庭先養鶏はじめました9/よしのももこ
イノシシ年の1年が始まりました。みなさま新年おめでとうございます(※注 この原稿を書いたのは1月3日です)。今なにげなく「みなさま」と呼びかけましたが、はっきり申しますと私、ここに文章を書かせていただくようになってだいぶ経ちますが、いったいどんな方々にこれが届いているのか、はたまた届いていないのか、全然わかっておりません。それでも、世界のどこかのたったお一人とでも、この文章を介してなんらかの対話が発生しているのなら嬉しいなと思いますし、それを祈りつつただただ書いていきます。
ここ数年、この2019年イノシシイヤーに向けてなのかなんなのか、この島ではイノシシの勢力がどんどこ拡大しています。5年前くらいまではぜんぜんいなかったらしいのですが、どこからか泳いで渡ってきて、それまで大暴れしていた野犬軍団に取って代わって爆発的に増え、今では島民よりもイノシシの方が多くなったとも聞きます。
移住した年、連れ合いが夏の暑さに耐えながら大急ぎで荒れ地を開墾し、かたい土と格闘しながら畝を立てた話は以前書きましたが、やっと人参などの種を播いてほっとしたのもつかの間、いきなりイノシシが登場して新しい畑の真ん中で暴れ回り、畝を片っ端から掘り返されたのはとてもとてもショックでした。生活必需品のすべてを「購入」で調達する暮らしから一歩でも数歩でも外れて、自分たちのやったこと(=注いだエネルギー)が「収穫」に直結する率を少しずつでも上げる実験をやってみよう!という思いを胸に島へやって来たというのに…時間と体力をそれなりにかけて開いたばかりの畑がしょっぱなからズタボロ。えーっ、これ、もしかして畑、できないってこと?!
我が家の畑では刈った雑草を野菜の株元や空いている畝の上にたっぷり敷くのですが、これは東京暮らしの末期に市民農園を借りることになり、今まで畑仕事などしたことがなかった連れ合いが図書館に通っていろいろな農法の本を読んでいたときに「肥料も農薬も使わず、草を生やしたまま育てる」というやり方を知って、これならお金もかからないし、なまけ者でもいけそう〜と思ったからで、こうして草でマルチングをすると保湿にもなるし、畝の上を裸にしておくよりも土の中の微生物や虫の暮らしやすい環境になるし、最終的には草自体が分解されて養分にもなる。しかもポリマルチは高いけど草なら無料!(ここ重要)ということで我が家にはぴったりの方法なのです。ところが、イノシシは草の下にわんさかいる元気な虫さんミミズさんが大好物なので、今この島で畝の上に草を敷いておくというのは、テーブルの上にご馳走を並べて「ご自由にどうぞ」っていう看板を出しているようなもの。要するにイノシシホイホイだったわけです。
草でマルチングもできない、鶏を平飼いして鶏糞を肥料として使えるようになるまでには少なくともあと1年半はかかる、どうにか栽培できたとしても「やっと育ったと思ったらイノシシに根こそぎやられたー!」なんてことになっちゃうの?電気柵とかに設備投資をしないと始められないってこと?? 考えれば考えるほど、雲行きが怪しすぎてめまいがしてきます。この時期は、頼まれ仕事で山に草刈りに入った連れ合いがスズメバチに頭を刺されたり、クロちゃん(猫)が野良猫さんのなわばりを荒らしてシメられてシッポの付け根に穴があき、みるみる食欲を無くしてやせていったり、私自身も口内炎が5個くらいできて何週間も治らず食事がつらかったり、いろんなことが重なってメンタルがボロ雑巾のようになっていたので、当時の日記的なメモを読み返すと悲観的なトーンに支配されているのがわかります。
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2016年9月16日(金)
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私の乏しい能力では結局、離島で暮らす方が、何をするにもお金がかかってしまうのではないか。限られた選択肢の中で、家族や自分の健康を保って生きていく自信がない。私のこのメンタルでやっていけるのだろうか…
