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のらくらり。

アルバートの宝物

2019.12.04 02:13

アルバート兄様に初めての手紙を書く弟達。

どうやって仲良くなろうかお互いに考えを巡らせる長男と末弟を見守る次男良き。


アルバートは物欲がない。

生きていく上で抱えていかなければならないものは極力持たない主義で、伯爵として自分を飾る物に拘りは持っていてもそれに固執することはない。

そもそも目に見えるものだけを気にかけているような人間であったのならば、ウィリアムとルイスに興味を持つことはなかっただろう。

物に固執することのないアルバートが唯一大事にしているのは見目麗しい二人の弟と、あともう一つ。

アルバートは机に飾ってある家族三人で撮った記念写真が収まっている写真立てを手に取り、その裏側に隠すように保管している一通の封筒を手に取った。

表にはたどたどしい字で「for Albert」と書かれている。

その文字を眺めたアルバートは過去を懐かしむように瞳を伏せて、腰掛けていたソファの背凭れに全身を委ねた。


アルバートがウィリアムとルイスを引き取ったとき、既に二人は文字の読み書きが出来ていた。

類い稀なる頭脳を持つウィリアムならば目にした本を元に学が付くのは当然だし、元々出来の良い頭を持っているルイスならばウィリアムの教えにより読み書き程度はすぐに身につくだろう。

けれど読み書きが出来るからと言って、孤児の身分では書く機会に恵まれることはなかったらしい。

本を読むという高尚な趣味を持つ二人に己の名前と適当な紹介文を書かせたところ、書き慣れていなかったのか、ガタガタのアルファベットが紙に記されていた。

可愛らしい顔立ちと聡明な喋りとあまりに見栄えの悪い文字のアンバランスさを見た瞬間、アルバートは思わず声を出して笑ってしまったものだ。

当然と言えば当然なのだが、字は書き続けなければ綺麗なそれになるはずもなく、アルバートはつい思い込みでこの弟達はさぞ美しい文字と文章を書くものだと決めつけてしまっていた。

そんな思い込みの中で目にしたのが稚拙で歪な文字だったのだから衝撃は計り知れない。

だが不揃いの文字列ではあるものの、スペルミスや文章の不自然さは一切ないのだから大したものである。

アルバートがひとしきり不格好な「William」と「Louis」の文字を見て笑った後で可愛い弟達を見てみれば、ウィリアムは眉を下げて照れくさそうに苦笑していて、ルイスは分かりやすく拗ねていた。

