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のらくらり。

シャボンとベルガモット

2019.12.04 01:57

ルイスはシャボンの香り、ウィリアムはハーブ系統、アルバート兄様はマリン系の香りを漂わせてると思う。


屋敷での執務をこなすルイスは外出の機会がなければ香水の類を身に付けない。

ルイスが中心となって調理を担当する以上、食材の香りを邪魔することがあってはならないと考えているからだ。

しかし貴族にとって香水は嗜みのようなもので、アルバートは屋敷にいる間もほのかに色香漂うフレグランスを身に纏っている。

ウィリアムはさほど関心がないのか、ルイス同様に外出する際だけワンプッシュを己の身に振りかけている。

それでも彼は大学で教鞭を執っている身であるため、ルイスよりもよほど香水を使用する機会が多かった。

ルイスが屋敷の外に出る機会といえば、ウィリアムと揃ってロンドンもしくはダラムの屋敷を行き来するか社交界の参加、もしくは計画達成のための外出、その程度である。

他の用事は全て屋敷に業者を呼び寄せれば事が済む。

元々体臭が薄いルイスのこと、屋敷で過ごしているときには清潔感溢れるシャボンの香りを纏っていることがほとんどだった。


「お帰りなさい、兄さん。今日は早かったんですね」

「講義が一つ中止になったんだ。そのうち振り替えで遅くなる日があると思う」

「そうですか。お疲れ様です」


ウィリアムの持っていた鞄とハットを受け取り、ルイスはともに兄の部屋まで連れ立って歩く。

そうして部屋についてからそれらを定位置に置き、引き寄せられるままにウィリアムに抱きしめられた。

出掛けたときと同じ、彼が好んで使っているハーブの清涼感溢れる香りがルイスの鼻に届いてくる。

昔は慣れなかったが、今となっては兄を象徴するその香りはルイスにとっての癒しだ。

機嫌良くウィリアムの体を抱きしめ返し、堪能するように息をした。


「今日は兄さんのすきなフィッシュパイを用意しました」

「ありがとう。ふふ、モランはまた怒るかな」

「ご安心ください。文句を言われるのも面倒なので、モランさんにはミートパイを準備しています」


モリアーティ家の食を管理する立場のルイスは、基本的にメニュー選びも己の判断で決めていた。

一時期、ウィリアムが喜んでくれるあまりフィッシュパイばかりを作っていた頃がある。

さすがに連日続くとなると栄養バランスも気になったため今は控えているが、あの頃のモランの口上は中々にやかましかった。

どうやらモランはフィッシュパイが苦手のようで、二日目までは大人しく食べてくれたのだが三日目からは文句しか出てこなかったのだ。

兄さんの好物が苦手だなんて失礼な、と思いながらも、ルイスとて別に鬼ではない。

モリアーティ家の食を管理している以上、身内を飢えさせるわけにはいかないのだ。

そう考えて魚より肉を好むモランのために、わざわざ鴨肉のパイを用意したのだからもう文句は言わせない。

ルイスのむすくれた雰囲気を察したウィリアムは、苦笑しながら細身の体を抱きしめた。

もう少し肉付きが良くなってもいいのに、と数えきれないほど願ってきたくらいに弟の体は今も細く頼りない。


「そう。君が作ったミートパイの味も気になるところだね」

「では、モランさんの分を兄さんにお出ししましょうか?」

「モランに怒られてしまうよ」

「彼ももういい大人なのだから、好き嫌いを言っている方がどうかしています。ミートパイの味にも自信がありますよ」

「うーん…そうだね」


細い腰を抱きしめて暗い緋色をした瞳を覗き込めば、真剣に主菜のトレードを考えている様子がよく分かる。

ウィリアムはルイスが手を込めて作ってくれた料理を気に入っているし、面倒事がなければ弟が作る食事や紅茶以外は口にしたくないとさえ考えている。

