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過去最大規模 100年後 奇跡の再会「佐竹本 三十六歌仙絵」(重要文化財 鎌倉時代)

2019.12.05 02:13


(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映<2019.11. 2>主な解説より引用)

「三十六歌仙」とは、歌人・藤原公任(966~1041年)の「三十六人撰」に選ばれた、36人の歌詠み人のことをさす。

 この中には、柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)や小野小町(おのの こまち)、在原業平(ありわらの なりひら)など、飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が含まれ、これを題材に描かれた絵巻が、「佐竹本三十六歌仙絵」である。

 この絵巻は、旧秋田藩主・佐竹家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれ、数ある三十六歌仙絵の中でも、最高の名品として重宝されてきた。描いたのは藤原信実、和歌の書は後京極良経の筆とされている。

 この絵巻の「流転」が始まったのは大正時代。佐竹家は茶人にとって憧れの的である佐竹本を、大正6年に実業家・山本唯三郎に売却した。しかし、その2年後経営不振を理由に、ふたたびこれが売りに出された。しかしながら、その高額さゆえに(今日の価格で「およそ60億円」という)、単独での買い手がつかなかった。

 この状況を打開すべく、三井物産創設者であり、茶人でもあった益田孝(鈍翁)を中心とする当時の財界人たちは、絵巻を個々に切断して「分割購入」という、前代未聞の手立てを講じた。分割された作品にはそれぞれ異なる値段が付けられ、誰がどの歌仙を買うかは、なんと「くじ引き」で割り当てられた。

 くじ引きの舞台となったのは、「応挙館」(1983年に東京国立博物館に移設され現在に至る) この分割売却は、「絵巻切断」事件として当時の新聞でスキャンダラスに取り上げられた。分割された歌仙絵は、それぞれの所有者のもとで掛軸となり秘蔵され、またその多くは、流浪の旅のごとくに、持ち主を転々とすることになった。

 京都国立博物館研究員の井並林太郎さんは、歌仙絵で使用されている紙について、「雲母を加味して表面に塗る加工<雲母引き/きらびき>や、木槌で叩いて表面に艶をだした紙<打紙>が使われたことから、この歌仙絵巻は、当時の王朝の間で、かなり特別な目的により制作された絵巻ではないか」と語った。

 また、分断後に所有者の手で施された、個々の「掛軸の裂(きれ)」について、「見た目の華やかさだけでなく、どういう伝来の裂であるのかなど、所有者の個性や美意識が、非常によく現れたものである」とも。

 今回の番組作品・アートトラベラーである近藤サトさんも、個々の作品の表情などを観て語る。「とても気品がある。内面の特徴を捉えて描き出すことを、700年前の画家がやっいたというのは、とても驚きです」と。

 京都国立博物館での特別企画展示では、37点中なんと31点が集結した。100年ぶりの奇跡の再会である。

 遡ること、1986年にサントリー美術館で。「三十六歌仙絵展」が開催されたが、当時集まったのは20件にとどまった。これを超える数字は未だかつてなく、今回は過去最大規模の展示となった。

(番組を視聴しての私の感想コメント)

 本展示会の最終日となった、令和元(2019)年11月24日、紅葉鑑賞も兼ねて、京都国立博物館を訪れた。かなりの混雑を予想していたが、午前中ということもあってか、整然と並ぶ本作品の一つ一つを鑑賞しつつ、音声案内カイドを片手に、短時間ながらも比較的いいテンポで、巡ることができた。

 歌仙絵巻の切断という大胆な行為に至ったことは、「事件」として、当時のマスコミが報道したことからも、その当時の衝撃が推測される。

 おそらくは、断腸の思いであったと同時に、これだけ重要で貴重な文化財作品を、永続的に、未来世代へどのよう引き継ごうかと、益田孝氏(鈍翁)をはじめとして、コレクター、実業家、美術関係者などが日夜熟慮に熟慮を重ねた、その結果であったろうとも推測する。

 「ものごとの決断にためらう場面」というのは、企業経営をはじめ、人生の様々な場面でも経験・体験することである。リスクマネジメント(危機管理)ということにもつながる話である。「ベスト(最善)」の答えが出せない場合は、「ベター(より良い)」な結論を探り、落としどころ(妥当な判断・妥協点にもなるケースもあるが)とする場面と重ね合わせて想像をめぐらしたが、動揺がまったくなかったとは信じがたい。

 その点の経緯・経過まで、番組では細かくは言及していなかった(あるいは不明)が、私自身は、危機の場面での「教訓」として学び直した。

作品の中身に移る。

 私自身、特に目に留まった作品のうち、作品・和歌と、ともに気に入ったのは、

在原業平

詠んだ和歌  「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

もう1点は

源信明

詠んだ和歌 「恋しさは同じ心にあらずとも 今宵の月を君見ざらめや」

 作品の華麗さ、気品のある描き方、心の内面をもその各々の顔(かんばせ)から描いてみせた、当時の情緒豊かな想像力と画力といったものに、圧倒された今回の特別展示の鑑賞であった。

(以下余談)

 秋の京都(2019.11.23〜24)は、ここ数年地球温暖化の影響もあってか、紅葉絶頂の時期が少しずつ遅れているようであった。

 今回の歌仙絵鑑賞と前後して訪れたのは、圓光寺、詩仙堂、清凉寺、奥嵯峨・祇王寺などであった。

 紅葉鑑賞も、訪れる時間帯(例えば早朝、お昼、夕方、夜間など)によって、太陽の日差しの照度や照射角度などさまざまに影響しあい、色合い、色彩が目まぐるしく変化するのを知った。来年も訪れるとすれば、私にとっての「秋の京都紅葉鑑賞」は3年連続となる。

 もとより(運不運はあるが)、鑑賞のタイミングを意識して、巡ることをお勧めしたい。

写真:「新・美の巨人たち」テレビ東京放映<2019.11.2 >より転載。同視聴者センターより許諾済。

写真上: 三十六歌仙絵の一部

写真中央左: 応挙館の建物 (現在は東京国立博物館の敷地内に移転)

写真左下:  在原業平 画像と右には和歌がしたためられている。

「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

 業平の凜とした気品あふれる表情と、パステル調の淡いピンクの色合いが、春の季節の風情とともに、作品の優しさ、優雅さを引き立てている。

写真右下: 小大君 彼女の目線と十二単と美しく長い髪のコントラストを組み合わせた、その構図も見事である。