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のらくらり。

この世界で誰よりも

2019.12.04 01:38

子どもの頃のウィルイス。

誰かを殺して不安になるウィリアムを安心させるルイス。


「いっ…ぁ、はぁ、ぁ」

「っルイス…!」

「に、にぃさ、んんっ」


がぶり、と音がするほど強く噛みつかれた。

思わず「痛い」と声が漏れそうになるけれど、言ってはいけないような気がして、必死で口を噤んでは僕以上に顔が歪んでいる兄さんを見た。

その顔はやっぱりどこか悲しそうで、何かにやりきれないようにも見える。

優しい彼にそんな顔をさせたくなくて、僕は肩に噛みつかれた痛みに気付かないふりをしてその頬に両手を伸ばした。

「にいさん、ウィリアム兄さん…」

「ルイス…すきだよルイス、誰より君が一番大切だ」


僕の唇に優しくキスをしてくれる仕草には噛みつかれたときの荒々しさは全く感じさせなくて、ただひたすらに甘くて優しいだけのそれだった。

あまりに深いキスに思わず息がこぼれるけれど、それすらも追いかけるようにして兄さんの舌が僕の口内を隅々まで探ってくれる。

それがどうにも気持ち良くて嬉しくて、僕も応えるように舌を絡めてみるけれど、やっぱり息が続かなくて苦しくなってしまう。

合間を見て唇を離してはもう一度重ねてくる兄さんは、きっと僕が苦しく思うタイミングをしっかりと把握してくれているのだろう。

両頬に添えていた手を伸ばして兄さんの首に回して縋りつくと、僕よりも少しだけ大きい手が僕の頭を撫でてくれた。


「ルイス…僕は君がいれば、他には…」

「…兄さん?」

「…何でもない」


額を合わせた近い距離でもようやく聞こえるほどの小さな声は、途中で会話をやめてしまった。

どうしたのかと見上げて尋ねてみても、兄さんは綺麗に微笑むばかりで何も答えてくれない。

キスを終えたばかりで艶めいている唇が妙に厭らしく見えたけれど、ひやりと感じた唇の冷気に自分も同じなのだろうと簡単に予想がついた。


「ありがとう、ルイス」

「…何がですか?」

「君はただ、僕の傍に居てくれるだけで良いんだ」

「兄さん…?」


火傷のある右頬に滑らかな頬がすり寄せられ、兄さんは穏やかな表情で僕を抱きしめたまま目を閉じてしまった。

帰るなり僕の全身にくまなくキスをして、いくつかの歯形が残るほどに噛みつかれただけの僕の体は正直とても火照っている。

甘いキスで燻った熱を発散してもらえないことはつらいのだが、寝つきの良い彼はすっかり深い眠りに就いていた。

どこか様子のおかしい兄さんを無理に起こすわけにもいかず、せめてもの発散としてもう一度だけその唇に触れるだけのキスをする。

噛みつかれた肩がじんじんと疼くから、きっとしばらくは跡になるのだろう。


ウィリアム兄さんは優しい。

特に身内である仲間に対してはとても優しく、その中でも僕はおそらく特別扱いされているのだろうと思う。

優しい彼に冷たい目を向けられたことはないし、常に守られているような心地さえしているのだから間違いはない。

彼とともに寝るようになってからも、手酷く抱かれたことは一度もなかった。


「おはよう、ルイス。昨日は突然ごめんね。痛くなかったかい?」

「おはようございます、兄さん。大丈夫ですよ、お気になさらず」

「そう…それなら良いんだけど」

「はい」


兄さんの腕の中で目を覚ませば、既に覚醒していた彼がじっと僕の顔を見ていたことに気が付いた。

朝の清々しい光の中で微笑む兄さんの顔はとても綺麗で、思わず視線を逸らして小さく息をつく。

赤くなっているであろう頬は誤魔化しようがなく、構わず彼の顔を見返してみれば、少しばかり心配したような表情が目に入った。

恐らくは昨夜の身勝手な行動を気にしているのだろう。

気にしないでほしいと伝えても表情は晴れず、白く滑らかな頬に手を伸ばしてそっと撫でてみても変わらない。


「もう痛みはありません。だから安心してください」

「…ルイス」


普段の兄さんはとても優しくて、僕に痛みを感じさせるようなことはしない。

人の体が甘やかされることで溶けてしまうのならば、僕の体はもう何度も兄さんの手で溶かされてなくなってしまっているだろう。

兄として親として、そして唯一のパートナーとして慈しんでもらっていると実感している。

だけど極々たまに、その体に薄く血の匂いをさせているときだけは違った。

とても優しく紳士的に僕に触れてくれる彼の手つきが、あからさまに手荒になって僕の体をまさぐってくる。

きっと抑えきれない衝動を一人抱えこもうとして、上手くいかずに持て余しているときなのだと思う。

優れた頭脳を持っていても彼は、兄さんは僕と一つしか違わない、まだまだ庇護されて然るべき年齢なのだから。

だけど誰も彼を守ろうとはしないし、事実守る必要があるほど彼は弱くない。

心身共にとても優秀な能力を持っているのは間違いないけれど、一人で全てを背負えるほど彼は完成していないのに、誰もそれに気付いていないのだ。

だから僕が彼の負担を軽くしてあげたかった。

たった一人、血の繋がった弟として、彼が完成するまでの間を支えてあげたかった。

けれど僕にはそれが叶わない。