その彼が作る自信作というミートパイは当然気になるのだが、好物であるフィッシュパイを用意してくれたのにそれを無駄にするのは憚られる。

ウィリアムのためのフィッシュパイ、根は優しいモランならば口煩く言っていても綺麗に完食するのだろう。

だがせっかく作ってくれたのだから美味しく食べてあげたいと思うのだ。

そうであればやはり自分が食べてあげるべきだろう。

その方がルイスも喜ぶし、ウィリアムとしても好物を食べられるのは嬉しい。

そう考えをまとめたウィリアムはルイスの首元に顔を埋めて、どこか甘いシャボンの香りを吸いこんだ。


「今日はフィッシュパイを貰おうかな。また今度、ミートパイを用意してくれると嬉しい」

「分かりました。今日は新鮮な魚が手に入ったので、味も抜群だと思います」

「それは楽しみだね」


ルイス自身の体臭はほとんどないけれど、清潔なシャツから香るシャボンの香りに僅かばかり混じっている甘さがルイス本来の匂いである。

昔と変わらないその匂いとこの低い体温が、何よりもウィリアムを癒してくれた。

もう一度その体を抱きしめゆっくり深呼吸をして、互いに心が満たされてから食への欲求を満たすために二人部屋を出て行った。




ウィリアムにとってルイスは生きていく上での支えであり、生きるための希望でもある。

ルイスが興味を持つのは自分であるように徹底して教え続けてきたし、見る人が見れば洗脳と言っていいほど彼の中身にまで干渉してきた。

彼の行動に自分が絡んでいないことなどほぼないと確信しているし、言い換えればルイスの行動一つ取ってしてもウィリアムの影が見え隠れしている。

生まれたときからずっと傍にいた自分の半身で、神様が置き忘れてきてしまった一人分の片割れである弟。

その彼がウィリアムにとっての拠り所であり、ありのままのルイスを愛でることがウィリアムの疲れを癒してくれるのだ。

今までの人生、飾らない彼にどれだけ癒されたかはもはや数えきれない。

帰宅してルイスの顔と声と体温と匂いを実感することは、ウィリアムにとって大事なルーティンになっていた。


「…?」

「兄さん、お帰りなさい」

「…ただいま」


普段通り仕事から帰宅したウィリアムを待っていたのはルイスで、その表情はいつもと変わらない。

だが鞄とハットを預けるために近寄ると、途端にその違和感に気付いてしまった。


「ルイス」

「に、兄さん?どうされましたか?」


元来ウィリアムは五感が鋭い。

人より視力も良ければ鼻も効くため、香りには敏感な方だ。

かといって香りへの拘りが強いわけでも匂いに参ってしまう繊細なタイプでもないため、状況判断の助けになって便利だという程度の認識しかない。

外で様々な匂いを感じてきた後の我が家なのだから安心出来るはずなのに、今のルイスからは普段とは違う香りが漂っていた。

ウィリアムは鞄を預けることなく床に置いて、その香りを確認するためルイスの首元に顔を寄せる。

普段ならば距離を作って近付くなどしないはずの兄に疑問を感じたルイスも、素直にそれを口にした。

いつものように抱きしめるでもキスをするでもなく、警戒するように顔を近付けているウィリアムの仕草は初めて見るものだった。


「…ベルガモット」

「え?」

「この香り、普段ルイスが使っている香水とは違うものだね。…ボンドのものかな?」

「あ、あぁ、よくお気付きですね」


瞳を伏せて鼻をすませていたウィリアムが顔を上げてルイスを見た。

その顔は普段の凛とした雰囲気を感じさせない些か不機嫌そうなもので、言うなればどこか拗ねているようにも見える。

あまり見慣れない兄の表情を新鮮な気持ちで見ていたルイスは、黙って自分の言葉を待っている様子に気付いて慌てたように彼が望む答えを返した。


「日中に町へ出る用事が出来たのですが、それならとボンドさんが手持ちの香水を振ってくださいました。おそらくそのときの香りがまだ残っているのでしょう」


