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のらくらり。

三兄弟の特訓

2019.12.04 00:06

子ども時代の三兄弟。

ジャック先生に殺人術を教わって身につけていく過程、とても良い。


自分の特性をよく顧みて、得意を覚えると良いでしょう。


耳に響く低音を思い返しながら、まだ子どもに分類されるモリアーティ家の人間は三人揃って目の前に置かれたいくつかの得物を見る。

恐らくは全て彼、ジャックの私物なのだろう。

使い込まれていながらも丁寧に手入れが施されているのが素人目に見てもよく分かった。

アルバートはその中の一つであるフォールディングナイフを手に取り、片手でロックを解除して磨かれた刃面を露わにする。

鏡のようにアルバートを映しているナイフは美しささえ感じられた。


「特性と言われても、表立って装備をする訳にもいかないからね」

「えぇ。武器の特性に自分の特性を寄せていくのが良いでしょう」

「そうなると、隠し武器がメインになるのでしょうか?」

「そうだね。幸いにも先生は暗器を中心とした近接戦闘を得意としているようだし、確実に仕留めるためにはナイフの類が一番適しているだろう」


幼い顔に似合わない黒い笑みを浮かべていたウィリアムは、弟を見て少しばかり鋭さを和らげて答えを返す。

アルバートも涼しげな瞳のまま手元でナイフを弄っており、それに倣うようにルイスも目の前の物騒な得物に手を付けた。

怪しい魅力のある対人殺傷用の得物は、今までにたくさんの人間の命を葬ってきたのだろう。

だがルイスは臆することなくそれらに手を伸ばし、両刃を持つナイフを一つ手に取った。

たまたま選んだそれは胴に隠すことが出来る短剣の一種、ダガーである。


「これは確か、切りつけるよりも刺す方が向いているんでしたよね?」

「あぁ。一度に切り裂ける力がなくとも、急所に深く突き刺せば致命傷を与えることが出来ると言っていたね」

「ルイスに向いているんじゃないかな」

「…力がなくても致命傷を与えられる…お二人とも、先生。僕、これを得意の得物にしたいです」


子どもの今でさえ恵まれた体格をしているアルバートや、健康体そのもので相応に修羅場をくぐってきたウィリアムとは違い、心臓を患っていた期間があるルイスは体力や腕力面では兄達と比べてどうしても劣ってしまう。

ジャックに人体の扱いや体術を教わり、元来の覚えの良さから卒なく技術を吸収してはいるが、兄の目もあり今一歩踏み込んだ修練が出来ずにいた。

完治しているとはいえ、術後の心臓に過度な負担をかけるのはまだ早いと主治医にも言われている。

それでもすぐれない体調を隠して動いてしまうのがルイスであり、加減を知らないルイスのストッパー役を担っているのがウィリアムだった。

一日のほぼ全ての時間をウィリアムとともに過ごしているルイスにとって、彼の目を誤魔化して鍛錬を積むことは出来ないし、例え無理を推して稽古に励んだとしてもその後しばらくの間動けなくなってしまう。

だが殺人術となれば人体の急所と武器の扱いさえ身に付ければ、劣っている体力も腕力もカバーすることが出来る。

的確に急所を狙わないと致命傷を与えられないにしろ、ルイスは小回りの利くサイズと投げ付けるためにも軽いボディをしているダガーが気に入った。

腕力に自信のない自分が重たい武器に振り回されては意味がないのだから。


「ほう。それを選ぶのですな、ルイス坊ちゃん」

「はい」

「ダガーは数センチ場所を違えただけで生き延びる確率を上げてしまわれる…その確率を下げるためには、躊躇することなく相手の急所を狙う覚悟と動きが必要になりますぞ。理解しておいでかな?」

