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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

インディオの使徒8-エンリキーリョ反乱を和解

2019.12.05 11:03

1532年9月末、ラス・カサスは修道院長を辞めて、サントドミンゴの修道院に行った。実は院長をしていても、スペイン人に先住民を解放しなければ終油の秘跡をしないと言って先住民を解放したことが問題にされて、辞めさせられたのだ。院長をしても彼は彼である。

しかし神はここでもラス・カサスに仕事をつくったようだ。先住民エンリキーリョの反乱の平定に同行させられたのだ。エンリキーリョは改宗して信仰深い先住民だったが、こともあろうに彼の妻をスペイン人に凌辱され、訴えれば逆に投獄され、とうとう反乱に及んだのであった。

西洋文明を学んで有能なエンリキーリョには討伐隊も歯が立たない。反乱はエスパニョーラ島に広がり、スペイン側は200名からなる大規模な討伐隊を組織した。その最後の説得にラス・カサスが赴くことになったのである。

ラス・カサスは。エンリキーリョのもとに向かい、1カ月間寝食を共にした。そして、先住民だけで村をつくり、反乱した者の罪は問わないという条件で和解し、33年9月見事反乱を和解させ、彼をサントドミンゴへ連れ帰ったのである。そして翌年、ラス・カサスはインカ征服をきき、ペルーに渡ろうとしたが、船が遅れ渡航は叶わなかった。行っていたらどうなったろうか?

下は自分の名のついたドミニカ最大の湖の湖畔に立つエンリキーリョ像