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のらくらり。

「紅茶を淹れてきましょうか」

2019.12.04 02:10

ルイスが淹れる紅茶以外は飲む価値なし、と考えるウィリアム。

ウィリアムは紅茶にだけこだわってるといいな。


「良いですか、モランさん。おそらくあと一時間後、ウィリアム兄さんの読書が一段落します。その頃を見計らって紅茶を届けに行ってください。それ以外の時間に訪ねても兄さんの邪魔をするだけなので、絶対に時間を間違えないようお願いします」

「分かった分かった。タイマーセットしたから安心しろよ」

「…その軽さでは一欠けらも安心出来ませんが、ひとまず信用します」


ルイスは出かける用意を整えて、最後の念押しとばかりにソファに座るモランへと声を張って忠告した。

本来ならばルイスがティータイムの用意をしてウィリアムの部屋を訪ねるのだが、今のルイスにはどうしても外せない所用があるため、モランにその役目を依頼しているのだ。

そうでなければ粗雑なモランに紅茶を淹れさせるはずもない。

けれどアルバート自ら命じられた頼まれごとをモランに託すわけにもいかず、ウィリアム好みの紅茶が淹れられるようレシピを記載した用紙を手渡して最後の忠告をした。


「いいですか。このレシピ通りに紅茶を淹れていただければ兄さん好みのダージリンが淹れられます。茶葉を間違えないこと、軽量を忘れないこと、沸かしたてのお湯を使うこと、カップを温めておくこと、抽出時間と蒸らす時間を間違えないこと、これは確実に守ってください」

