おでこと前髪
ウィリアムは一つ下の弟であるルイスのことを大層大事に想っている。
それこそ過保護なほどに大事にしてきたし、穢れなど知らない無垢なまま成長してほしいと、成長させてみせると、小さく柔らかいその手に一片の穢れすら付けないよう尽力してきた。
そして人一倍怖がりで変化を嫌う保守的な弟が、同じだけ自分に執着するように教え込みながらともに生きてきたのだ。
「兄さんのためなら何でもします」と幼い顔に真剣な表情を乗せてウィリアムの目的を支えてくれたときは本当に嬉しかったし、「兄さんが世界で一番すきです、だいすき」と可愛らしく愛情を伝えてくれたときは誰より愛しいこの子を必ず腐敗した世界から守ってみせると決意した。
本当ならばルイスの手には誰の命も乗せたくなかったのだが、本人の持つ自我がそう望んでいるならばと、ウィリアムが愛しい弟とともに地獄に落ちようと覚悟したのはつい最近のことである。
そんな弟至上主義のウィリアムは、当のルイスの顔をとても気に入っていた。
よく似ている兄弟だと言われ生きてきたが、ウィリアムに言わせればルイスの方がよほど可愛く心を擽られる容姿をしている。
外見が似ているという自覚はある。
基本的な顔立ちはほぼ同じだし、ウィリアムの瞳が切れ長なのに対し、ルイスは瞳が大きい程度の差しかないだろう。
それでも人見知りが強くウィリアム以外には笑顔を見せることのないルイスは、常に兄の背に隠れて過ごしていた。
表に立ちたがらない、依存心が強い甘えん坊。
そんなルイスのことがウィリアムはとても愛しかったし、その可愛い顔を独り占めできると思うと、あえて積極的に前に出るよう言うこともなかった。
大きな瞳が色濃く甘くなり、ふくふくとした頬とベリーのような赤い唇が緩んで出来上がる可愛らしい笑顔は、ウィリアムだけが見られる特権のようなものだ。
神など少しも信じていないが、それでも天の使いがいるならばきっとルイスと同じ外見をしているはずだと確信すらしている。
誰にも見せたくないと、この可愛い微笑みは自分だけのものだと、ウィリアムはルイスの分まで柔和な笑みを浮かべて生きてきた。
ルイスが自分以外の誰にも懐かず、それでいて誰にも興味を持たれないよう、ウィリアム自身が表に立って生きてきたのだ。
誰しも警戒心を露わにした子どもより、にこにこ笑っている子どもの方に興味を持つものだろう。
幼いながらにそれを理解していたウィリアムは、可愛い弟ではなく自分に注目を集めるために完璧なまでの表情を身に付けた。
可愛い弟の可愛い笑顔を誰にも見せないよう、ルイスと周りの世界を断絶するために物心ついたときから尽力してきたのだ。
その甲斐あって、成長した今でもルイスは馴染んだ身内以外には表情を崩さない人間に成長した。
ウィリアムの希望通り、ルイスが見せる特別な微笑みはウィリアムが許した人間にだけ与えられるものになったのだ。
「そういえば、昔のルイスは前髪をあげていたな」
「はい。よく覚えておいでですね、兄様」
「おや、私はそんな薄情な人間のつもりはないんだが」
今ウィリアムの目の前には、長く伸ばしたルイスの髪に触れるアルバートがいる。
自分以外にルイスの世界に入ることを許した最初の人間でもある彼は、ウィリアムにとって今更嫉妬を覚えるような人間でもない。
むしろ敬愛する兄と愛おしい弟が仲睦まじく存在する様は、ウィリアムの目をこの上なく楽しませてくれた。
今もアルバートのからかうような言葉に顔を青くさせて言葉を紡いでいるルイスが随分と可愛く見えて面白い。
「は、薄情などと思ったわけではありません!ただあの火事以降は髪を下ろしていたので、あまり兄様の記憶には残らないかと思っていただけで…!」
「いや、よく覚えているよ。よく似合っていたのに勿体ない」
アルバートは勿体ないという気持ちを隠さず、伸ばされたルイスの前髪を優しく掻き上げた。
途端にはっきりと見える火傷の跡はルイスの勲章であり、ウィリアムとアルバートにとっては愛すべき傷跡でもある。
けれど兄の計画を完璧なものにするため出来た誇るべき勲章は、周囲の貴族にとってはただただ異質で煙たいだけの跡だった。
だからこそ髪を下ろして、なるべく目立たないよう努めるルイスの気持ちもよく理解できる。
当主たるアルバートに恥をかかせるわけにはいかないと、恐らくはそう考えているのだろう。
だがせっかく綺麗に整った容姿を持つ弟の顔を隠してしまうのは、ウィリアムとしてもアルバート同様に惜しい気持ちでいっぱいだった。
世界で一番可愛い弟の顔を思う存分堪能するため、幼いルイスに前髪を上げるようアドバイスしたのはウィリアム本人なのだから。
「似合っていましたか?もう随分と昔のことなのであまり覚えてはいないのですが」
「似合ってたよ、僕が何度もそう言ったじゃないか」
「兄さん」
ウィリアムは前髪を上げられているルイスの背後に近寄り、その肩に顎を乗せる形で弟の体を抱きしめた。