育った環境ゆえに無理矢理大人になってしまった弟二人の、年相応な子どもらしい表情。

それを初めて見たアルバートは、兄としてではなく彼らの保護者として心を擽られた。

ちゃんと彼らを真っ当に生きていけるよう支えてあげるのが当面の自分の役割だ。

そう気持ちを新たにしたアルバートは笑いの残る表情で弟二人と向き合った。


「さすがだね、スペルミスや文章の違和感は一切ない。問題があるとすればこの歪な文字達かな」

「すみません、兄さん…」

「…あんなに笑うこと、ないじゃありませんか」

「ルイス」

「…」


ウィリアムに咎められてぷいと視線を背けるルイスを微笑ましく思いながら、アルバートはアルファベット一つ一つの書き方から崩し方まで一通りを指導した。

元よりアルバートは完璧主義で、勉学に関しては学年主席を誇っている。

当然、彼が書く文字も子どもらしくなく大人びた文字ではあったのだが、だからこそウィリアムとルイスの刺激になったものだ。

伯爵家に生きる子息の文字が汚いなど、あっという間に貴族間での笑い話になってしまうだろう。

ゆえにアルバートの理想とする文字をマスターするため、ウィリアムとルイスは徹底的に文字の練習をこなしていった。

教え方の良いアルバートの指導と飲み込みの良いウィリアムとルイスのこと、すぐに誰もが感嘆するような美しい文字と文章が書けるようになる。

そうしてアルバートが合格点を出す頃には、ウィリアムもルイスも自ら納得できる程美しい文字を書いていた。

可愛らしい顔立ちと聡明な喋りに相応しい美しい文字。

幼い手から生み出されるその文字は些か大人びているようにも思うが、成長すればさほど気にならなくなるだろう。

アルバートは満足気に二人が書いた練習用の便箋に目を通した。


「アルバート兄さん、これをどうぞ」

「ん?もう練習は不要だといったはずだが…」

「いえ、これは僕とルイスからの兄さん宛の手紙です」

「手紙?君達から?」

「はい」


リビングで最後の採点だと二人の書いた文章を見ていたアルバートの元に、ウィリアムとルイスからそれぞれ一通ずつの封筒が渡された。

宛名には達筆な文字で「for Albert」と書かれている。

手紙というと、家族へ近況を報告するためのものか妬みと嫉みが入り混じったもののどちらかしかアルバートには覚えがなかった。

ちなみに前者は渋々したためていたもので、後者は時折寮に届いていた怪文書だ。

個人的に手紙を貰うことは控えていたため、渡された二つの手紙は初めてアルバートだけに向けられた文章になる。


「ありがとう。後でゆっくり読ませてもらうよ」

「はい」

「…」


可愛いことをしてくれるな、と微笑ましく思いながら礼を言って手紙を受け取る。

にっこりと微笑むウィリアムの後ろで、張りつめていた空気を一瞬だけ和らげて口元を緩めるルイスが目に入った。

双子のようにそっくりな見目麗しい弟達。

美しいものを好むアルバートにとって、この二人の容姿はそれこそ目に入れても痛くないほど気に入っている。

ウィリアムがアルバートのことを同士として信頼していることは互いに重々承知だ。

けれど小さな末弟にとって、自分はだいすきな兄さんを唆した憎い相手なのだとアルバートは解釈している。

引き取った当初から警戒心を露わにしていたし、屋敷を燃やしてロックウェル家に居候している間もしっかりと目を合わせてくれたことはない。

いずれ気を許してくれるだろうと悠長に構えていたのだが、まさか手紙を用意してくれるとは思いもしなかった。

恐らくはウィリアムに言いくるめられて渋々書いたのだろうが、それでも可愛い弟からの初めての手紙は兄として素直に嬉しい。

ウィリアムに隠れてしまっている末弟の顔を見るように顔を傾け、ありがとう、と伝えれば真っ白い頬が薄く染まって完全に顔を隠されてしまった。


「あ、あの、僕、頼まれている仕事があるので失礼します」

「そう。頑張っておいで」

「行ってらっしゃい」

「はい!」


不自然なほどのタイミングと早口で、それがこの場から逃げるための嘘だということはすぐに分かったが、特に咎めることなくアルバートは先を促した。

まぁまだこんなものかと、あからさまな態度にも努めて気にしないよう心掛ける。

ゆっくりと本当の家族になれれば良いのだから焦りは禁物だろう。

ひとまずは兄として慕ってくれているもう一人の弟に向けて、アルバートはもう一度礼を言った。


「ありがとう、ウィリアム。ルイスも巻き込んで手紙を書いてくれたんだね」