「面倒だな、たかが紅茶一つに。もう酒で良いじゃねぇか」

「モ・ラ・ン・さ・ん?」

「わ、分かってるよ、この通りに紅茶淹れれば良いんだろ」

「一応信じていますからね、モランさん…」


ウィリアムは酒を嫌う訳ではないが、モランほど飲むわけでもない。

ましてや読書の合間に酒を飲むほど溺れているはずもない。

この言い分では紅茶に期待は出来ないだろうと、ルイスは諦めたようにため息をついた。

せめて疲れた脳への糖分補給は間違いなく行ってほしいと思い、あらかじめ用意しておいた個包装のチョコレート菓子を器に盛り付けてある。

最悪この菓子だけでも時間に間違いなく届けてもらえばいいかと、モランへの信用が限りなく低いルイスは渋々とハットを被り、後ろ髪を引かれるように屋敷を出て行った。


そうしてルイスが忠告した一時間後、彼が書いたレシピ通りに何とか紅茶を淹れたモランはウィリアムの部屋を訪ねていた。

何の迷いもなく一時間後を指定したルイスに若干の疑問を抱いたが、モランが書斎の扉をノックして瞬時に返事があったことにさすがルイスだと感心する。

ウィリアムが休憩を欲するタイミングなど、ルイスには手に取るように分かるのだろう。


「どうぞ」

「入るぞ、ウィリアム」

「モラン?どうかしたのかい?」

「ルイスがアルバートの指示で外に出てるから、代わりに紅茶を持っていけって頼まれたんだよ」

「へぇ、そうだったのか。ありがとう、モラン」


想像していた人物ではない人間が入ってきたことにウィリアムは驚くが、理由を聞いて納得したように微笑んだ。

アルバートの指示であるならばルイスは背かないし、だからと言ってウィリアムの休憩を蔑ろにする人間でもない。

ウィリアムは双方に誠実であろうとする弟を好ましく思っている。


「じゃあこの紅茶はモランが淹れてくれたのかい?」

「ちゃんとルイスのレシピ通りに淹れたぜ」

「ありがとう…と言いたいところだけど、モラン、コーヒーは淹れられるかな?」

「コーヒー?そりゃ人並みには淹れられるけどよ」

「悪いけれど、コーヒーをお願いできるかい?」

「あぁ?」


申し訳なさそうに要求するウィリアムにモランは戸惑う。

せっかく淹れた紅茶を飲む前から別のものを要求されたのだから、彼が戸惑うのも当然だろう。

ルイスの指示が間違っていたのだろうかと考えるが、ウィリアムの申し訳なさそうな表情を見て大体の察しがついてしまった。


「…そういうことかよ。分かった、淹れてきてやる。ただし、味に文句言うなよ」

「ありがとう、モラン。助かるよ」


ルイスの指示に間違いはない。

彼が指定した時間と彼が見極めてきたウィリアム好みの紅茶、どちらも寸分の狂いなく正解であるはずだ。

ただ一つ間違っているとするならば、ウィリアム好みの紅茶を淹れた人間がルイスではないということくらいだろう。

淹れた人間が違えば多少の手癖は影響するし、そもそもウィリアムはルイス以外が淹れた紅茶では好みの茶葉だろうと淹れ方だろうと興味はない。

好きなものを最高の状態で摂取したいと思うのは自然な欲求だ。

そうでないならば下手に味の上書きをしてしまうよりも、普段飲み慣れていないコーヒーを頼むのも道理だった。

そんなウィリアムの考えにモランは的確に気付いている。

ウィリアムもアルバートも今この屋敷にはいない末っ子のことを大層可愛がっているのだから、その程度のことはしてのけるに違いない。

出会った頃から何度もそんな場面を見てきたのだから仕方ないかと、モランは親切にもコーヒーを淹れるべく書斎を後にした。

察してくれたモランに感謝するとともに、ウィリアムは綺麗に盛られた個包装のチョコレート菓子を手に取って口に入れる。

甘いミルクチョコレートの味とともに、用意してくれたであろう弟の顔が目に浮かんでついつい頬が緩んでいった。


「ただいま帰りました。モランさん、兄さんの休憩には間に合いましたか?」

「当然だろ、馬鹿にすんなよ」

「そうですか…ありがとうございます」


予定した時間に帰宅したルイスは応接室で呑気に酒を煽っているモランに詰め寄るが、返ってくる言葉にまずは安堵した。

油断するといつまででも書斎に籠りきって黙々と本に熱中してしまうウィリアムの休憩は一回一回が大切な時間だ。

今日は傍に居ることは叶わなかったけれど、それでも最低限の休息は取ることが出来たらしい。

ルイスはコートとハットを定位置に置き、片付けはしていないだろうと当たりを付けて厨房へと足を運んで行った。


「…ん?これは…」


向かった先で見たものは、物として存在はするがあまりルイスが使うことのないドリップポットが汚れている様子だった。

この屋敷にコーヒーを好む人間はいない。

ウィリアムもアルバートも紅茶派だし、モランは酒でないのならば特に拘りもなく、フレッドは基本的に味のない水を好む。

新しく屋敷に住まうボンドもどちらかと言えば紅茶を好んでいたはずだ。

形としてコーヒーを淹れられるよう存在だけしていたドリップポットだったのだが、どうやら今日はまともに使われたらしい。

誰が飲んだのだろうかとルイスは首を傾げるが、思い当たる人物は一人しかいなかった。

モランの近くにカップはなかったし、今この屋敷にはウィリアム以外の人間は全て外に出ている。

