中島哲也 監督『嫌われ松子の一生』
21世紀の日本社会に
救世主イエスが降臨するなら
138時限目◎映画
堀間ロクなな
1946年(昭和21年)7月のこと、敗戦後の荒廃と熱気がうずまく東京・上野のガード下の市場に、ふいにひとりの少年が姿を現した。年ごろ10代の前半と思われるかれは、こんな風体だったという。
「道ばたに捨てられたボロの土まみれに腐ったのが、ふっとなにかの精に魅入られて、すっくり立ち上ったけしきで、風にあおられながら、おのずとあるく人間のかたちの、ただ見る、溝泥(どぶどろ)の色どすぐろく、垂れさがったボロと肌とのけじめがなく、肌のうえにはさらに芥(ごみ)と垢とが鱗形の隈をとり、あたまから顔にかけてはえたいの知れぬデキモノにおおわれ、そのウミの流れたのが烈日に乾きかたまって、つんと目鼻を突き刺すまでの悪臭を放っていて(以下略)」
無頼派の作家・石川淳が『焼跡のイエス』(1946年)に書き留めたもので、やがてこの少年がどうやらイエスらしいことが明らかになっていく。戦時下の空襲や原爆によって焼き払われた極東の島国に、もし救世主が降臨するならボロとデキモノの浮浪児こそがふさわしかったろう……。それから半世紀後、ふたたび日本社会に現れたイエスの姿を描いたのが中島哲也監督の映画『嫌われ松子の一生』(2006年)だ。
この演技で日本アカデミー主演女優賞を獲た中谷美紀が扮する主人公・川尻松子は、福岡県大川市出身で、イザというときにはひょっとこの面相をするのが得意技。物語は1971年(昭和46年)、23歳のときに中学校教師を辞めたのが発端で、それからは家族とも訣別して根なし草のごとく、売れない小説家と同棲して、その男が鉄道自殺するのを目の当たりにしたり、中洲のトルコ嬢(当時の呼称)に転身して、あくどいヒモを刺し殺したり、いったんは東京へ逃げたものの逮捕されて、懲役8年の刑期をつとめあげ出所すると、かつて教師を辞めるきっかけとなった教え子のいまはヤクザと再会して暮らしたり、ところが相手は組織を裏切って姿を消し去り……と、めまぐるしい転落につぐ転落の果てに、故郷の筑後川を思わせる荒川近くの江戸川区のアパートで、当時のアイドル「光GENJI」に惑溺するだけの引きこもり生活へ。それから10年あまりが経った2001年(平成13年)、53歳にして深夜の河川敷で中学生たちに金属バットで殴り殺される。人生最後の松子は、長年の不摂生のせいで歩くのも難儀なほどに肥満して、その風体は敗戦後の焼け跡に出現したボロとデキモノの少年と似たり寄ったりの醜悪さであった。
高度経済成長、オイル・ショック、空前のバブル景気とその崩壊、先の見えない平成不況……と、世の移り変わりに翻弄されながら、日本社会の原罪を一身に背負い込むようにして生きて死んだ女。その後、アパートの部屋の片づけを命じられた甥の青年が、生前の松子の足取りを辿っていくうちに、「叔母さんはひとを笑わせ、ひとを元気づけ、ひとを愛し、だけど自分はいつもボロボロに傷ついて孤独だった。そんな徹底的にどんくさいひとが神さまなら、オレはその神さまを信じてもいい」とかなり強引に結論づける。かくして、ラストシーンでは、光り輝く松子が天国へと続く長い階段を登っていくのだ。作中で繰り返し歌われる童謡を口ずさみながら。
まげて のばして おほしさまをつかもう
まげて せのびして おそらにとどこう
そう、この映画はおちゃらけなのだ。映倫が「PG-12」に指定したグロテスクなまでの描写の一方で、ときに挿入されるCG合成のけばけばしい風景は絵本のようであり、また、松子をはじめ登場人物たちが歌って踊る場面はミュージカルというより学芸会になぞらえたほうがいい。でありながら、いつしかわたしの両眼からもとめどない涙がこぼれているのだ。それは敗戦後の闇市の時代から遠く隔たって、いまや社会がまるごとヴァーチャルリアリティと化したかのような21世紀日本の救世主物語には、こうしたおちゃらけこそふさわしいからだろう。