、名前は紙面で見かけましたが実物は初めて見ました」
アルバートは紙袋の中から両手のひらに余る大きさの缶を取り出し、ウィリアムに語り掛ける。
ごく最近開発されたばかりの菓子のはずだが、敏感な弟の耳には既に届いていたらしい。
さすがだな、と感心しながら缶を開ければ、現れたのは真っ白な球体をしたマシュマロである。
綺麗に並べられた六つのマシュマロは、一口大よりはもう少し大きいようだ。
見るからに滑らかな表面をしたその菓子は何かを彷彿とさせる形をしている。
「へぇ、これがマシュマロですか」
「あぁ。随分と面白い手触りと食感をしていてね、是非ウィルに食べさせたいと思って譲ってもらったんだ」
「わざわざありがとうございます、兄さん」
元より優しく穏やかなアルバートが土産を持ち帰ることは珍しくないが、末弟のルイスではなく敢えてウィリアムのために持ち帰ったということには違和感を覚える。
ウィリアムが特別大事にしているせいか、アルバートもルイスに対しては随分と甘い。
勿論ウィリアムに対しては絶大な信頼を寄せているのだが、幼い末弟に対しては無意識に過保護になっているのだ。
ルイスのためでも二人のためでもなく、わざわざウィリアム個人を狙って持ち帰ったこのマシュマロに一体何の価値があるのだろうか。
面白そうに表情を変えたウィリアムはアルバートに向かって、手にとっても?と問いかければ頷くことで返事をされる。
そうして中央のマシュマロを一つ手に取ってみた。
「これは…」
触れた瞬間に感じた弾力でまたも何かを思いだし、少しだけ力を込めてみれば簡単に形を変えるのに頼りない柔らかさではない。
思わず目を丸くして指の中にある真っ白いマシュマロを見ていると、アルバートが垂れた目元を甘くさせていた。
「兄さん、これって」
「そっくりだろう?」
「…えぇ、そうですね。そっくりです」
「これを出されたとき、どうしてもおまえたちの顔が浮かんでね。特にウィルには食べさせるべきだと思っていたんだよ」
「ふふ、何だか勿体ないですね」
ウィリアムの指の中でふくふくとした弾力をそのままに滑らかな感触を与えているマシュマロは、つい先ほどまで触れて癒されていたそれに随分と似ていた。
弾力や滑らかさは勿論、真っ白くなだらかな曲線を描いた形もそっくりだ。
一つだけ文句をつけるならば、人工的で温かみを感じさせないマシュマロよりも彼の方がよほど触れていて温かいことくらいだった。
ウィリアムほどではないがアルバートも彼に触れる機会があるため、茶菓子として出されたときに弟二人が過ぎったのだろう。
「アルバート兄様、ウィリアム兄さん、紅茶の用意が出来ました」
アルバートとウィリアムがクスクスと笑いを溢していると、その根源でもある末弟が扉を開けてやってきた。
うっすらと微笑んでいるその顔は、真っ白で丸い頬が露わになっている。
タイミングよく現れたルイスを見て、二人の兄は分かりやすく笑みを深めた。
「どうされましたか、お二人とも」
「いや何でもないよ。ありがとう、ルイス」
「茶菓子にはこれを取り分けてもらえるかな」
「分かりました、兄様」
珍しく自然と笑っている兄に首を傾げながらも、ルイスはカップを並べてポットから淹れたての紅茶を注いでいく。
たちまち辺りに華やかな香りが立ち上り、満足気に表情を変えたルイスはカップを兄の前に置いた。
その香りから察するに、間違いなく美味しく淹れることができているだろう。
そうしてウィリアムの手の中にある白いものに目をやった。
同じものが机の上にも置かれている。
初めて目にするものに少しばかり戸惑ったが、ウィリアムが抵抗なく持っているのだから問題はないのだろう。
「兄様、これは何でしょう?」
「マシュマロという菓子だよ。食感が中々面白くてね、味も良いから是非食べてみるといい」
「ありがとうございます」
一緒に持ってきた小皿にマシュマロを取り分けようと手を伸ばせば、あまり経験したことのない手触りがした。