身長も体格もそれほど差はないが、幾分かルイスの方が華奢なせいか抱きしめた感触はどうにも心許ない。
けれど今更気にすることでもなく、もっと食べさせてあげようと密かに決めながらウィリアムの緋色は正面のアルバートを捉えた。
前髪を上げた髪型が似合うのは、輪郭と顔のパーツがすっきりと整っている人間だけである。
小さな顔に大きな目と小ぢんまりした鼻と口が形よく収められ、真っ白く弾力性のある頬が魅力的な可愛い顔。
その持ち主であるルイスならば額を出した髪型でも似合うのは当然のことだった。
可愛い顔を惜しみなく堪能できる幼い頃のルイスの髪型を、ウィリアムは今でも愛おしく思っている。
「額を出したルイス、可愛いでしょう?」
「そうだな。ルイスの顔がよく見えて良い」
「ほら、兄さんもこう言ってくれてる。また髪を上げるのはどうかな、ルイス」
「嫌です」
ルイスは自分を抱きしめているウィリアムの言葉にきっぱりと拒否をした。
左肩に乗せられた兄の顔から距離を取るように、頭を右に向けてアルバートからも視線を逸らす。
ぷい、という擬音が聞こえてきそうなその仕草は年齢の割に幼く見えた。
「傷を負ったことに後悔はありませんが、だからと言ってモリアーティ家に妙な噂が付いて回っては困ります。それに僕はお二人と血の繋がりがない孤児という設定です。顔をはっきり出して万一ウィリアム兄さんに似ていると言われてしまったとき、一体どうなさるおつもりですか」
「…まぁ、そうなんだけどね」
「…あぁ」
末の弟である自分に対してしっかりと愛情を注いでくれる二人の兄へ、ルイスは理路整然と髪を下ろしている理由を告げた。
ルイスはウィリアムが自分の顔を気に入ってくれていることを知っている。
多分アルバートも同じだということにも薄々勘付いている。
だから自分の顔が見やすいよう、前髪を上げてほしいと思っているだろうことも気付いていた。
以前から何度もウィリアムからしっかりと顔を見せてほしいと言われていたし、兄さんと同じ髪型が良いですと言った幼い自分の言葉を「駄目」の一言で否定されたこともよく覚えている。
だいすきな兄さんと同じが良いと、子どもらしくそう思っていた自分の気持ちを「ルイスの可愛い顔がしっかり見られるよう、前髪は上げていてほしいな」と希望するウィリアムに言いくるめられて同じ髪型にすることは叶わなかったのだ。
ウィリアムと同じじゃないということは子どもながらにショックだったが、それでも見えた額にキスをしてくれたからまぁ良いかと流されてしまった。
今となっては同じ髪型にしたいなどという子ども染みた我がままを言うつもりはないし、目立つ傷跡をなるべく隠せる髪型に落ち着いたのは必然だろう。
それなのにウィリアムは諦めておらず、アルバートを味方に付けてルイスに髪型を変えるよう懇願するのだから手に負えない。
昔は流されてしまったが、さすがに今流される程ルイスも甘くはないのだ。
「…理由は分かるが、それでも勿体ないな」
「えぇ。せめて屋敷にいる間くらい、髪を上げてくれても良いでしょうに」
「…」
背後のウィリアムだけじゃなく、髪を撫でていたアルバートからも残念そうなため息が聞こえてくる。
そんなに気落ちするようなことだろうかとルイスは若干の罪悪感を覚えるが、それでも自分の主張は間違っていないのだと自信を持って顔を正面に戻した。
そうして目の前に立つアルバートと視線が合ったとき、自分とは違って男らしく精悍に整った顔付きに鼓動が早くなる。
ウィリアムにしてもルイスよりよほど綺麗な顔立ちをしていて、どちらの兄もベクトルは違うけれど素晴らしく美しい容姿をしているのだ。
今更傷物になってしまった自分に構う必要などないだろうに、構いたがりなこの二人はルイスにばかり甘く優しい。
それがもどかしくも嬉しいと感じてしまうルイスは、結局は子どもの頃と同じように構われたがりなままなのだろう。
「…髪型は変えませんが、お二人しかいないならお好きなようにアレンジしていただいて構いませんよ」
自分ではしないけれど、ウィリアムとアルバートが弄る分にはすきにして良いと、ルイスは真っ白い頬を薄桃色に染めて言う。
可愛い末弟の可愛い言い分に、彼を可愛がっている二人の兄は大層気を良くして、その額と左頬にそれぞれしっかりとしたキスを落とした。
(ルイスは可愛いね、可愛い)
(んん、兄さん。僕、お願いがあります)
(何だい?)
(僕も兄さんと同じが良いです。髪の毛、下ろしたいです)
(え?)
(毎朝兄さんが僕の髪を整えてくれますけど、僕も兄さんと同じ髪型が良いです。お揃いが良い)
(…お揃い)
(はい。兄さんとお揃い)
(…その響きは惜しい、けど…駄目だよ、ルイス)
(え?な、何でですか?兄さんと一緒、駄目ですか?)
(ルイスはせっかく可愛い顔をしているんだから、隠したら勿体ないよ)
(で、でも)
(髪を下ろしたらおでこにキスも出来なくなるよ、いいの?)
(そ、れは…)
(僕はルイスにキスしたいからこのままがいいな。ね?)
(…はぃ…)