「あぁ、いえ…」

「ん?」

「これは僕の提案ではありません」

「え?」


向かいに座るよう促してからその紅い瞳を見ると、言いづらそうではあるが愉快そうな表情のウィリアムがいた。

言おうか言うまいか悩んでいるその様子も建前で、実際はどちらにするか決まっているのだろう。

戯れのような短い時間をアルバートも心地よく思いながら、手元の白い封筒に目をやった。


「アルバート兄さんに手紙を書きたいと言ったのはルイスですよ」

「…ルイスが?本当に?」

「はい」


アルバート直々に指導したというのに彼らの文字はアルバートには似ておらず、どうしてだか文字だと言うのに容姿と同じく二人似たような筆跡だった。

今まで見てきたアルバートだからこそ癖の見分けも付くが、そうでなければ同一人物が書いたと勘違いする宛名の文字。

それを眺めていたところで、アルバートにとって驚くべき事実が耳に入ってきた。


「ルイスがどうして僕に手紙を?」

「さぁ…大方、兄さんに直接言えないことをお伝えしたかったんじゃないですか?」

「…」


個人的に手紙を貰ったのは初めてのことで、それが初めて出来た本当の家族同然の可愛い弟達からのものだということに、アルバートは少しだけ浮かれていた。

だが、ルイスからの提案だというこの手紙。

途端に重苦しいような、気が引けてしまう遠い存在に感じられた。


「…何だろうね。恨み節でも書かれているのかな」

「はい?」

「僕はあの子に良く思われていないことを知っている。僕なりに優しくしてあげていたけれど、何か不満でもあるんだろう」

「兄さん?」


その言葉が思っていたよりも苦々しく口から漏れたことに、アルバート本人は気付いていないのだろう。

この場にいたウィリアムだけが気付いたことであり、同時にあの凛とした長兄が僅かとはいえ傷ついたような表情を見せたことにも驚いた。

感情をコントロールすることに長けた人間だと思っていたが、それはウィリアムの思い過ごしだったらしい。


「おそらく、唯一の家族である君を僕が奪ったとでも思われているんだろう」

「…ルイスがアルバート兄さんに今でもそんな感情を持っているとは思えませんが」


確かに、過去のルイスならばそんな感情を抱いていたかもしれない。

けれど今のルイスを見るに、ただ新しく出来た兄の存在に戸惑っているだけのように思う。

ウィリアム以外に家族のいなかったルイスに、もう一人の兄が出来たのだ。

それがアルバートであることにウィリアムは安堵しているし、きっとルイスも心の奥では嬉しく思っているに違いない。

ただ少しだけ、距離の詰め方が分からなくて思い悩んでいるだけだ。

直接彼と話すのはまだハードルが高くて、けれどアルバートの弟として相応しい存在であるため懸命に頑張っている姿をウィリアムは一番近くで見ている。

この手紙もアルバートに近づきたくて考えた末の結果なのだろう。

可愛い弟の可愛い努力を微笑ましく思っていたウィリアムだが、存外兄であるアルバートも鈍感だった。

兄と弟の見事なまでのすれ違いに気付いた瞬間、ウィリアムは年相応にくすくすと笑い声をあげて彼を見た。


「どうかしたかい?」

「ふ、ふふ…いえ、何だか面白くてつい…すみません、兄さん」

「いや…」

「それほど気になるなら後でと言わず、今読んでみてはいかがですか?」

「ウィリアムはルイスの書いた手紙の内容を知っているのかい?」

「残念ながら、僕にも内緒だと言われてしまったので。でも内容の見当は付きますよ」

「…では、読ませてもらおうか」


アルバートは恭しくルイスからの手紙の封を開け、一枚だけの便箋を手に取った。

ぱっと見た限りはただただ美しい文字が書かれており、中傷が書かれているとは思えない出来栄えだ。

あまり文字の意味を頭に入れたくはないなと考えつつ、アルバートは気を持ち直して深みのある色をした瞳でじっとその文章を見やった。


『アルバート様

 僕の病を治すきっかけをくださったこと、本当に感謝しています。

 改めてお礼を言うべきだと分かっているのですが、まだ直接お伝えする勇気が出ないのです。

 アルバート様に教えていただいた文字で伝える無礼をお許しください。

 優しくしてくれたこと、手を差し伸べてくれたこと、勉強を教えてくれたこと、お菓子を分けてくれたこと、衣服の見立てをしてくれたこと、淹れた紅茶を美味しいと言ってくれたこと、僕に対して「ありがとう」をくれたこと。