ルイスは慌てて応接室に向かい、またもモランに問いかけた。


「モランさん、兄さんに紅茶を出さなかったのですか!?」

「ん?あぁ、今日はコーヒーの気分だったんだってよ」

「そ、そう、だったんですか…」


極々普通の日常会話をしているモランとは対照的に、ルイスは驚愕を通り越して白い顔を青くさせながら俯いた。

確かにウィリアムも人の子だし、コーヒーを飲みたい気分のときくらいあるだろう。

けれど、ルイスはそんな兄の様子に気付いたことがない。

いつだって紅茶を楽しむ兄の姿ばかりを見てきたから、コーヒーを飲みたがるなど想像もしていなかったのだ。


「…ウィリアム兄さんがコーヒーを飲む姿を、僕は見たことがありません」

「そりゃそうだろ。あいつ、おまえが淹れる紅茶を気に入ってるんだし」

「ですが、兄さんは僕にコーヒーを淹れてほしいと言ったことは一度もありません」

「あー…」

「きっと僕が先走って紅茶を用意していたから、我慢して飲んでくれていたんでしょう」


愛する兄の気持ちに気付けなかったことを悔やむルイスの悩みはてんで見当外れだと、モランが言うのは容易かった。

けれどその容易いことを面倒に感じたモランは落ち込むルイスの背中を押しやって、ウィリアムと直接話し合えとばかりに応接室から追い出した。

その乱暴な動作を不快に思う暇もなく、ルイスは気を取り直してウィリアムの居る書斎へと足を進めていく。

コーヒーを好むというのならこれから彼好みの味を作りだせるようにしなければならないのだから、落ち込んでいる場合ではないのだ。


「ウィリアム兄さん」

「どうぞ」

「失礼します」


扉をノックしてから中に入れば、丁度固まった体を解していたのか立ち上がっているウィリアムと目が合った。

机の上にはチョコレート菓子の包装紙がいくつか置かれていて、ちゃんと食べてくれたことにルイスはまたも安堵する。

その様子を見たウィリアムは穏やかに微笑みながら手招きをして、帰宅したばかりの弟を労った。


「おかえり、ルイス。用事は済んだのかい?」

「はい、滞りなく済みました」

「そう、良かった」


ウィリアムはルイスの手を取って、細い指に自分のそれを絡めていく。

外出していたせいか指先は少し冷えていて、温めるように握りしめれば応えるように握り返された。

そうしてルイスの顔を見てみると、少しだけ眉を下げている様子が目に入る。

言葉で表すならば申し訳ないと、そう言っているような表情にウィリアムは訝しんだ。


「どうかしたのかい?」

「…コーヒー」

「コーヒー?飲みたいの?」

「いえ、そうではなく…今日の兄さんは、紅茶ではなくコーヒーを希望したとモランさんに聞きました」

「あぁ、そうだね」


何でもないことのように、ウィリアムはルイスの言葉に肯定を返した。

コーヒーに拘りはないから、モランが適当に入れたものでもそこそこ味を楽しめたと思う。

突き詰めれば奥が深い飲み物なのだろうが、ウィリアム個人としてはやはりコーヒーよりも紅茶の方が舌に合う。

だからといって紅茶であれば何でもいいのではなく、ルイスが淹れたものに限定されてしまうのだけれど。


「ルイスがいないなら紅茶を飲みたいと思わないから」

「え?」

「君が淹れる紅茶じゃないなら何を飲んでも同じだからね。それなら味を上書きしない意味でも、他のものを飲んだ方が良い」

「そう、ですか…」


両手を握られて、ルイスの淹れた紅茶が一番だと、まるで口説くように話すウィリアムの顔は普段と変わらず至極穏やかだった。

何も特別なことではなく、普段からそう思っているのだと伝わってくる。

ウィリアムの変化に気付けず、決まりごとのように紅茶を用意してきた自分に後悔していたルイスだが、彼の言葉と表情に諭されるように瞳を揺らした。


「もし僕がコーヒーを淹れたとして、兄さんは飲んでくれますか?」

「勿論」

「では、コーヒーと紅茶ではどちらが兄さんの好みでしょう?」

「紅茶かな。ルイスが淹れてくれるダージリンがすきだよ」

「…レシピを教えたのですが、モランさんが淹れた紅茶は口に合いませんでしたか?」

「いや、そもそも飲んでいないんだ。ルイスが淹れたものでないのなら興味はないよ」


ルイスが淹れてくれる紅茶だけを気に入っていると、そう聞いたルイスはふわりと頬を薔薇色に染めた。

兄好みになるよう試行を重ねた味を、そんなにも気に入ってもらえているとは今初めて知ったのだ。

彼のために頑張りたいと願っているルイスとしてはこの上ない誉である。


「ありがとうございます、兄さん」

「?どういたしまして」


紅茶を淹れてきましょうか、と嬉しそうに尋ねるルイスが愛しくて、後でね、と返事をしてからウィリアムはその細い体を思いきり抱きしめた。

甘い香りのする健気な弟に、凝り固まっていた体と心が十分すぎるほどに解れて癒されていく。

幸福とはきっと今の状況を言うのだろうと、ウィリアムとルイスは同じことを考えながら互いの体を抱きしめた。




(いつか兄さん好みのコーヒーを淹れられるようになりたいですね)

(ありがとう。でもコーヒーだと味の違いが分からないから、今まで通りダージリンを淹れてくれる方が嬉しいな)

(では、もしコーヒーを飲みたいと思ったときには遠慮せずに教えてくださいね)

(分かったよ)