今日の昼間、宝飾品のメンテナンスが全て終了したと電報が届いた。

ダラムに住まう職人の手で磨かれたそれらはアルバートが大事にしているものであり、なるべく早く引き取ってルイスの目でも確認をしておく必要がある。

本来ならば屋敷まで届けてもらう予定だったのだが、諸事情で届けられないということで急遽ルイスが引き取りに行くことになったのだ。

フレッドは庭師の仕事に精を出していたし、ボンドには別の仕事を頼んで帰宅したばかりであったし、モランには屋敷中の照明を磨くよう指示している。

必然と宝飾品の引き取りはルイスの役目になった。

さほど遠い距離でもないがなるべく早くに帰ってこられるよう急いで出かけの支度をしている最中、ボンドに声をかけられたのだ。

そうして二言三言の会話をして、彼愛用の香水を首元に振りかけられた。

普段のルイスは香水を身に付けないし、外出するときにだけ使うことをボンドも気付いていたのだろう。

「たまには違う香りを付けるのも気分が変わっていいものだよ」という言葉とふわりと漂うベルガモットの香りに、ルイスは戸惑いながらも了承したように頷いた。

今から愛用の香水を使えば香りが混じってしまうだろうし、混じった香りが果たして合うものなのかもよく分からない。

万一合わなかった場合を考えると敢えてブレンドする勇気は湧いてこず、ベルガモット自体はそう悪い香りでもないのだからこのままでいいかと考えたのだ。

そうして無事に宝飾品を引き取り、予定通りウィリアムを出迎える今に至った。


「ベルガモットの香りはあまり好みではないですか?」

「…ベルガモットそのものは良い香りだけどね」


普段と違う様子のウィリアムに、もしやこの香りが苦手なのかと尋ねてみても歯切れの悪い返事がきた。

だが元はボンドが愛用している香水、屋敷で生活をともにしている身内が纏う香りだ。

ボンドと接しているウィリアムが毛嫌いしている様子など見られなかったのだから可能性は低いだろう。

ならばどうしてそんなにもすっきりしない表情をしているのだろうか。

ルイスは大きな瞳に分かりやすく困惑を乗せて、兄に向けて一歩前へ足を進めた。


「兄さん?」

「…ルイス、今日は先にお湯を貰おうかな」

「え?は、はい。準備は出来ているので構いませんよ」

「じゃあ行こうか」

「は?」


至近距離でじっとルイスの言葉を聞いていたウィリアムは、分かりやすくにっこりと美しい笑みを浮かべ、ルイスを引きつれて浴室へと向かって行った。

当のルイスは元々の性分として兄の言うことに逆らうはずもなく、腕を引かれるまま足早に付いていくだけである。

いつになく強引な様子にまたも疑問が浮かぶけれど、この様子から察するにともに入浴を済ませるつもりなのは明白だ。

そのこと自体は慣れているし、戸惑うようなことでもない。


「兄さん、どうしたんですか?汗をかくようなことでもありましたか?」

「特にないよ」

「なら何故…」


寄り道して体が汚れてしまったときでなければ、夕食を終えてからシャワーを済ませるのがウィリアムの日常だ。

わざわざその日常を崩すようなことがあったのかとルイスは首を捻るが、正解を教えるつもりがないのはウィリアムの表情が物語っている。

まぁいいか、と思考を放棄したルイスはそのままウィリアムとともに浴室に入り、その全身に熱い湯を浴びた。

ボンドから分けてもらったベルガモットの香りは全て洗い流されていき、その代わりに元のシャボンの香りを身に纏う。


「ルイス、おいで」

「ん、む」


濡れた髪を適当に拭いてからウィリアムを見れば、帰宅したときとは違ってすぐに抱きしめられた。

しっとりした肌は湯を浴びた影響で温かく、洗うのに使用したシャボンの香りがする。

揃いの香りを身に纏うウィリアムとルイスは互いの体温を馴染ませるようにその肌を合わせている。

