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のらくらり。

朝まであと数時間

2019.12.04 02:19

おやすみウィルイス。

ウィリアムの気配がする空間の方が寝付けるルイスは良いぞ。


配置されたいくつかのランプに灯りをともした薄明かりの中、ウィリアムは真剣な眼差しで文字の羅列を追っている。

ウィリアム専用の書斎にはありとあらゆる情報が詰め込まれた書籍で埋め尽くされており、計画のプランニングはこの部屋か地下室で行われることが多い。

いや、仲間内で共有する場合には地下室を使い、ウィリアムの脳内でシュミレートする場合にはこの書斎を使っている、と言った方が正しい。

失敗の許されない案件だからこそ、気を落ち着けた状態で頭を働かせることが大切になる。

安全が確保された屋敷内で最も気を許せる空間こそがこの書斎であり、この空間こそがウィリアムにとって一番落ち着くことが出来る場所なのだ。

そして今日に限ってはプランニングではなく、ただ情報を詰め込むための読書に勤しんでいた。


「兄さん、失礼します」

「どうぞ」


コンコン、と控えめなノックが二回聞こえてきた後に慣れた声が耳に入る。

扉の方を見ることなく返事をすれば音を立てずに中に入る気配がして、切りの良い文章まで目を通してから顔を上げて彼を見た。

薄明かりの中に浮かぶ金髪は眠前だからか前髪がラフに下ろされていて、どうしてだか昼間の彼よりも幼いように見える。

幼い頃の彼は前髪を上げていて整った顔がよく見えていたのに、いつの頃からか髪を伸ばして顔半分を隠すようになってしまった。

目立ってしまう傷を隠すためと、兄によく似た顔を隠すためなのだろう。

それがウィリアムにとっては少しだけ寂しくて、けれど彼の気持ちを尊重するために深く言及したことはない。


「お茶をお持ちしました。少し休憩されてはいかがです?」

「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたんだ」

「今夜はカモミールティーを用意しました。蜂蜜を多めに入れてあるので疲れにも効くかと思います」


穏やかな顔をしてカップとポットを置いたルイスはウィリアムの顔を見る。

その顔に疲れは一切見えなくて、本当に疲れていないのか疲れを感じていないのかすらルイスには判断が付かない。

きっと今夜も徹夜をするつもりなのだろう。

無理をすれば自然と寝落ちる体質である彼のこと、もう体がそれに慣れ切ってしまっているのは間違いない。

だがそんな生活をずっと続けていてはいつか必ず体にガタが来るはずだ。

かつて自分が病で臥せていた頃を思い出せば、あのような苦痛をウィリアムに強いるのはルイスにとって何よりもつらい。

けれどウィリアムの生き方を否定することも出来なくて、そうなるとルイスに出来るのは小言のように注意を促すだけである。


「こちらが今夜中に読み切りたい本ですか?」

「あぁ。中々興味深くてね、時間を空けずに読んでおきたいんだ」

「そうですか…あまり無理はなされませんよう。読み終わりましたら少しの時間だけでも休んでくださいね」

「分かっているよ。お茶ありがとう。おやすみ、ルイス」

「おやすみなさい、兄さん」


温かく湯気を立てているカモミールティーを飲むと、そのすっきりした香りとほのかな蜂蜜の甘さがウィリアムを癒してくれた。

自覚していなかった疲れが和らいでいくようで、切れかけていた集中力が段々と回復していくようだ。

加えてルイスの顔と声で十分にウィリアムの気持ちは解れていった。

ウィリアムにとってルイスは他のどんな人間よりも安心出来る存在だ。

ルイスのためなら何でも出来るし、してあげたいと思う。

彼も同じように、ウィリアムのためなら何でも出来るし、してあげたいと願っているだろう。

双方似た兄弟であるからこそ、ウィリアムは何か言いたげなルイスの気持ちをよく理解している。

けれどルイスは敢えてそれを口には出さず、ウィリアムのしたいようにさせてくれているのだ。

ウィリアムの気持ちを優先するその優しさには僅かな葛藤が感じられてしまい、度を越せば無理矢理に休ませようとベッドへ連れて行かれるのだが、今日はまだ彼の琴線に触れる程ではなかったらしい。

もう一度カモミールティーを口に運び、ウィリアムはルイスの言葉を反芻した。

朝が来るまでには予定していた本は全て読み終わるだろうし、一時間でも二時間でもベッドで休むのは可能だろう。

本当ならばついでに朝まで起きていようと考えていたのだが、ルイスのためにも休んであげた方が良いかもしれない。

ウィリアムは喜ぶ弟の顔を想像して、早くに読み終わらせてしまおうと読書を再開した。




そうしてウィリアムが予定していた本を全て読み終わったのは日付が変わって二時間ほど経った頃だった。

今からであれば朝までの間、しばらくは休めるだろう。

大学の講義も一限から予定されているし、少し頭を休ませておくのも悪くない。

ウィリアムは冷めきったカモミールティーをもう一口だけ飲んでから、書斎を出て寝室に向かって行った。

月明かりの中で歩く廊下は薄暗く、闇に慣れた目でもようやく周囲が確認できる程度だ。

書斎から近い距離にある寝室までをゆっくりと歩いていると、ルイスの寝室が目に入る。

ロンドンの屋敷でもダラムの屋敷でも、ルイスの部屋はウィリアムの寝室や書斎があるエリアに存在している。

持つ物の少ないルイスは使用人エリアの小さな部屋で構わないと言っていたが、ウィリアムにとってもアルバートにとってもルイスは使用人ではないのだから、特別に部屋を宛がうのは当然のことだった。