兄さんが僕に隠そうとしている大きなものは、僕が背負うにはまだまだ大きすぎるのだろう。

背負いたいものを一緒に背負わせてくれないのは、僕がまだ幼く未熟なのが原因だとちゃんと理解している。

悔しくて悲しくて堪らないけれど、兄さんの判断を僕が否定することも出来はしなかった。


「僕は兄さんのためにいます。僕が兄さんのためになるのなら、僕はそれが嬉しいんです」


遠慮なしに噛みつかれた肩にはきっと血が滲んでいるだろう。

兄さんがそれを見ればきっと自分のしたことに嫌悪して、真っ直ぐに伸びた背筋を曲げてしまうに違いない。

だから僕は何も気にしていないと必死にアピールしてみせる。

完璧だけを求める彼に後悔などしてほしくない。

何も出来ない僕が彼の負担を分けてもらえるならば、こんなことは苦でも何でもないのだから。

でもどれだけ痛くないと、嬉しいと、兄さんのすきにしていいのだと懸命に伝えてみせても、彼は僕の本心よりも起こった事実だけを気にしてしまうのだろう。


「…兄さんが僕の体に傷をつけるときは、決まって誰かを手に掛けたときですね」

「…知って、いたの…ルイス」

「分かります。兄さんのことなら何だって分かる。知っていたいと思う。…いつも、落としきれていない血の匂いがしていましたから」

「…そう」


僕はまだ、誰のことも直接殺したことはない。

機会がなかったからだ。

それが偶然なのか故意なのかは分からないけど、後方支援に徹するような現状に思うこともたくさんある。

兄さんのためならいつでもこの手を穢す覚悟を持っているけれど、まだそれは単なる覚悟でしかなかった。

けれど兄さんはとうにその両手を血に染めている。

何人もの命をその身に背負って、この巨大な大英帝国を変えようとしている。

文字通り精神を削って悲願を達成しようとしているその体は、僕とたった一つしか違わない成長過程にあるものだ。

そこらの野良猫を手に掛けるときだって僅かばかりに心が軋むだろうに、悪人であろうと同じ姿かたちをした生物の命を奪うことに心が揺らがないはずないだろう。

兄さんは優しい人だから。

悪は悪だと、必要なことだと割り切ってはいるけれど、その心にかかる負担は僕には想像出来ないほどに大きいに違いない。

それを一人抱えて乗り越えようとする姿はとても愛おしくて、誇るべきだいすきな人の姿だった。

どんな形であろうとそれを分けてもらえるのならば、僕にとってこれ以上に嬉しいことはないだろう。


「…僕には、ルイスがいてくれればそれでいい」

「はい。僕はずっと兄さんの傍にいます」

「…ルイス以外には、何もいらないんだ」

「僕も、兄さん以外は誰もいりません」

「…ルイス、君が誰より大切だ。君のためなら、何だって出来る」


この国だって君のために変えてみせると、兄さんはそう言って僕の体を抱きしめて肩に顔を埋めた。

その場所には昨夜つけられたばかりの歯形があるはずだ。

兄さんもそれに気付いているらしく、痛くもない跡を労わるようにそっと唇を添えられた。

少しずつ場所を変えて落とされる唇からは慣れた体温が伝わってきて、噛みつかれた傷が段々と治っていくような心地さえしてくる。


「僕も、兄さんのためなら何でも出来ます」

「…ありがとう。生きてくれていて、嬉しい」


寂しさの中に希望を見出しているような緋色をした彼が何を考えているのかは分からない。

でも僕は兄さんのためなら何でも出来るし、誰かを殺すことだって厭わない。

だから早く彼の負担を軽くするために僕を頼ってもらえるよう、精進していかなければならないのだ。

兄さんに頼ってもらえるような人間になることが出来れば、守られてばかりの弟ではなく彼と対等な存在として見てもらえることだろう。

そして今までもこれからも、彼が抱えきれない衝動を受け止められる存在でありたいと思う。


「兄さん、兄さん」

「何だい?」


僕を守りながら世界を変えようとする強い彼がだいすきだ。

強いだけでなく弱い面を抱えて強く在ろうとする彼がだいすきだ。

僕は彼の弟であることを何より誇りに思う。

彼にとって必要とされる存在のまま傍にいられたら、僕はきっと幸せな気持ちで生きていけるはずだ。


「だいすきですよ、この世界で誰よりも」


自分を優しく抱きしめてくれる彼に心からの本心を伝えてから、負けじとその体を強く強く抱きしめる。

僕と変わらないその体に抱えるものが少しでもこちらに流れてくればいいのにと、そう切に願いながら薄く開いた唇に自分のものを重ね合わせた。




ルイスは知らない。

ウィリアムが誰かをその手に掛けたとき、その報いとしてルイスに何かあるのではないかと、堪らなく不安に思っていることをルイスは知らない。

押し殺した恐怖と少しの罪悪感が、ルイスの肌から滲む血で癒されていることを知らないのだ。

ウィリアムはルイスが生きていると実感することで、奪った命がようやく終わったものとして受け入れられる。

誰より愛しい、たった一人の可愛い弟。

悪魔のいないルイスの世界を作るためなら、ウィリアムはどれだけ手を穢しても耐えられる。

ルイスのためなら何だってしてみせると、そう覚悟を決めて生きている。

自分の分まで綺麗なまま生きてほしいと、ウィリアムが願っていることをルイスは何一つ知らなかった。