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のらくらり。

食べてしまおうか

2019.12.04 02:59

ロックウェル伯爵家の居候しているときの三兄弟。

ヘンゼルとグレーテルの話を思い出して兄様を疑うルイス。


「さぁ二人とも、たんとお食べ」

「ありがとうございます、兄さん」

「…ありがとうございます」


ロックウェル家に居候している最中の食事はモリアーティの子息だけが別室で摂ることになっていた。

家族の団欒を邪魔するわけにはいきませんと最もらしいことを言ったアルバートの言葉を当主は好意的に受け止めてくれ、わざわざ食堂ではなく小さな空き部屋を三兄弟の食事部屋として解放してくれたのだ。

その言葉の意味がロックウェル家の団欒ではなく、自分たち兄弟の団欒を邪魔してくれるな、という意味であることを知るのはアルバート以外にはウィリアムしかいない。

そうして食事の用意をするメイドにこっそりと頼み込み、アルバートは子ども三人が食べる分よりも多くの量を用意させていた。


「お味はどうだい?」

「美味しいですよ、ありがとうございます」

「そうか。ウィリアムは肉よりも魚の方が好みのようだね。ルイスはどうかな?」

「…美味しいです、アルバート様」

「それは良かった」


そして多く用意された分のほとんどはウィリアムとルイスの分として、アルバート自ら取り分けてあげている。

孤児であったときもモリアーティ家に招かれて虐げられていたときも、二人が満足に食事を摂ることは出来なかった。

ギリギリ飢えることのない量だけを食べていたせいで、年齢の割に二人とも小柄で余分な肉など一切付いていなかったのだ。

それでも人間とは不思議なもので、極端に痩せていても二人の愛らしさは一切損なわれることはなかったらしい。

可愛い顔だというのに見ている方が不安になるほど細い手足をした新しい弟達を、アルバートはずっと密かに気にかけていたのだ。

忠誠を誓った相手といえど、アルバートにとっては初めての家族で初めての弟だ。

まだ満足に動くことの出来ない子どもという立場のうちに、互いにしっかりとした体作りをしていく必要があるだろう。

そう考えたアルバートにより、ウィリアムとルイスは今までに食べたことのない美味しい料理をたくさん盛り付けられては残さず食べる日々が続いていた。


「二人とも食べ方が随分と上手になったね。見ていて気持ちが良い」

「ありがとうございます。テーブルマナーを教えていただいたアルバート兄さんのおかげです」

「元の素質が良いんだろうね。これならいつ晩餐に招待されても問題ないだろう」

「ふふ。さすがに他の貴族との食事は緊張してしまいますね」


食事中の会話はタブーなのだろうが、三人で気兼ねなく会話出来るのは今この時間しかない。

他の時間はロックウェル伯爵の好意で呼び寄せてもらっている家庭教師の講義や、ジャックによる訓練でほとんど全ての時間を費やしてしまっているのだ。

夜は疲労ですぐに寝入ってしまう。

だから食事の時間は兄弟の親睦を深める意味でも大事な時間だとアルバートは考えているし、宣言通り「団欒の時間」に他ならないものである。


「ルイスはりんごがすきなのかい?」

「…はい。昔からよく食べていましたので」

「こちらには菓子も上手に作れるシェフがいるようだね。このパイも中々の味だ」

「…甘くて美味しいです」

「そう、良かったね」


心安らぐ団欒の時間ではあるけれど、主に会話しているのはアルバートとウィリアムだけだ。

ルイスは静かに黙々と食事に手を付けていることが多い。

和やかに交わされる兄同士の会話にどう混ざって良いのか分からず、ただ耳を傾けながら気にしないふりをしているばかりだった。

そんなルイスを見かねてウィリアムが助け舟を出すか、アルバートがルイスに歩み寄ろうとしてくれるのが常である。

今も静かにアップルパイを食べているルイスを見て、アルバートが穏やかに声をかけてくれた。

表情を変えることの少ないルイスの顔が僅かに緩んでいたことに気付いたのだ。

アルバートが言えた義理ではないが、ウィリアムもルイスもあまり子どもらしいとは言えない存在だというのに、年齢に応じて甘味には弱いことがわかった。

愛らしい見た目に菓子というのはよく似合う。