「勿論です。無駄な動作は僕の体への負担が大きくなります。最小限の動きで致命傷を与えるためには、扱いやすい大きさのこれが僕に合っているかと思います」

「…なるほど、よく自分を顧みておりますな」

「僕たちの悲願を達成するためならば、悪を殺す覚悟は当に出来ています」


ルイスはダガーを手に持ち、自らの手に刃面を押し当ててひやりとした感触を弄ぶ。

刺突と頸部切断用に使われるダガーの刃は、少し力を込めれば簡単にその皮膚を裂いてしまうのだろう。

兄の計画を後押しするために、彼らよりも劣っている自分はそれをカバーするだけのものを身に付ける必要がある。

守られているだけの自分では、兄に必要としてもらえない。

ウィリアムとアルバートのために在ることがルイスの全てであり、そのためならば何でもしてみせる。

大きな瞳に浮かぶ信念を見たジャックは感嘆の息をつく。


「良いでしょう。この私が坊ちゃんに、ダガーの扱いを一から十まで仕込んで差し上げるとしましょう」

「ありがとうございます」


幼い末弟と師のやりとりを微笑ましく見守っていたウィリアムを見たアルバートは、ふと感じた違和感に人知れず首を傾げた。




「よくルイスが得物を身に付けることを許したね」

「どういう意味でしょう?」

「ダガーは刃先が短い。使うためには相手の懐に入り込まなければならないだろう。ルイスを大事にしている君が、そんな危険を必要とする武器を許可するとは思わなかった」


アルバートの問いかけに、幼いけれど誰よりも優れた知能を持つ弟は浮かべていた笑みを深くしては瞳を伏せた。

その手元にあるのは傘に隠された仕込み刀であり、今までと今後を考えて杖を主体としたケインソードを得意にしようとしていることが分かる。

相応の長さのある刀は武器としての安心感もあるだろう。

修練場の中央で個人指導を受けているルイスとその師を横目に、アルバートはもう一度問いかけた。


「何か理由があるのかな?」

「勿論。この世に意味のない行為など欠片も存在しませんから」

「では、僕がそれを聞いても?」

「構いませんよ」


刀を傘に隠し、常変わりない一般的なそれを携えたウィリアムは高い位置にある兄を見た。

その顔には悲哀の色は見えていない。


「僕の計画にルイスの技は不要です」

「随分はっきり言い切るね。ルイスも可哀想に」

「ですが、ルイスにも自分の身を守る手段は必要でしょう?」

「…なるほど」

「ルイスの手を穢すことは僕が許さない。でも万一のことを考えた場合、殺すのではなく自分の身を守るための術を身に付けておいてもらう必要がある。僕の手が届かないとき、ただ無惨に傷つけられては困ります」

