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庭先養鶏はじめました1/よしのももこ

2017.02.01 10:00

2016年夏。家浦の港は、3年に一度の芸術祭の会期中&お盆休みというスペシャルウイークのため、とてもにぎわっていました。そこへフラフラと上陸した1台の軽ワゴン車。屋根の上にママチャリや謎のペール缶などガラクタ風味のアイテムを大量にくくりつけ、車内にも布団やらダンボールやら家具やら猫(しかも2匹)やらをぱんぱんに詰め込み、どっからどう見ても夜逃げ感満載の私たち家族は、その日からこの島の住人となったのです。

瀬戸内海に浮かぶこの島は、小豆島が西向きの牛だとするとその鼻先をふわふわと漂っている山羊の頭(もしくは縄文土器)みたいな島で、人口は900人に満たず、回ろうと思えば自転車でもぐるっと一周できるコンパクトさ。信号やコンビニやショッピングモールが無く、小・中学校がある。私たち家族が暮らす上での「なかったら困るな」「だったらいいな」が揃っていて、「無ければいいな」「無くてもいいな」が割と高確率で無い島だったので、ここに出会えたときはほんとうに嬉しかったし、そこから半年ほどで住む家も見つかったというのはつくづく恵まれていたなあと思います。

引っ越してきた初日の夜、床についてまもなく“蒸し死に”の予感が頭をよぎるレベルの暑さでほとんど熟睡できず、「瀬戸内海名物の“凪”ってこれかあ…!!!」と早合点した私は、今後ここで暮らして行けるんだろうかという不安にかられました。でも、それから毎日家じゅうの窓という窓を開け放って過ごすうちに、9年間使われていなかった古い一軒家は少しずつその呼吸を取り戻してゆき、3日目くらいからは死を意識することなく眠れるようになってひと安心。私と2匹の猫たちは水の味や家のにおいが変わったことにもすぐには馴染めなくて最初のうちは少しナーバスになっていたのですが、汗をかいたら風呂場で井戸水を浴び、家から走って30秒の浜まで行って海に飛び込み、庭のまん中に置いたでっかい鍋に井戸水をためて洗濯をして…というふうに毎日水と親しく触れあっているうちに、私の心もからだも自然と島の暮らしに馴染んでいったのでした。“水に慣れる”ってこのことか。ちなみに猫たちはその後もしばらくナーバスな期間が続いてひと騒動あったのですが、その話はまたいつか。

さて、めでたく心とからだが島に馴染んだのはよかったものの、予想していた以上に食材の確保が難題で、お勝手と食卓が落ち着くまでにはなかなか時間がかかりました。

今回の引っ越しでは「ゆうパックの一番大きいサイズで送れない家財道具は、あきらめる!」という方針のもとに、冷凍冷蔵庫・電子レンジ・ガスコンロなどの大物をことごとく手放してから島にやって来たので、通販で注文した冷凍庫(冷蔵機能無し)が家に届くまでは肉や牛乳などの生ものを商店で買ってきても保存ができないし、常温で保存できる食料品でも開封後要冷蔵のものは下手に開けられない。なんせ真夏ですから、片っ端から傷んでしまうのです。はじめの一週間は高野豆腐と豆の缶詰と乾物のあらめを駆使してどうにか乗り切ったという感じで、あとはたこめしや鶏ごぼうご飯の素など今まで使ったことがなかった炊き込み系のレトルト食品も試してみたり、20年ぶりくらいでコンビーフ缶を使ったり、パッチワークみたいな食卓でした。

“挽き肉やソーセージ(真っ赤じゃないやつ)がいつでも買える”というのが当たり前じゃないところに来た途端、こんなめっちゃくちゃな献立になってしまうなんて…わかっちゃいたけど、私のサバイバル能力ほぼゼロ!!でも、能力ゼロだからわざわざ島に来たようなもので、まず自分が何もできないっていう事実を確認したら、あとは少しずつやるしかない。半年経った今でも、我が家のお勝手はまだ試行錯誤の段階です。

野菜も最初のうちはぜんぜん手に入りませんでした。近所の農家の無人直売所で穫れたて野菜が気軽に買えたり、連れ合いが研修先の農園から自然農の野菜を持って帰って来てくれたりして、毎日新鮮な野菜をもりもり食べていたそれまでの暮らしから一転、食卓から野菜が姿を消し、口内炎も大量にできました。この島では野菜は自分で作ったりお裾分けしたりされたりするものみたいで、直売所なんてどっっこにもない!前のシーズンにたくさん作っておいた切り干し大根の残りや、天日干ししておいたルッコラや大根葉やごぼうが宝物のように思えました。

でも“お金を使えば、欲しいときに欲しいものが欲しい分だけ、黙っていても手に入る”っていうシステムの中でしか生きたことがなかった私にとっては、こういう現場体験のひとつひとつがとっても貴重だったのです(今も現場からお伝えしております)。

しばらくすると、近所の人たちから「なすがたくさん穫れたから、よかったらどうぞ」とか、「もうそろそろ畝を片付けたいから、ちょっと固くなってるけどトマトとピーマン好きなだけちぎってって!」とか、「すだち、おいしいから食べて」などと声をかけてもらえるようになり、他にもお手製の味噌やベーコンを分けてくださる方もいたりして、そのひとつひとつがほんとにありがたくっておいしくて、家族3人で大切に食べました。自分の食べたいものを選ぶのではなく、与えられた恵みを感謝して受け取ることの豊かさを知ると同時に、自給小農のたくましさを改めて実感したのでした。

大家さんから「畑をどんどんやってもらっていいですよ」と言われている空き地はいくつもあったものの、どこも草ぼうぼう。新しい生活が始まってまもなく、家族で小豆島へ買い出しに行ったときにホームセンターで刈払機を買ってかついで持って帰って来た連れ合いは、さっそくその日の夕方から空き地の草刈りをスタートし、連日の酷暑の中もくもくと畝立ての仕事を進めてくれていました。開墾に取りかかってから5日ほど経ったある日、めったに泣き言など言わない彼がぐったりとした顔でひとこと、

「あかんわ。土、固すぎるで…石もごろごろ出てくるし…駐車場みたいやわ…」

駐車場を畑に。うちのお父ちゃんがそんな錬金術みたいなことにチャレンジしていたなんて!お勝手でわあわあ騒いだり、本棚をこさえたり、一向に片付かないダンボールの前で頭かかえたりしてた私はぜんぜんわかってなかったよ。…っていうかあれ?お父ちゃんって肩のこんなところに筋肉あったっけ?そのパッツンパッツンの短パン、友達にもらったけどサイズでかすぎてしまい込んでたやつだよね??

日に日に、目に見えてガタイが良くなってゆく連れ合いは、「9月に入ったらすぐに秋まきの種をまき始められるように」という信念からブレることなく、“駐車場”にひとつまたひとつと畝を立てていったのでした。あの時の私に言ってやりたい。「片付けなんかどーせできないんだから、あんたも開墾手伝いなさいよ!!!」って…。

(2017/02/01 掲載)


よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。