大航海時代25-インカ帝国ピサロにより滅亡
2019.12.04 08:43
1531年、フランシスコ・ピサロはペルーに向けて出発した。ピサロはパナマで街の首長となっていたが、さらなる成功を求めて南米へ探検を行っていた。26年の第二回航海において彼らは文明的な建築物や町と住民という驚くべきものを発見した。パナマに戻った彼らは探検続行を求めてスペインに帰った。
29年首都トレドで、皇帝戴冠に出発前の王カルロス一世に拝謁し、8月17日ペルー総督を承認され、資金が与えられた。この間、彼はアステカ征服者コルテスに会ったとされる。実は2人は遠い親戚だった。
第3回遠征に出発したピサロ達は、前に行ったインカの町の近くを基地として、情報を収集した。当時帝国は、皇帝が崩御し、その息子のアタワルパとワスカルが戦っていた。32年5月に出発した一向は歩兵102人騎兵62騎だった。そしてアタワルパの使者と会い、自分達は援軍すると言った。
アタワルパは、ピサロと会うことに決め、軍と共に移動した。そこへピサロは奇襲を仕掛け、アタワルパを捕虜にしてしまった。ピサロはアタワルパの身代金を受け取った後、処刑、弟を皇帝として、首都クスコに向かって進軍した。途中でアタワルパに敵対する族が合流し、皇帝の居ない首都は防衛軍も退却。33年11月首都に入城し、帝国は滅亡した。スペインに持ち帰った身代金だけで欧州の銀の年間の14%に相当した。
下はイギリスのラファエル前派ジョン・エヴァレット・ミレイの「ピサロのインカ征服」