「…ルイスも先生もそうは思ってはいないだろうね」

「そうでしょうね。でも始めに言ったではありませんか」

「何をだい?」

「護身術を教えてほしいと、僕は始めに言いましたよ」


そういえばそうだったな。

アルバートがその見通しの鋭さに感心していると、指導を終えたルイスが小走りで駆け寄ってきた。

初めての得物を思うように扱えなかったのか、その顔には悔しさが滲んではいるが挫けた様子はない。

あの子どもはウィリアムのために、何としてでもダガーの技術をその幼い体に植え付けるのだろう。

そしてその技術を兄の計画のために使おうと躍起になるに違いない。

そんな一途な弟の思いを軽くあしらい、ルイスの手は決して穢させないとウィリアムが考えていることを知ったら、あの子はどう感じるだろうか。

まだ誰もその手にかけていない、綺麗な両手のまま成長するならばそれも一興だろう。


「お疲れ様、ルイス。どうだった?」

「全く上手に扱えませんでした…先生が言うには、相手の動きを予測して動かなければならないというのですが、中々難しいです」

「時間はたっぷりあるんだから、焦らず身に付ければいい。今はしっかり休みなさい」

「はい」


鍛錬を終えたルイスを労う姿はどこから見ても理想的な優しい兄の姿そのものだった。

優しい兄だからこそ、弟の思いをあしらってまで殺人術ではなく護身術としてその技を活かそうとしているのだろうか。

アルバートはウィリアムの持つ根深い兄としての情を感じ取る。

幼くも整った顔立ちを持つ兄弟は、良く似ているようでその本質は大分違っていた。

ウィリアムはそれこそ悪魔的に残酷な側面を時折滲ませており、彼の本質を知らなければ恐怖すら感じる。

対するルイスはどこか危うげで消えてしまいそうな儚さを持っており、元来染まりやすいであろうその表情はただひたすらに無垢だった。

無垢で純粋な末弟はアルバートにしてみれば同士でありながら守る対象になるのだが、それはウィリアムにとっても同様だろう。

そしてそれがルイスにとって不本意だろうことも知っている。

アルバートとしてはルイスの望みをかなえるのも吝かではないが、忠義を誓ったウィリアムがそう願わないならば無理に押し通す希望でもない。

ウィリアムがルイスの手を穢さず、あくまでも護身術としての鍛錬を積ませたいというのならば口を合わせるのがいいだろう。

誰かを殺めるのはウィリアムとアルバートが担えばそれで済む。


「あ、兄様!次は兄様の番だそうです。得物は何を選んだのですか?」

「お疲れ様、ルイス。僕は一通りの得物を試そうと思っているから、そのダガーを貸してもらえるかな」

「勿論です!兄様ならきっと手際よく扱えるはずです」


僻むことなく兄を見つめるルイスの瞳は期待に満ちており、この瞳を生きてからほとんどの時間見つめてきたウィリアムの気持ちが少しだけ理解出来る。

可愛い弟の前で無様な姿は見せられないと、アルバートはダガーを一振りして覇気を滲ませる師匠の元へと歩みを進めた。




各々の暗器を完璧に扱えるよう、日々の修練は欠かさず行われる。

対ジャック相手では象と蟻のような力の差があるため、少しでもその差を埋めようと兄弟同士での手合せも始められた。

拮抗した技術を持つ者同士、それこそ殺す気で挑まねば意味がない。

怪我の一つや二つ、覚悟の上で臨んだ修練だった。

そんな日常の中で、ウィリアムとルイスの組み合わせも幾度となく見ることが出来た。

可愛い弟であろうと手を抜くことはせず、殺気を持ってルイスに刃を向けるウィリアムの切り替えの良さにはアルバートもジャックも目を剥いた。

容赦のないウィリアムの攻撃は、自分を一人の同士として認めてもらえるようでルイスは嬉しく思う。

ゆえに殺気には殺気で返し、完成されていない体で繰り出す技はウィリアムに傷をつけることもあった。


「あっ!ぅ、…」

「っルイス!」

「…つ、…さ、さすが兄さんですね、全く予測できませんでした」

「ルイス、大丈夫かい!?」

「だ、大丈夫です…」


アルバートの目の前で、ウィリアムの手から振られた剣がルイスの腕を深く抉った。

舞い散る赤い飛沫に一瞬だけ息が詰まるような心地がする。

勘違いでないのなら、今の攻撃はルイスにそれほど深く傷をつけるようなものでもないはずだ。

直前に膝を折ってバランスを崩すというイレギュラーさえなければ、これほど血を流すこともなかった。

ウィリアムは杖に仕込まれた剣を投げ捨て、手を付いて傷を庇うルイスの元に駆けよった。


「っは、っはぁ、は、は…」

「息が荒い…ルイス、心臓は大丈夫かい?痛みがあるのかい?」

「だ、だいじょうぶ…」

「嘘をつかないで、ルイス。発作が出たんだろう、無理をしてはいけない。医務室へ行こう」


傷よりも胸を押さえて青い顔をする弟を抱え、ウィリアムは焦ったようにアルバートとジャックを振り返った。

今しがたの手合いで違和感を覚えていた二人は心得たように頷き、一先ずの処置としてアルバートはハンカチでルイスの左腕を覆っておいた。

すぐさま赤く染まる生地に舌打ちをして、ウィリアムの負担を減らすようにルイスの体を半分支えて誘導するジャックの後を追いかけた。


「手合せにより全身の血を巡らそうと一時的に血圧が下がったのでしょう。手術を終えてからまだ二年も経っていません。あまり過度な運動は控えた方がよいでしょう」

「…ありがとうございました」


医務室に常駐する医師の診察を受けたルイスは、投薬を終えて眠りに就いている。

ベッドの上で真っ白い顔をして人形のように眠る弟の手を握り、ウィリアムは医師に礼を告げながらも視線はルイスから離さなかった。

血の気のない顔はどこか恐ろしさも感じられる。

腕に巻かれた包帯に血は滲んでいないが、思いのほか深い傷が入ったようで二針ほど縫ったらしい。


「…ルイス」

「気に病むことはないよ、ウィリアム。不幸な偶然が重なってしまっただけのことだ」

「えぇ。しばらく休めばすぐに回復すると医者も言っておりました。ルイス坊ちゃんには三日ほど休みを与えましょうか」

「…はい、先生」


十二分にルイスの様子を伺ってきたというのに、様子がおかしいと気付いたときにはもう遅かった。

剣を振り抜いた腕を戻すことは出来なかったし、だからせめて衝撃を和らげようとしたというのに、傷は存外深く出来てしまった。

孤児であった頃から隠すことが上手く、無理を通そうとしてしまう弟だからこそ、自分が慎重に見ていてあげなければならなかったのに。

ウィリアムは唇を噛んでルイスの手を握る力を強くした。


「…私は少し席を外すとしましょう。ルイス坊ちゃんが起きたらこうお伝えください。自分の体を過信する者は、最大のチャンスを逃すだろうと。今回の罰として、しばらくの武器稽古を禁止するとね」