何となしに癒されながら、アルバートはルイスを見ながら綺麗な翡翠を甘くさせている。

そんな彼の気遣いを心地良く思いながらも戸惑いは隠せなくて、ルイスはシナモンの効いたりんごを小さく咀嚼してはコクリと飲み込んでいた。


「ご馳走様でした」

「…ご馳走様でした」

「うん、二人とも残さず食べられて何よりだ」

「僕、片付けを手伝ってきます」

「行ってらっしゃい、ルイス」


養子という立場であるルイスはモリアーティ家の立場といえど、分を弁えて積極的に雑務をこなしている。

そうしていた方が余計なことを考えずに済むから気楽なようだ。

ウィリアムは駆けていくルイスの姿を見て、ゆっくりと距離を縮めていこうとする兄と弟を静かに見守っていた。




「兄さん、アルバート様はどうしてあんなにも食事をたくさんよそってくださるのでしょうか」

「僕達が成長期だから気遣ってくれているんじゃないかな」

「そうでしょうか…何か他の思惑があるのでは…」


ウィリアムは以前よりもふっくらと艶のあるルイスの頬を見て、十分な栄養が摂れていることに安堵する。

恐らくは自分もそうなのだろうと見当がつくし、推察するまでもなくアルバートが多めに用意するよう頼んでいる食事の影響なのだろう。

根本的な思想が似ているウィリアムとアルバートは血は繋がらずとも精神で繋がっていて、彼が純粋に自分たちの健康を思って食事を用意してくれているのだと理解している。

けれどルイスにとってはそれが理解出来ないようで、ウィリアム以外を自分の世界に入れたことのない彼はアルバートのことを信用しきれていなかった。

ウィリアムが認めた相手なのだから自分も新しい兄として受け入れたいと思ってはいるけれど、まだまだ気持ちが追いついていないらしい。

いつ裏切られてもダメージが少ないように、常に悪い方向へと彼を捉えてしまっているのだ。

用心深いというか疑り深いというか、本心ではアルバートにどうやって近付いていけばいいのか悩んでいるだけなのに、恐らくはそれを認めたくないのだろう。

急かすこともないとウィリアムは静観しているが、ルイスが助言を求めるのならば答えてあげたいと思う。


「兄さん、昔読んでくれた童話を覚えていますか?」

「童話?どんな話だい?」

「口減らしのために森に捨てられた兄妹の話です」

「あぁ…森で迷っていたらお菓子の家にたどり着いて、魔女と出会う話だね」

「そうです、それ!確かあの童話では、魔女が子どもを太らせて食べるために食事をたくさん用意していましたよね?」

「確かそうだったね。結果的にはかまどに焼かれて食べるどころではなかったみたいだけど」


貸本屋で読んだ本の知識はウィリアムとルイス、双方の脳にしかと焼き付いている。

ウィリアムが読み聞かせた内容をルイスが忘れることはない。

かつてヨーロッパを襲ったという大飢饉を糧とした童話は幼いながらに印象的で、自分たちは口減らしのために捨てられたのだろうかと考えるきっかけにもなった。

満足に食べられない苦悩を知っているからこそ子を捨てた親の気持ちも分かるし、捨てられて孤独のままに飢えながら彷徨う兄妹の気持ちも分かる。

たとえ魔女に食べられる運命にあろうとお腹いっぱいに食べられるのはさぞかし幸せなことだろうと、そう考えていた時期もあった。

それほどに飢えていたときでもウィリアムはルイスを置いていかなかったし、ルイスはウィリアムに必死についていった。

今は食事の心配をすることのない立場になったけれど、それでも新しく家族になったアルバートへの一抹の不安は消えないのだ。


「それで、その童話がどうかしたのかい?」

「…アルバート様は、僕達にたくさんの食事を与えて太らせようとしているのではないでしょうか。僕達を食べてしまうために!」

「…え」


アルバートと仲良くなりたいけど信用するのが怖いルイスは、およそ出来のいい頭脳を持っているとは思えないほど幼稚な考えを持ち出してきた。

その突拍子も無い考えに思わずウィリアムの目が大きく見開かれる。


「アルバート様を魔女だとは思っていません。ですが、僕達にたくさんの食事を食べさせて太らせようとしていることは明らかです。先日も、随分とふっくらしてきたね、と言われたばかりです。貴族には口にするのも悍ましい嗜好があると聞きますし、アルバート様が僕達を太らせて食べようとしているのなら、食事には手をつけない方が良いのではないでしょうか!?」

