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のらくらり。

エゴなど地獄に棄ててきた

2019.12.04 03:02

37話を読んで改めて考えたウィリアムのエゴについての話。

バスカヴィルが終わってしばらくした頃のウィリアムとアルバート兄様。


「手紙を読んだよ」

「…誰からの?」

「ルイスからの、だ」

「…そうですか」


バスカヴィルでの一件について、アルバートはルイスからの定期報告としての手紙から全てを知っていた。

週末の恒例になっている弟達の帰省を出迎えてみればルイスの表情は晴れやかで、そんな末弟とは対照的にウィリアムはどこか憂いを帯びたような表情を浮かべている。

普段の彼らとは真逆の表情を浮かべている理由を、アルバートは既に知っていた。

そしてウィリアムも、彼が何を目的に口を開いているのかを既に察していた。


「モランがルイスを気にかけてくれたようです。我慢しなくても良いと伝えてくれたんでしょう」

「なるほど…さすが大佐らしい」


ガサツだが面倒見の良い大柄な体を持つ仲間を思い浮かべて、アルバートは静かに瞳を伏せた。

そんな兄の様子を見て同じくウィリアムも瞳を閉じる。

モランは否定するだろうが、過去がどうであれ彼は今でも仲間思いで身内への配慮を欠かさない。

思いつめたままのルイスに気付き、影からサポートをしてくれていたことも知っている。

からかい甲斐のある男ではあるが、同等以上に頼りになる人間なのだ。

彼がいてくれて良かったと何度思ったか分からない。


「僕の計画が進むたび、ルイスは僕を遠く感じていたと言っていました」

「へぇ…」

「そんなつもりはなかった。けれど、ルイスがそう感じてしまったのならそれが真実なのでしょう」

「…ウィリアム」


アルバートの声を聞き流し、ウィリアムはソファの背にもたれかかり天を仰いだ。

自嘲するように紅い瞳を揺らがせたことを悟られたくなくて、もう一度瞳を閉じてその目元全てを腕で覆い隠す。

瞼の裏に思い描くのは血に染まらず生きてきた無垢な弟の姿だ。

真っ白で清廉そのものだった彼は、今となっては白い手を穢してウィリアムと同じ位置にまで堕ちてきてしまった。

幼く従順で、いつだって自分の後を付いてきた可愛い弟。

純粋なまでに染まりやすく、だからこそ誰の命も背負わせたくないとずっと願ってきた。

ルイスの分まで罪を背負い、たとえ悪魔になろうと無垢な弟に相応しい世界にしてみせると決意したのは、ゴミ溜めの中であろうと愛らしく笑う弟を見たときからだろうか。

美しい英国でルイスが屈託無く笑っていてくれることだけがウィリアムの希望で、それこそが目指すべき世界だった。

悪魔が消え去れば呪いは解けてきっとこの国は美しい姿を見せてくれる。

その世界に相応しい人間こそがルイスで、自分がいなくなろうともルイスにだけは生きていってほしかった。

そんなウィリアムの想いをルイスだけは知らなくて、だから彼は自分の存在を枷のように感じてしまったのだろう。

いつもウィリアムと一緒にいたがった幼い頃のルイスと今の彼は何も変わらない。

純粋なまま成長できるようウィリアムが支配してきたおかげで、ルイスは純粋なまま子どもの頃と同じ感情だけを持ってここまで生きてしまったのだ。

ウィリアムと同じところまで堕ちていきたいと、純粋なまでに願っている。

それが分かるからこそ、ウィリアムの気持ちは揺らいでいるのだ。


「相変わらず弟思いだね、ウィリアムは」

「…弟思いの兄だと言えば、聞こえは良いでしょうね」

「まるで他にも言い方があるように聞こえるな」


罪を犯した人間は等しく罰せられるべきであり、人を殺した人間に生きている資格はない。

目的を同じにした数少ない同士は皆同じように死んでいくべきだと考えている。

けれどルイスには、ルイスにだけはたった一人であろうと生き抜いて欲しいと思ってしまった。

それだけならば弟思いの兄だと、兄としてのエゴだと表現しても間違いはないだろう。

ウィリアムが持つ感情はそれほど美しい兄弟愛に満ちたものではない。


「悪そのものの貴族といえど、僕達は誰かに恨まれるだけのことをしている。恨まれて復讐されても仕方がない立場だと理解している。たとえアルバート兄さんが誰かに殺されようと、僕は悲しむことも相手を恨むこともしないでしょう」

「あぁ、そうだろうな。私も同じことを思う」

「誰かを殺した人間である僕に、誰かを殺したことのある兄さんの死を哀悼する資格はありません。ただ淡々と死んだという現実を受け入れる他ない」

「その通りだ」

「…けれど、それがルイスなら話は別です。彼は僕にとっての特別だから、彼が死んだら悲しみたいし、恨みたいし、復讐だって考えたい。僕の持てる頭脳全てを持ってして、ルイスに危害を加えた人間全員をこの手で殺してしまいたい」

「…」

「だからルイスには穢れのないままに生きてほしかった。誰の命も手にかけていないルイスならば僕が誰かを恨むことだって出来る。何故こんなことをしたのかと問いただすことも出来る。僕がありのままの感情を抱く資格を持つためにも、ルイスには無垢なままでいてほしかった」

「…ウィリアム」

「ルイスのためと言えば聞こえは良いですが、結局僕は自分のことしか考えていません。万一にでもルイスが死んでしまったとき、ただ無機質にその死と向き合わなければならないことだけは嫌だった」


