PISAの結果をめぐる報道をきっかけに考えた家庭教育のこと。
今年もPISAの結果と共に日本の子どもの読解力の低下がセンセーショナルに報じられ、SNSなどではその原因と対策について様々な意見が提出されている。
中には
「家庭での会話が大事」
「親が読書する姿を見せるのが大事」
「親子で新聞やニュース番組を視聴するのが大事」
など家庭教育の質に言及するものもある。
私は読解力に限らず学力全般をめぐる課題について、家庭教育の質的変化にその原因を求める議論は現状あまり奏功しないと考える。
さらにいえば、そういった議論は家庭教育当事者に対してさらにプレッシャーをかけることになり、過度な焦燥を生み判断力を奪うなどの悪影響を及ぼす可能性があると危惧している。家庭教育を巡る状況はそれほどに難しい。
厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、2004年に56%であったワーキングマザーの割合はその後ひたすらに増え続け、2018年には72%を超えている(ここでは父親の就労率はこれよりも高いという事実を前提とする)。
つまり子育て世代の72%における家庭教育の実態とは
「仕事前の短い時間と、仕事後でかつ衣食住などの生活面のケアまでしたヘトヘト状態での隙間時間で行われているものである」
ということだ。
これは、家庭教育をめぐる状況はその質的変化を問題にできる局面をすでに通り越しているばかりか、そもそも頻度や時間、つまりその量において減少し続けていていて消失しつつあるという、さらに深刻な状況を示している。
育てるとは第一に養うであり、そのためには働かなければならない。そして労働時間と子育て時間は現状トレードオフだ。働かざるを得ないため、子育ての時間は減っていく。労働人口が減り続けるこの国ではこの傾向はますます強まるだろう。
となると、やはり社会は家庭教育への要求の形を変えざるを得ないのではないか。
過日『事業者も保護者も一緒に読めます。小学生募集についての構造と戦略。』というタイトルで「緊急性」と「家計の投資動機」という言葉を用いた記事を書いた。
詳しくは記事を参照してほしいのだが、私はそこで
「キャリアにしろ生活にしろ親が働く理由は尊重されるべきであり、家庭教育を批判するのではなく事業者として親の人生をサポートし子供を責任もって預かる仕事に取り組むことで貢献し共感と支持を得ていく」
という主旨の事業戦略を述べた。
端的に言って
「教育課題に立ち向かうにあたって、社会構造を相手にしたり失策を追及するのではなくて力を合わせよう」
ということだ。
そうするといつもの結論になるのだが、やはり、
「大人たちがその能力と時間を少しずつ、寄ってたかってギフトする社会の実現」
これを目指していきたいという思いを強くする。