「…分かりました。今日の訓練をこのような形で終えることになってしまい、すみませんでした」


ジャックに合わせて医師も退室し、部屋の中にはモリアーティ家の兄弟だけが残された。

休息を必要として深く眠るルイスを見ながら、アルバートはウィリアムの隣に腰を下ろす。

聡明な彼がこれほど後悔する姿など、彼と出会ってから初めて見た。


「…何を考えているんだい?」

「…自分の観察力と判断の甘さを悔いています」

「今後どうする?」

「…今までと同じように手合せ、できないでしょうね。きっと手が止まる」


静かな部屋に二人だけの声がぽつりぽつりと響いて消える。

か細いルイスの寝息だけが規則的に聞こえていた。


「…傷を負わせたことを悔いているわけじゃないんです。いつも一緒にいて、自分のことよりも僕のことを優先しようとするルイスを知っていたはずなのに、それでも直前まで気付けなかったことが、悔しい」

「ルイスは自分の体を軽く見ている節があるからね」

「だからこそ僕が気付いてあげなければならなかったのに…」


ルイス、と弟の名を呼びながら、ウィリアムは両手で冷えた小さい手を温めるように握りしめる。

小さな手で目的のために懸命になる姿を微笑ましく見守っていたが、それだけでは甘かったのだ。

体調が万全になるまでは本人の希望など無視して囲い守っていれば良かった。

ウィリアムは眉間に皺を寄せ、瞳を歪ませてルイスを見る。


「ルイスの体はルイスのものだよ」

「え?」


ルイスの手を握る腕に力を込めていると、隣から静かでよく通る声が聞こえてくる。

まるで身の程を知れとでも言うような、冷えた声だった。


「ウィルがルイスを愛しく思っているのはよく理解している。それでも、ルイスの体を扱うのはルイス本人だ。その限界を見定めるのもまた、ルイスがやらなければならないことだ」

「…兄さん」

「自分にばかり責任があると思っているんじゃないだろうね。言っただろう、これは不幸な偶然が重なっただけだと。ルイスは自分の限界を見誤った、ウィルはルイスを観察仕切れなかった、ゆえにルイスは倒れて傷を負ってしまった。ただの偶然だ、君だけが責任を負う必要はない」

「…ですが」

「ウィルの観察眼を潜り抜けるだなんて凄いじゃないか。自分の未熟さよりもルイスの成長を喜べばいい。まぁ、あまり褒められた成長でもないけどね」


冷えた声が徐々に温かみを帯びていることに気が付いた。

アルバートの言う通り、全ての責任がウィリアムに在るはずもない。

それでも、その責任を負うことが自分にとっての役割だとウィリアムは信じてきた。

ウィリアムにとってルイスは唯一無二の大事な存在だから、いつでも守ってあげたかった。

でもそれは自分の驕りだったのかもしれない。

ルイスはウィリアムの手を離れて成長しているのだ。

その成長を見守ることもまた、兄としての役割に他ならないだろう。

まさに今その役割を目の前で見せているアルバートが良い証拠だ。

彼は誰を責めるでもなく単なる偶然と片付けて、他人だけでなく自分自身すらも欺いてみせたルイスの技巧を認めている。


「…そうですね。僕がまだ未熟だとしても、上手く隠す術を今まで以上に上達させたルイスは受け入れてあげるべきだ」

「これだけの覚悟と信念があるのなら、手を穢さずともやれることはたくさんあるだろう。そしてそれを考えるのが君の役目だ。そうだろう?ウィリアム」

「…えぇ、そうですね。アルバート兄さんのおっしゃる通りです」


まだ後悔は晴れないが、幾分か気が楽になった。

ウィリアムは表情を和らげてから眠るルイスを見つめ、穏やかなその寝顔を邪魔することのないようそっと髪を撫でていく。

早く目覚めればいいと、そう願う二人の兄に見守られてルイスは懇々と眠り続けるのだった。




(…ん、ん…)

(目が覚めたかい?ルイス)

(…にぃ、さん…?にいさまも…)

(おはよう。修練場で体調を崩して気を失っていたんだよ、覚えているかい?)

(…はい。途中で胸が痛くなって、気分が悪くなって、そしたら兄さんの剣が…)

(ごめんね、思っていた以上に深く傷が出来てしまったんだ。痛むかい?)

(いいえ、大丈夫です。それより、さすが兄さんですね。避けることが出来ませんでした)

(…随分嬉しそうに言うね、ルイス)

(だって、本気の兄さんの剣を間近で経験できましたから。僕も負けていられません)

(相変わらずだね、ルイスは。言っても効果はないかもしれないけど、あまり無理をしてはいけないよ)

(分かっています兄様。でも僕もちゃんとお二人のように強くなって、いつか絶対お二人を守りたいのです)

(守る?)

(僕たちをかい?)

(いつも僕を守ってくださる兄さんたちを、いつか僕が守ってみせます。だからお二人は安心して過ごしてくださいね)

(…ふふ、そうか。ありがとうルイス)

(楽しみにしてるよ)

(はい!)