 一つも忘れていません。

 とても嬉しかったのに、上手く返事が出来なくてごめんなさい。

 アルバート様のことを心から尊敬しています。

 今まで頂いたことへのたくさんの「ありがとう」を、これから返していきたいと思います。

 アルバート様、僕を家族にしてくれてありがとう。

 ルイス・ジェームズ・モリアーティ』


数秒で読み終わる短い文章なのに、アルバートはたっぷり五分はその文字達に釘付けになった。


「どうでしたか?」

「…思いもしていなかったことが、書かれている、な」

「それはそれは…ルイスが書いた手紙は兄さんに不快な思いをさせていないでしょうか?」

「不快どころか」


とても嬉しい、と小さく漏れた声にウィリアムは機嫌よく微笑んだ。

隠すのが上手なルイスだからこそ、ウィリアム以外には気付かれていないのかもしれない。

それでもルイスがアルバートに弟として好意を持っているのは一目瞭然だった。

大事な弟を守る存在が自分以外に出来るのならばウィリアムとしても助かるし、それがアルバートならば信用に足りる。

珍しく歓喜に彩られた表情を見せるアルバートを見て、更なる喜びを与えるべくウィリアムはもう一通の封筒を彼に手渡した。

宛名に書かれた文字はガタガタと歪な文字で、まるで子どもが初めて書いたようなそれだった。


「これは?」

「僕達がアルバート兄さんから字を教わる前にルイスが書いていたものです」

「そうなると少し前のものだね…どうしてこれを僕に?」

「初めて僕達が文字を書いたとき、兄さん笑っていたでしょう?あのときのルイス、凄く拗ねていたんですよ」

「そういえばそうだったね。あまり気にしていなかったけど」

「兄さんのために手紙を書いていたのに字を笑われてしまって、これじゃ手紙なんて渡せないって拗ねていたんです」

「え?」

「兄さんに笑われない文字を書いて手紙を贈りたいって、毎日毎日必死で練習していました。だからこの手紙はアルバート兄さんに字を習う前、正真正銘初めてルイスが書いた手紙です」


恐らくこれはルイスの中では渡すつもりのない、もう捨てたはずのものなのだろう。

だがウィリアムがそれを許さず、いつかのためにルイスに内緒でとっておいた手紙なのだ。

せっかくの機会だからとこのタイミングでアルバートに渡したのは余計なお節介だったかもしれない。

けれどウィリアムとアルバートにしてみれば今がベストのタイミングだ。

アルバートは高揚した気持ちのまま渡された手紙の封を開け、一枚の便箋に目を通した。

そこには先ほど読んだものとは対照的なほど稚拙な文字で短い文章が綴られている。


『アルバート様

 僕を弟と呼んでくれてありがとうございます。

 アルバート様の弟として相応しくなれるよう頑張ります。

 だからいつか僕もウィリアム兄さんのように、あなたをお兄さんと呼ばせてください。

 ルイス・ジェームズ・モリアーティ』


先ほどのものとは違い、随分と直接的なこの文章はきっとルイスの欲求そのものなのだろう。

歪な文字だからこそ伝わる幼い末弟の思いがアルバートの心に染み渡っていった。


「ふ、ふふっ…はは、可愛いものだな、僕達の弟は」

「おや、今度は何が書かれていたんですか?」

「読んでいないのかい?ではこれは僕だけの秘密にしておこう」

「ずるいですね、兄さんは」

「たまには、ね」


ルイスが書いた初めての手紙が自分宛ではなくアルバート宛であることに、ウィリアムは特に嫉妬を覚えるわけでもない。

書かれている内容には予想が付くし、その程度の内容であるならば直接言われているのだから今更だ。

むしろ今は可愛い弟の存在を尊敬する兄と共有できたことの方が嬉しいと思う。

綺麗な兄と可愛い弟の仲が近づくのも時間の問題だなと、ウィリアムは確信した上で緋色の瞳を伏せて口元だけで微笑んだ。


そんな昔話を思い出して、アルバートはルイスが書いた初めての手紙を取りだした。

二通目の手紙とウィリアムからの手紙もきちんと保管してあるが、渡すつもりのなかったこの手紙がアルバートにとって一等大事なものである。

あれから時間はかかったが、この手紙に書かれていた通り彼から兄と呼ばれるようになった。

そのときの喜びはとても表現できるものではないし、今でも鮮明に思い出されるのだ。

今この場にはいない二人の弟を思い浮かべ、アルバートはしばしの休憩をゆっくりと楽しんでいた。



(に、兄さん兄さん!アルバート様からお返事を頂きました!)

(そう、良かったね。何が書かれていたんだい?)

(な、内緒です!これは兄さんにも内緒です!)

(そうなの?へぇ、寂しいな…)

(ぅ…でも、兄さんもお返事を貰ったんでしょう?お互い内緒ですよね?)

(僕はルイスになら見せても構わないよ。ほら)

(え?じゃ、じゃあ…これ、アルバート様からのお返事です…)

(ふふ、冗談だよ。それはルイスだけのものだから、ルイスが大事に読んでおきなさい)