先ほどよりも随分と機嫌が良くなったウィリアムを不思議に思いながら、ルイスからもその背に腕を回して抱きしめた。


「ん、いつものルイスだ」

「…?僕は普段と変わりませんが」


ルイスから香る清潔感あるシャボンの香りは、ボディソープと丁寧に洗濯されたシャツから香るものだ。

香水で飾らないありのままの匂いこそがルイスらしく、ウィリアムはそれを気に入っている。

今も昔も不思議と甘い香り持つルイスの体を抱きしめるのが、ウィリアムにとって何よりの癒しになっていた。

ルイスが外出するときに身に付ける香水も、ウィリアムが彼に似合うものを自ら選んだものだ。

屋敷を出てもルイスの所有は自分にあると実感するために、わざわざ銘柄を指定して贈っている。

そうだというのに、先ほどまでのルイスは彼に馴染みのない香りを身に纏っていたのだ。

身内であるとはいえボンドと同じ香りを身に纏う弟など、ルイスを溺愛するウィリアムにとって許せる事案ではない。


「ベルガモットの香りをさせたルイスにはあまり馴染みがなかったからね」

「なるほど…似合わなかったでしょうか?」

「似合うと言えば似合うけど、ルイスにはいつもの香水が似合うと思うよ」

「あれは兄さんが贈ってくれたものですからね」


ウィリアムがわざわざ自分のために選んでくれた香りはルイスも気に入っている。

嗅覚が人に与える影響は大きいと聞いてからは、自分はウィリアム好みの香りをさせているのか、とより一層嬉しく思っていた。

本音を言えば、常に自分から漂うベルガモットの香りにルイス本人も違和感を覚えていたのだ。

ウィリアムの様子がおかしかった原因も同じ違和感によるものだったのかと納得したルイスは、目の前で輝く緋色の瞳を覗き込んで声を出す。


「では、すぐにシャワーを浴びたのもベルガモットの香りを落とすためだったんですか?」

「その通り。ルイスが他の香水を付けていることに我慢できなくてね」


馴染みのない香り、まして他の男の香りを纏った状態が許せるほどウィリアムは心が広くない。

それが例え身内であろうとも許容出来はしないのだ。

付き合いの長い師やモランも同様であり、例外を除けばアルバートくらいのものだろう。

ウィリアムはルイス本来の匂いを堪能するため、まだ潤っている首筋に顔を埋めて息をする。

慣れた香りに安心と癒しを実感し、感情の赴くままに吸い付いた。

ぢゅう、と強く圧をかければ細い体が痺れたように震えている。

はっきり付いたであろう跡を労わるように舌で優しく舐めあげると、吐息のような声が漏れてきた。

甘い香りに欲をそそられて食べてみたのだが、これ以上は踏み込まない方が良いだろう。

ウィリアムは顔を上げる前にもう一度ルイス自身の匂いを堪能した。


「…兄さん?」

「さぁ、そろそろ夕食にしようか。今日のメニューは何だろう?」

「あ、出かけていてあまり時間が取れなかったのでキッシュにしました。簡単なものですみません」

「いや、ルイスのキッシュは美味しいから楽しみだな」


真っ白い肌に赤く残った跡を満足げに眺めたウィリアムは、もう一度タオルをルイスの頭に被せてしっかりと髪の毛を拭いていく。

水分の抜けた髪からも良い香りが漂ってきて、ようやくウィリアムの機嫌は元通りに治るのだった。



(遅くなりすみません。夕食の準備が整いました)

(あれ、ウィル君にルイス君、もうシャワー浴びたのかい?)

(えぇ、諸事情がありまして。今、ワインを用意してきます)

(ありがとう。…ふーん)

(ねぇボンド。昼間、ルイスに香水を貸してくれたんだって?わざわざありがとう)

(いや良いんだよ。…でもウィル君のお気には召さなかったかな)

(ふふ。鋭いね、さすがボンド)

(まぁそうか、他の男の香りをさせてるなんて良い気持ちはしないからね。僕も配慮が甘かったかな、ごめんねウィル君)

(気にしなくていいよ。次はないけどね)

(はーい)