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この道往けば act2

横山隧道

2019.12.04 23:02

前回の佐和山隧道に引き続き、村田鶴の作品をご紹介します。

今回の舞台は彦根から少し北上しています。

とりあえず現在地はここ。

 滋賀県米原市(まいばらし)

2005年の平成の大合併で坂田郡4町(米原町、山東町、伊吹町、近江町)が合併し誕生した新しい市です。

ちなみに合併した米原町の読みは「まいはらちょう」。

合併によって誕生した市が、漢字が同じにも関わらず読み方が変わった珍しい町です。

現在地は地図上では右側の滋賀県道19号山東一色線(さんとういっしきせん)にいます。

レポ開始地点は現在地の県道と目的の隧道のある県道の交差点。

滋賀県道244号大野木志賀谷長浜線(おおのぎしがやながはません)

目指す隧道はこの県道の旧道にあるのです。

しかし・・・、今日はここの他に後一つ隧道回る予定なんですが・・・、 暗くなってきたな・・・。

かなり薄暗く見えてますが、これは西日が隧道が穿っている石田山にあたって陰になってしまっている為。

実際はもうちょっと明るいです。

ここで左に折れる道が旧道です。

ここから先は新横山バイパスと呼ばれる新道。

旧道らしからぬ直角カーブで旧道は続いていきます。

しかしまぁ後述しますが、隧道に至るだけならここ曲がる必要はないんですけど。

いやぁ旧道らしい道。

旧国道8号を思い出しますね。

正直言うと、僕はこの段階でもっとバイパスとの高度差が出ると読んでいたのです。

バイパスの上を旧道が抜けるようなイメージをしていたんですが、現実は・・・

結局バイパスにぶつかるんかい!

反対側の旧道は通行止め。

使用していた事前情報が古く、まだ現役だと思っていた僕はちょっと焦りました。

しかし地図上の線形を見る限り、隧道はもうすぐそこ。

ここは徒歩で行ってやる!!

わかりやすい旧道線形を描いて、道は夕闇に吸い込まれていきます。

針金を編んだような薄いバリケードが刺さった尻をさすりながら、僕は坂を上って行きます(笑。

夕闇せまる旧道。

普通の人なら間違いなく近寄らないであろう闇へ歩を進めます。

そうもう先に見えています。

横山隧道(よこやまずいどう)

一説には佐和山隧道よりも古いと言われる、村田鶴作品群の中でも傑作と言われる隧道の一つです。

「横山隧道創始者高森慶多郎之碑」

村田鶴じゃないの!?

と一瞬色めき立ちましたが、よくよく考えれば村田鶴は隧道の設計者であり、「ここに隧道を作ろう」といった人物ではありません。

隧道建設を県議会に訴え続けた人物こそ、この高森慶多郎氏なのです。


実に19年間、隧道建設を訴え、大正8年にようやくその訴えは認められます。

しかし彼は隧道の完成を待たずして、50歳で病没したとのことです。

残念だったでしょうね。

この石碑は彼の無念を少しでも和らげるために、隧道の傍に佇んでいます。

横山隧道、着。

・・・暗すぎる・・・。

しかし佐和山隧道と同じく鳥居型の立派なポータルがわかるかと思います!

佐和山隧道が4本のピラスターを有していたのに対し、横山隧道は2本。

さらに笠石よりの突き抜けが大きく(冠木門型)、より荘厳な雰囲気を醸し出しています。

洞内は見事な煉瓦巻きが現存しています。

長手積みで積まれた煉瓦は一切の破損も無く、また石材との調和も見事として言い様がありません。


ちなみに今回は時間がない為、西口の探索は諦めました。

これは必ず明るいときに再訪しなければ・・・。

そしてそのまま、ふと現道の「新横山トンネル」上の盛り土を見上げると・・・、

!!!

なんかある!!

これはまさしく開通記念碑!

正直内容は漢文(?)だったこともあり、読み取れませんでした。

ただ扁額の筆者が県知事 堀田義次郎であることのみ辛うじて読み取れました。

なかなか難解です・・・。

しかしこの立地・・・、

ここ登らなきゃ辿りつけないんですよ。

階段は探したけど見つかりませんでした。

高森氏の碑はまだ見えるところに(とはいえ旧道封鎖だけど)ありましたが、これは完全に見せる気無しってこと??

折角なんだからもうちょっといい場所に建てましょうよ!

そして僕は一路、次の隧道を目指します。

横山隧道は正直、やり残しがありすぎて心苦しいですが、下見も兼ねての公開とさせていただきます!

なんにせよ、ワープ!!

反対の旧道もやっぱり封鎖。

これは廃隧道ととらえていいんでしょうか・・・?

いつかがっちり封鎖されそうなので、それまでになんとしてももう一度訪れます!

そのときまで・・・


以上、横山隧道編