ジャックとの訓練の成果はルイスにも十分身に付いており、そこらの暴漢程度ではルイスに傷一つ負わせることも出来ないだろう。

ウィリアムだってそれは勿論理解している。

けれど聡明な彼はありとあらゆる可能性を考慮して、万一ルイスが誰かの手によって死ぬことすらも考えていたらしい。

嫌な現実からも目を背けずに前を向いていくウィリアムの精神はさすがと言っていいだろう。

あれほど大事に想う弟の死すら想定に入れて生きているのは、幼い頃から死と隣り合わせだったルイスとともにいた影響なのかもしれない。

アルバートは縁起でもない、と言うだけの覚悟を持っていなかった。

そうなってもおかしくない流れにこの身を置いていることを知っているのだから。


「ルイスが誰も殺さないままでいれば、美しい英国が似合う存在になる。ルイスが誰かの手にかかっても、僕にはその誰かを恨む資格がある。僕が目的を果たせずとも、ルイスは裁かれることなく生きていられる。そこにルイスの意思は関係ない。全てはルイスのためではなく、僕のためなんです」

「なるほど…だからエゴだと、ルイスにそう言ったんだな」

「えぇ。ルイスを作戦に参加させなかったのは結局僕のエゴでしかない」


目元を覆っていた腕を外して、ようやくウィリアムは向かいに座るアルバートの顔を見た。

いつだって柔和な笑みを浮かべているその顔は随分と憔悴しきっていて、初めて見るその表情にはアルバートですら驚いてしまう。

ウィリアムの役に立ちたいと考えていたルイスの気持ちを知ってはいたが、ウィリアムが参加させないと決めたのならば敢えてアルバートが言及するつもりもなかった。

健気な末弟に活躍する場を与えられないことは惜しいけれど、悪魔の中に一人だけ真っ白な人間がいる集団というのも趣深いだろうとすら考えていたのだ。

そうだというのに、ウィリアムがルイスを計画に参加させなかった理由の全てを知ってしまった今となっては、どちらの弟側に付いていいのか悩んでしまう。

ルイスにはルイスの、ウィリアムにはウィリアムの考えがある。

どちらも正しいし、どちらの気持ちも理解できる。

アルバートは賛同することも否定することもせず、ただウィリアムの顔を見つめていた。


「僕のエゴでルイスが孤独に苛まれていたとなれば、僕が間違っていたとしか言いようがない。孤独を感じさせるつもりなんて毛頭なかったのだから」

「…そうかな。安易に間違っていたと認めるなんて、君らしくもない」

「…いずれにせよ、ルイスは人の命をその手に乗せてしまった。もう僕はルイスに何が起ころうと悲しむことも出来ない。起こる現実をひたすらに受け入れるしか出来なくなってしまった…」

「ウィリアム、君は」

「分かっています。もう僕が守るだけの弟でないことは分かっています。でも、まだ頭が追いついていかないんです」


悩む姿すら珍しいウィリアムが、ルイス一人のことだけでこんなにも悩んでいる。

自分のことしか考えていないというが、本当にそうであるならばこれほど悩むことはないだろう。

アルバートは開いた口を閉じて、またも静かにウィリアムの顔を見た。


「…弱音を吐いてしまってすみません。アルバート兄さんなら良いかと思い、気が緩みました」

「いや…構わないよ」

「起こってしまった事実は消せません。美しい英国が似合うルイスはもうどこにもいない。ならばこれからの僕がすべきことは、ルイスとともに地獄まで堕ちていくことだけです」

「…あぁ、そうだな。共に堕ちていこう、地獄の底まで」


弱々しい表情を見せたかと思いきや、次の瞬間には芯の通った紅い瞳でアルバートを射抜く。

ルイスには見せられない感情もアルバートにならば見せられるところを鑑みるに、ウィリアムも兄として彼のことを信頼しきっているらしい。

その信頼を心地よく思いながら、アルバートはウィリアムの面影にルイスを想う。

まだ彼には計画の全てを話していないが、話したところで抵抗なく受け入れてくれるのだろう。

ルイスは一人生き残るよりもウィリアムとアルバートと一緒に地獄に堕ちることを選ぶ。

それは間違いのない事実であり現実だ。

そしてウィリアムもルイスが望むのなら一緒にいることを拒みはしないし、複雑な思いを抱えながらも心の中ではさぞ喜ぶことだろう。

エゴなど先に地獄へ棄ててきてしまえばいい。

そうすれば何に気を取られることもなく、今ともにいるこの瞬間だけを嬉しく思えるはずだ。

ウィリアムは今この場にいないルイスを思い、静かに口元を歪めて笑う。

己のエゴより弟の気持ちを優先出来た今の自分は、彼にとっての良い兄でいられているのだろうか。

そうであれば良いと、美しい瞳を怪しく光らせたウィリアムは普段通り柔和な笑みを浮かべていた。




(ルイスだけは置いていこうとしていたことを知れば、きっと彼は怒るだろうね)

(えぇ。思えばいつだって僕達はルイスには隠し事ばかりで、彼に知られたら憤慨させるようなことばかりですね)

(だからルイスも孤独を感じていたのかもしれないな)

(でももう心配ありません。ルイスが望むのなら僕のエゴは邪魔でしかない。堕ちるところまでともに堕ちていく覚悟は出来ました。僕は絶対にあの手を離しはしない)

(なるほど…ルイスもさぞ喜ぶことだろうな)

(ふふ、そうであれば嬉しいですね)