特にウィリアムの精神安定上、ルイスの居場所は常に自分のすぐ近くでなければならない。

必然的にウィリアムの寝室の向かいがルイスの寝室になっていた。

眠る前にルイスの寝顔でも見て行こうかと、ウィリアムはその寝室の扉を開けてそっと中に入っていく。


「…ルイス?」


鍵がかかっていないことは珍しくない。

元より屋敷の施錠はしっかりしているし、ウィリアムに忠誠を誓う者同士で内乱など起こるはずもないのだから。

だが部屋の持ち主であるルイス本人がいないことは問題だった。

おやすみと挨拶を交わしたのだから今頃は既に寝入っているはずなのに、肝心のルイスがベッドに居ないのだ。

ベッドに近寄って確認してみれば寝ていた形跡がなく、シーツは綺麗に整ったままだった。

そうなると寝ている最中に起きて出て行ったのではなく、ウィリアムにお茶を出した後はそもそもこの部屋に戻っていなかったことが分かる。

何の温かみもないそこに手を当てて考えれば、可能性は三つに絞られた。

一つは何かの仕事が残っていて今もそれをこなしているか。

もう一つはアルバートに呼ばれて彼の寝室で休んでいるか。

最後の一つは…

ウィリアムは顔を上げて急ぎ足に己の寝室に向かって行った。

ルイスは寝る直前にしか前髪を下ろさないのだから、仕事が終わっていないことは考えられない。

アルバートに呼ばれてそのまま休んでいるのならば心配することはないが、もし最後の可能性であるならば、ウィリアムは早く彼の元に行かなければならない。


「…!」


ウィリアムが急いで自分の寝室に向かいベッドを見れば、誰もいないはずの掛布が丸く膨らんでいる。

どくりと鳴る鼓動を聞きながら足を進めて静かにそれをめくれば、まるで赤子のように小さく丸くなって目を閉じているたった一人の弟がそこで眠っていた。

ウィリアムが愛用している枕を抱いて、そこに顔を押し付けながら微かに聞こえる程度の小さな寝息を立てていたのだ。

彼が自分の寝室にいなかったときから予想していたとはいえ、実際にその様子を目の当たりにすると何とも心を擽られた。

要は、一人で眠りたくなかったのだろう。

ウィリアムの体を心配してはいるがそれをウィリアム本人に押し付けるわけにもいかず、だからと言って一人でその不安を押し殺しながら眠るのが嫌だったに違いない。

ゆえにウィリアムの気配を感じるこの寝室で、縋るように彼の枕を抱いて丸くなって眠っていたのだ。

心臓を隠すように丸くなって眠るのは病で臥せっていた頃の癖であり、それを見る度にウィリアムの庇護欲は増していった。

守ってあげなければならないか弱い弟だった彼が自我を見せて計画に参加したいと言ったときは、その成長が頼もしくもあり寂しくもあった。

もう守るべき対象ではないのだと言われて、兄としての存在意義もなくなってしまうようだった。

けれどやはりウィリアムにとってルイスは守るべき対象で、彼の兄として存在したいと思うのだ。

中々落としどころが難しいと思っていたが、こうして自分の枕を抱いて気持ちよさそうに眠るルイスを見るととてもとても愛おしく感じられて、他の何に変えても守ってあげたいと思う。


「…どんな夢をみてるのかな」

「…ん…」


傷を隠すように頬にかかっている髪を振りはらい、擽るように撫でていく。

自分だけを頼りにして縋る可愛い弟。

ウィリアムの意思を尊重して己の気持ちは閉じ込めている彼が隠していた甘えの結果がこれだ。

何ともまぁ可愛らしくて、それでいて健気で心を揺さぶってくる。

起きているときであれば嫌がる頬の傷を優しく撫でていき、うっすらと開いた唇に指を押し当てる。

温かみのある人肌が彼の命を感じさせてくれた。

このまま彼と一緒に美しい英国を生きていきたいと思わなくもないが、ともに手を穢してしまった以上は望むことすら許されないだろう。

せめて今この瞬間だけは、穏やかな気持ちのまま彼に触れて過ごしたいと思う。


「おやすみ、ルイス」


愛しい弟が枕に縋るのは気分的に良いものではないが、それを奪ってしまっては起こしてしまうだろう。

残念な気持ちをため息の中に流し込んで、後ろから細い体を抱きしめた。

慣れたベッドの中、慣れた体温の弟を腕に抱いて、ウィリアムはようやく目を閉じる。

朝まであと数時間。

きっとよく眠れるだろう。



(…)

(おはよう、ルイス)

(…に、兄さん…徹夜はされなかったのですか…?)

(早く読み終わったから、ルイスの忠告通り短時間だけでも休もうと思って)

(そう、ですか…あの、…)

(どうかした?)

(…その)

(あぁ、ルイスが僕のベッドを無断に使っていたことかな?)

(…!す、すみません!その、別にやましい気持ちはなくて、少しお借りしようと思ったらつい寝入ってしまって…!)

(構わないよ。ルイスならいつ使ってくれても構わない。元々昔は一緒に寝ていたし、一人で眠れないなら君の寝室を無くして僕と同室にしても良い)

(子どもじゃあるまいし、そこまでしてくださらなくても大丈夫です!)

(そうかい?気が変わったらいつでも教えてね、ルイス)

(変わりません!あ、朝なので起きましょう、兄さん)