「えーと…うん、まずはルイス」

「何でしょう、兄さん!」

「落ち着こうか」


貴族の特殊な趣味嗜好は知らないが、少なくともアルバートは潔癖なまでに気高い人だ。

人喰いをするほど堕ちてはいないことなど明白である。

思えばあの童話を初めて読んであげたとき、ルイスは複雑な表情で考え込んでいた。

そうして、食べられないのはつらいですけど、たくさん食べても逆に食べられてしまうのは悔しいですねと、そんなことを言っていたような気もする。

戸惑った表情のまま自分を見上げているルイスを見て、ウィリアムはまだまだ華奢なその肩に両手を添えた。

誤解を解いてあげるのは簡単だが、普段は見せない一歩ずれた様子はからかい甲斐がある。

ウィリアムはにっこりと笑いかけてから、自然と上がる口角を隠さず声を出した。


「ルイスはアルバート兄さんに食べられてしまうのは嫌かい?」

「い、嫌です…ウィリアム兄さんが食べられてしまうなんて絶対に嫌です」

「そう。僕もルイスが食べられてしまうのは悲しいな」

「…それに」

「うん?」

「…ま、まだアルバート様のことを、兄さんと呼べてないです。呼べないうちに食べられてしまうなんて、絶対に嫌です」

「え?」

「せっかくアルバート様が僕の兄さんになってくださったのに…せめて一度くらい、兄さんと呼んでみたいです」

「…ルイス」

「僕達が太らなければアルバート様は僕達のことを食べませんか?もっと食べる量を減らせばいいのでしょうか?」


彼を兄と呼ぶにはまだ時間がかかるけれど、いつかは呼ぶのだと暗に言っているようなものだ。

そうしてまた見当外れなことを考え出すルイスを見てウィリアムはますます笑みが深くなり、アルバートのおかげでふくふくと触り心地が良くなった頬を両手で包み込んではその弾力を堪能する。

全くもって僕の弟は無垢で一生懸命な頑張り屋だ。

ウィリアムはそう考えながら額を合わせてルイスの赤い瞳を覗き込む。


「たくさんお食べ。アルバート兄さんはルイスのことを食べたりはしないよ。たくさん食べて、僕達がしっかり大きくなってくれることを望んでいるんだよ」

「で、ですが…」

「兄さんはそんな人じゃないよ。僕にとって初めての兄さんで、ルイスにとって新しい兄さんでもある人なんだから」

「…本当でしょうか?」

「うん。僕がルイスに嘘をついたこと、ないだろう?」

「…はい」


手術を受けて循環が良くなった影響で暖かく、十分な栄養を取っているおかげで肉付きが良くなったその体を抱きしめて言い諭す。

まだ納得いっていない様子のルイスだが、成長期にある自分も彼も今くらいの食事であれば負担なく食べられてしまうし、今更量を減らしても怪しまれてしまうだろう。

何より、食べなかったときのアルバートが浮かべる残念そうな表情が眼に浮かぶ。

最初の頃に遠慮して食べる量を抑えていたらさも悲しそうな顔をする兄を見て、ウィリアムは構うことなく用意された食事は全て食べ切ることにしたのだ。

そのウィリアムに倣ってルイスも食事が進んでいき、結果としてアルバートは満足げに食事をともにしてくれるようになった。

そんなアルバートの表情をまたも曇らせるのは偲びない。

彼はただ純粋に、弟の成長を願っているだけなのだから。


「ルイスがたくさん食べてくれるのは僕も嬉しいな。昔と違って今は我慢したりせず、ちゃんと必要な分のエネルギーを摂取しないといけないよ」

「…分かりました」

「もしアルバート兄さんが僕達を食べようとしたら、そのときは逆に僕達が兄さんを食べてしまおうか」

「え?」

「ふふ、冗談だよ」


万が一にでも自分の観察眼よりアルバートの擬態が優れていた場合。

大事な弟をみすみす食べられてしまうよりも前に、悪い貴族などやっつけてしまえば良い。

怪しく美しい紅を愉しげに緩ませて、ウィリアムはルイスの髪にそっと唇を寄せた。




(アルバート兄様、何を読んでいらっしゃるんですか?)

(グリム童話集だよ、ルイス)

(童話、ですか…何故そのような本を読んでいるので?)

(ウィリアムから、かつてのルイスが私のことを人を喰う魔女だと疑っていたと聞いてね。どんな話だったかと読んでいるんだよ)

(えっ!?)

(中々どうして残酷な物語だな。慈悲のない魔女と同格に扱われていたというのはショックが隠せない)

(そ、それは…すみません兄様!子どもの戯言だと思っていただければ…!)

(あぁそうだね、子どもの戯言だ。けれどルイスにもそんな時代があったのだと思うと懐かしいな)

(…す、すみません)

(何、気にすることはないよ。今こうして振り返ってみれば、私を警戒していた頃のルイスも可愛らしいものだったしね)


(ウィリアム兄さん)

(やぁルイス。どうしたんだい、そんなに慌てて)

(あ、アルバート兄様に昔のことを話したというのは本当ですか?)

(もしかして、ルイスが兄さんに食べられてしまうんじゃないかと心配していた頃の話かな?)

(そうです!)

(うん、話したよ)

(ど、どうして…!)

(思い出話に花を咲かせてたら不意に思い出してね。兄さんを疑うルイスは随分と可愛かったから、教えてあげようかと思って)

(兄さんひどいです…!)

(ふふ。アルバート兄さん、笑っていただろう?今ではあんなルイス、もう見ることは出来ないからね)