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この見事なまでのどんより具合。この日から2年以上経った、当時とはまたぜんぜん違う毎日を生きる私の目には新鮮に映ります。この日はさっき書いたスズメバチ事件の日なので、「スズメバチは2回目刺されたときにアナフィラキシーショックが出て死ぬことがあるから要注意」などという記事が検索で次々ひっかかって来たりして、「離島だと、そういうときも処置が間に合わなくて死ぬ確率高いよね…」みたいなことはそれまでにもボンヤリ考えたことはあったけど認識の解像度がさらに上がるというか、とにかくそういうことがあった1日だったもんだから必要以上に悲観的になっていたのはわかる。わかるんだけど、いくらなんでも思い詰めすぎです。「2年後にはそこそこやっていけてるから落ち着いて!」と当時の私に言ってやりたい。実際、連れ合いにもこんなような不安を吐露して「でも、まだ移住してから1ヶ月しか経ってへんし、何ひとつやってへんし、全然何も試してへんし、結論出すんは早いんちゃうかなー」と普通のテンションでなだめてもらったりしてました。
ところがこの2週間後、うちの畑のすぐ脇の果樹園でハンターさんがしかけていた罠に大きなイノシシが1頭かかってその場で射殺されるという出来事が起こり、それを境にうちの集落にはイノシシがぱったり姿を見せなくなったのです。これを奇跡と呼ばずして何と呼びましょう。その後1年半近くものあいだ、畑であれこれ試せるだけの猶予を与えられたことは本当に幸運だったとしか言いようがありません。こうして、移住早々降って湧いたイノシシ騒動から「畑をどんなふうにやるか」についてもう一度考えるきっかけを得た私たちは、次のようなテーマを掲げたのでした。
・どれだけほったらかしで作物が育つか、に全力を注いでみる
・「1日でもサボると畑・作物はダメになる!」的考え方からの脱却
・作物自身が健やかで、私たちがおいしく食べられるならそれでOK
ていねいに、手間と時間をかけていろいろ欲張ってやってしまうと、収穫を前にしてイノシシに根こそぎやられたときのダメージが大きい。だったら、いかにほったらかせるか、を全力で追求しよう! その土地にあっていないものを見栄えよく大量につくろうとすると手間または機械または薬剤が必要になるけれど、我が家はその必要がないんだから、むしろ作物の方に自分たちの食生活を寄せていけばいいよね! という発想です。そこから2017年春夏→秋冬→2018年春夏と3シーズン、まずは「うちで食べたい野菜」をずらっとピックアップして片っ端から種を播いてみた上で、ここの土地(結構なやせ地)でさほど手をかけずとも確実に育つものを見極めていきました。ここの土と相性がよくて、野菜自身がここを気に入った品種は、やはりほっといても勝手に育って行くんですよね。
さらに「株ごと収穫しておしまい!」ではなくて外側の葉を少しずつかき採って長い期間楽しめる品種を優先、白菜やキャベツは「巻くこと」にエネルギーを使われるとその分肥料がよけい必要になるから巻かない品種を優先、種とりしやすいものは種を毎年更新…という感じでやっているうちに、自然と野菜の顔ぶれが定まってきました。春夏だったらモロヘイヤやオクラ、秋冬だったら山東菜やカーボロ・ネロ(黒キャベツ)、そしてオールシーズンいてくれる人参あたりが我が家の食卓を支える主力野菜に成長してくれました。
最初の2シーズンくらいは、葉っぱは色が薄く、どの作物も小さくてショボい。他の畑なら引っこ抜いて捨てられるような、近所の方が「鶏にあげて!」と言って持ってきてくれる「クズ野菜」と比べても見劣りする感じでしたが、うちの食卓にはそれで十分でした。だって、売るわけじゃないから。ショボかろうが色薄かろうが、食べたらおいしい。はい、OK! 日本銀行券との交換を目的にさえしなければ何の問題もありませんでした。
人参の発芽時と苗の定植時、あとは真夏に日照りが1週間続いたとか、よっぽどのとき以外は水やりをせずにいたので土はカラッカラに乾いていましたが、だからこそ野菜たちは根を深く深く張り、地上の部分がショボくても根っこを見てみると驚くほど立派なのです。根っこさえしっかりしていれば、地上の見えている部分が虫に喰われて瀕死の状態だったりしても、季節が変わった途端グワワッと動き出したりするから面白い。そして、そのたくましい根っこが土の中を耕してくれるので、ひとシーズンごとに畑の土の様子が変わって行くのがわかり、それもまた面白いのでした。
(2019/01/17 掲載)
▲ 2017年1月の山東菜
▲ 2019年1月の山東菜
よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。