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庭先養鶏はじめました7/よしのももこ

2018.05.02 10:05

雛たちが島にやって来たあの日から、ピヨピヨピヨピヨと鳴き声の漏れ出ているダンボール箱を開封して悪代官の心境になったあの日から1年が経ちました。養鶏小学校、第1学年の修了です。

「たいへんだ〜4月頭に雛がやってくる〜!!!」と、夏休み終盤の小学生さながらの慌てぶりで鶏舎の建設に着手して間もなかった昨年2月、著書を通して私たちをまったく新しい光で照らしてくださった養鶏家の中島正さんが、96年の人生を歩み切ってこの世を去られたという突然の知らせが飛び込んできました。養鶏をスタートさせることができた暁にはぜひともお礼の手紙を書きたいと思っていただけに、「ああ、間に合わなかった!」という思いにも一瞬とらわれたのですが、よくよく考えてみると、お礼の手紙なんかよりも、本を読んで突き動かされた私たちが日々喜びをもって働いていればそれでよいんじゃないか、中島さんがよしとするのはそういうことなんじゃないか、と思えてきたのでした(勝手に)。

あっという間に過ぎ去ったこの1年を振り返ってみると、ぶっちぎりで一番困ったこと、うまくいかなかったことはやはり前回も書いた仲間同士の羽喰い(尻つつき)です。タンパク質不足、繊維不足、寒すぎ、明るすぎ…、いろいろなストレス要因を予想して対策を講じてみましたが、なかなか改善しないまま今に至っています。もうほとんどの鶏がお尻ハゲハゲになって惨憺たるありさま。3月にはついに1羽が死に至るほどの傷を負ってしまい、鶏舎長は「育て方がへたくそなせいで、すまんのぉ…」と、瀕死の鶏に謝り続けていました。今は1羽1羽がさらにゆったり暮らせるように、新たに小さめの鶏舎を突貫工事で建てているところです。

うまくいかなかったことのもう一つは、飼料(の原料)の自給率が思ったほど高められなかったこと。せめて島内で調達する率を上げたかったけれど、それさえも微妙です。この点は2年目の我が養鶏場の一番大きいテーマになると思います。まずは、目指せ穀物自給率100パーセント! さらに、庭先小羽数養鶏を中心に暮らしていくのであれば、飼料だけでなく自分たち人間の食糧・食料自給率も上げていきたいところなんですが、1年目は完全にそこまで手が回らずじまいでした。増え続けるイノシシやヌートリアから畑を守る対策もほとんどできていません。でも、スタート時は駐車場のようだった土も微生物や虫の働きのおかげでフカフカのいい感じになってきているし、なんだかんだ言ってこの1年は野菜をどこからも買っていない! ってことで野菜に関してはほぼ自給率100パーセント(島の人たちからのいただきものを含む)を達成したので、2年目は主食の自給率アップを目標に据えて工夫していこうと思っています。

反対にうまくいったこと。何よりも一番予想外だったのは、たまごが売れたことです。養鶏をスタートした時点では、自然養鶏の本に書いてあるような「食べればわかる、明らかにおいしいたまご」を鶏が産んでくれるのかどうか、やってみないとわからない状況でした。鶏の世話にかける時間と作業量と費用を考えると、スーパーの安売りたまごとはまったく違う価格設定になるのは確実です。明らかにおいしいたまごを産んでくれたとしても、おいしいからといって売れるかどうかはわからない…。という感じで自信も確信も一切ないまま、販売については完全に見切り発車でしたが、ふたを開けてみれば鶏たちが産むたまごは明らかにおいしかったし、「このたまご食べたら、もう他のは食べれん」って言って定期的に買ってくれる人が島の中にも程良い人数いたのでした。2年目は、まだ出会えていない島の人たちにもうちの鶏たちのたまごを知ってもらえるような販売方法を試していきたいです。引き売りとか? 御用聞きとか?

これまでの人生で一度もやったことのない仕事を生活の軸に据えて、ごろごろ、ごろごろと重たい岩が転がるように歩んだ1年。これも前回書きましたが、起こることのすべてが未知との遭遇でした。いいことが起こったとか、満ち足りていたとか、そういう何となくポジティブなほうに偏った「楽しい」ではなくて、残念な出来事も、欠けているものも、困った事態も、毎日次から次へと起きるあらゆることが楽しかった。鶏たちが、少しでも気持ちの良い環境で元気に暮らすこと。すべてがそこにつながっていくので、私のような常に脳味噌が混乱しているような人間でも喜びとともに働くことができるのです。ああ、ありがたやありがたや。

と、さも私が日々働いているふうに書いてしまいましたが、現場作業の8割を担っているのは鶏舎長(夫)です。飼料の原料を確保して、集めた残飯や野菜の切れ端を分別し、発酵飼料を仕込む。1日少なくとも2回は大量に草を刈る。草の少ない冬場には島内をあちこち巡って草の生えているところを探す仕事も加わり、さらにケンカして傷ついた鶏への対処や、鶏舎の建設など、毎日ほんとうにもくもくと働いていました。単純にお金には換算できない仕事ですが、頭で考えるより先に、ただただ取り組む姿がそこにありました。

この仕事 やらなかったら 鶏が死ぬ

そんな川柳レベルのシンプルな動機で働くって、なんて健康的! 実際、鶏舎長はこの1年健康そのものでした。疲れが溜まって具合が悪くなることはあっても、半日も寝れば回復する感じ。ほんの数年前まで、冬になると必ず気管をやられてヒューヒューゼイゼイいっていた鶏舎長。線が細くて、頭がでかい、重心が上のほうにあってフラフラしていた人が、今ではどっしり地面を両足で踏まえて立っているのです。人間、おっさんになってからでもこんなに劇的に変わるもんなんですね。

(2018/05/02 掲載)

よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。