完成しない人
ずーっと昔、学んでいたボディーワークの団体には奇妙なメソッドがあった。
人の顔つきや骨格体型皮膚の様子などから性格や体質、気質を数値化するというもの。
面長で目が大きくて額が狭く唇が薄く小さく鼻梁が強いわたしは
「あなたは何をやっても完成しない人」だといわれた。
いま思えば随分な言葉だし、余計なお世話!
レッテル貼りは自分にも相手にも安心感をもたらすから、わりとそのメソッドは人気だった。
だけどこの世界に変化しないものなどない。
罪人だっていつ善人に転がるかわからない(その逆も)
そもそもなにか正しくてなにが悪いのかなんて、本当のところは誰にもわからない。
しかし、そうやって投げつけられた言葉に悩む日がずいぶんと長く続いてとても苦しい思いをした。そういう類の言葉って、もう呪いじゃないかと思う。
何年もかかって考えて考えて、いろんな人に出会って学んで吹っ切れて、いまでは開きなおってしまった。
そもそも、完成しなければならないなんて、誰がきめたんだろう。
どこまでいっても疑問がうまれ、どんなに歩いてもよくわからないなぁと思う。
アレクサンダーテクニークのワークにはじめて参加したとき「なぜこのワークをやろうと思ったの?」と聞かれて「なにをやるのか、よくわからないまま来ました」と答えたら、先生はすごく嬉しそうに「いいね!僕はわからない人が来るとうれしくなる。既知ではなく未知を選ぶ人が大好きだ」と仰った。
ふと気がつくと既知ばかりになってる。
あれもこれも自分の目や身体で確かめたことじゃないので、正確には知った気になって生きている。
いつだれに刷り込まれたかわからない、だれかの価値観に身を寄せているだけなのに。
わからない、は素晴らしいこと
「どうせ飛ぶなら、既知ではなく未知で飛べ」と言われて、すっきり晴々としたあの気持ちを忘れずにいよう