山中峠 前編
今回紹介する峠は福井県を語る上で決して外すことができない峠です。
なぜなら福井県における最大の地域区分、「嶺北」「嶺南」を隔てる3つの峠の一つだから。
山中峠(やまなかとうげ)
木ノ芽峠、栃ノ木峠と共に福井県を東西に分ける重要なポイントであるこの場所。
飛鳥時代の文献からもその存在が読み取れる峠にも関わらず、上記の3つの峠の中では最も謎の多い峠でもあり、名前だけの峠となりつつあります。
飛鳥時代にはウツロギ峠や越坂と同じく、鹿蒜道(かひるみち)の峠として知られていました。
鹿蒜道も最近よく登場する古代街道なので、ここに地図を紹介します。
現在の地名で言うと敦賀市の気比の松原と南越前町今庄を結んだ道でした。
概ね、国道8号、476号、福井県道207号今庄杉津線、福井県道138号今庄停車場線(いまじょうていしゃじょうせん)がこの鹿蒜道を踏襲する道であることがわかります。
しかしなにせ飛鳥時代の道、世界遺産の熊野古道でも未だに判然としない部分があることからもわかる通り、完全解明には至っていません。
特に2ヶ所の分断区間、ここはどうにか特定したい部分です。
今後僕もこの鹿蒜道の解明に取り組んでいきたいと思います!
前置きが長くなりましたが、レポスタート!
現在地は山中大谷林道の起点付近です。
林道レポでも触れたこの入り口、時間帯は同じですが、今回は行ける気がしていました。
たぶんこの直前にやってた県道204号探索による自信でしょう。
ちなみにこの分岐はこの辺りです。
ここから鹿蒜道は林道→県道207号(旧北陸本線)→県道138号と続きます。
峠近辺にこそ車道はありませんが、他の部分ではかなり転用が進んでいますね。
しかしデジタルマップルさんはこの分岐の先を実線2本、つまり車線として書いてあるんですが・・・。
現実には・・・、
・・・微妙・・・
車も入れるっちゃあ入れそうですし、ダブルトラックが見えるような気も・・・。
ただしこの先は・・・、
アウト―!!
こりゃ絶対無理だ!
デジタルマップルさん、ここは破線でお願いします!
突っ込んだら死んじゃうって!!
これは美しい石垣。
この辺りは石垣の宝庫になっていました。
川の護岸施工も石垣!!
いいねぇ、流石古い街道筋!
大切にされてきた道だということがわかります。
谷筋を往く人ひとり分の狭き道。
明治時代には鉄道が開通し、完全にこの道は歴史の表舞台から引きづり落とされました。
だからこそ残る江戸以前の道。
人がすれ違える幅があれば十分だった時代の道幅です。
時々道は崩れてます。
ただ、道の規模と周囲に高低差がないのでなんとでもなりますが。
足を濡らすのはさすがに嫌なので、気合いで跳び越えます。
昔からここには木橋がかけられていたのでしょう。
いったい何代目の木橋なんでしょうか。
恐らく途方もない数になっているはずです。
今も昔も変わらぬ姿。
心が震えます。
ここから道はその姿を変えます。
そしてここからは地味に怖い区間が始まります。