ウィリアムがずっと手で弄んでいるのを見たときは少しばかり行儀が悪いなと思ったけれど、なるほど、これは確かに触れていたくなるのも無理はない。
弾力のあるそれにルイスは目を丸くしてマシュマロを見つめた。
その顔は先ほどウィリアムがマシュマロに触れたときとほとんど同じ顔だったのだから、本当にこの兄弟はよく似ている。
「ぷにぷにしてる…」
独り言のように呟いたルイスの言葉はしっかりと兄の耳に届いた。
子どものような形容詞だが、随分と的を射た表現だ。
未だマシュマロを片手に持つウィリアムはもう一度力を込めて、その柔らかい触り心地を楽しんだ。
「そうだね、確かにぷにぷにしてる」
「凄いですね、マシュマロって。こんなにぷにぷにしてるもの、僕初めて触りました」
「僕はよく触ってるからあまり珍しくはないかな。兄さんもそうですよね?」
「あぁ、そうだな。菓子として触れるのは慣れないが、この触り心地そのものは経験がある」
「へぇ」
ウィリアムはマシュマロ片手にルイスの頬へと手を伸ばし、良く似た感触のぷにぷにを堪能する。
つい先ほども堪能したばかりだが、相変わらず滑らかで触り心地が良い。
軽く指で引いてみれば抵抗なく伸びるところがまた愛らしいのだ。
その手を拒否することなく受け入れていたルイスは、ウィリアムとアルバートの言葉の意味を考える。
自分には経験がなくとも二人には経験があるというのはどこか寂しい気もするが、さすが自慢の兄だという誇らしさも胸にあった。
無意識にウィリアムの手に頬を押し付け、見上げるように兄を見る。
「さすが兄さんたちですね。博識なところは僕も見習わなければなりません」
「それほどでもないよ。ルイスのおかげだからね」
「僕のおかげ?ん、む」
開けた手のひらで頬を覆い、ルイスが口を開けた瞬間を狙ってマシュマロを押し当てた。
食べても良いのかと視線を泳がせたルイスから目を離さず、食べるまで離さないとばかりに指で押し当てていれば、戸惑いながらルイスが一回り大きく口を開けてマシュマロを食べる。
思っていた以上にふわふわとしているのに弾力がある食感は、確かにアルバートが言っていた通り面白い。
加えてしつこくない甘さが口の中に広がり、初めて食べる菓子だがとても美味しいことに気が付いた。
口の中のマシュマロをゆっくりと噛みしめながら目を輝かせるルイスの反応を見て、ウィリアムも満たされたように微笑んだ。
「美味しいかい?」
「、はい!甘くてふわふわしてます!」
「口に合ったようで良かった。ウィルもお食べ」
「兄さん、僕のをあげます」
「ありがとう、ルイス」
ルイスの手からマシュマロを食べたウィリアムは、想像していた通りの食感とその甘さに納得したように頷いた。
きっと実際にルイスの頬を食べても似たような食感と味がするのだろうと、そんな非現実的なことを信じられるくらいには魅力的だ。
ふくふくと丸いその頬をもう一撫でしてみれば、今度はアルバートがマシュマロのようなそれに触れてきた。
大人しくアルバートに次を譲れば、ゆったりと頬を撫でられて気持ちよさそうに瞳を閉じるルイスが目に入る。
初めての菓子を食べ、二人の兄に甘やかされて、随分と機嫌のいい末弟は丸みを帯びた頬を薄く染めて喜ぶのだった。
(…ん~、兄様、そろそろ…)
(あぁ、そうだね。ありがとう、ルイス)
(兄さんと兄様がたくさん触るから、僕の頬はどうにかなってしまいそうです)
(それは困るね。せっかく触り心地が良くて気に入ってるのに)
(ウィルの言う通りだ。叶うならずっとこのままでいてほしいというのに)
(そんなに触り心地良いですか?自分ではよく分からないんですが…)
(うん。マシュマロと同じかな)
(え、このお菓子と?)
(よく似てるよ)
(…こんなにぷにぷにしてますか?もしかして僕、太りました?)
(…何を言ってるんだい、こんな薄い体をしてるくせに)
(もっと太ってもいいくらいだよ)
(んん、わ、分かったのでもう離してください、くすぐったいです、ふふっ)