山中峠 後編
木橋を境にその姿を変えていく鹿蒜道。
次第にその全貌が明らかになって行きます。
道には案内看板が経っています。
ここは特に案内がなければ、かなり迷う個所です。
悪戯で逆向きにしたら遭難者が出かねません。
ここからは若干道が荒れています。
倒木があったり、沢が道を蹂躙してたり、歩きにくい状況です。
しかしまぁ廃道をチャリで突破した身にはこれくらいは応えませんよ。
軽やかに跳び越えて先へ進みます!
木橋再び!
こいつはなかなか年季が入ってます。
なにせ木に草生えてますから。
乗っかって大丈夫だろうな、お前・・・。
うお!道どれだ!?
正解は写真中央の踏み跡なんですが、現場で見るとなかなか迷わせてくれるこの光景。
恐らく歴史探訪や地域住民以外、あまり人は入っていないのでしょう。
整備の悪さがそれを如実に物語っています。
湯尾峠とは雲泥の差・・・。
これさぁ・・・
法面崩れたまま、その上を歩かせてないか??
あの木から先は道の痕跡が明らかなんですが、そこまでの傾斜が酷過ぎる。
これは林道クオリティをも超える「古道クオリティ」認定だな!
古道も千差万別です。
振り返り見た写真。
写真中央に延びる一筋の小径が、
木から先で明らかに切れ落ちてるのがわかります。
これは仮説立証かな・・・?
これは・・・ぷーさん!?
と思いましたが、帰宅後調べたらこれはどうやら鹿の仕業のようです。
鹿が食べた後はこのように大きくめくれ上がり、ぷーさんが引っ掻いた後は爪痕だけが残るとのこと。
なんかそんなのも見えないことも無いですが・・・。
美しい切り通しが現れました。
これには心が震えたのを覚えています。
ここまでで最も大きな道としての遺構。
前編の石垣以来ですね。
先人の苦労に頭を下げ、切り通しを抜けた先には、
山中峠、着。
飛鳥時代から人を通し続けた、全国的にも最古参の峠の一つです。
木ノ芽峠、栃ノ木峠が現在も国道を通す幹線であるのに対し、山中峠は県道上にその名を残すだけ。
しかし確かにこの道の歴史は上に語った通り。
他の2つに比べても決して劣るものではありません。
もちろん峠にはお地蔵様がありました。
山中峠のお地蔵さまは「手を合わせていないお地蔵様」でして、これはなかなか珍しいものなんだそうです。
しかし観光地化されず、それでもなお残るお地蔵様に僕はこれ以上なく哀愁と畏敬の念を感じます。
まさに信仰と感謝によってそこに在るお地蔵様。
素晴らしい。
しかし僕はここから先に進むことができません。
僕に限らず、全ての人はこの道を辿って元比田まで辿りつくことはできません。
ここから先の鹿蒜道は全容解明が進んでおらず、行ったところで道はないという状況。
僕もこの先の道の解明に挑戦してみたいと思います。
この課題はそうそう楽に行けるものではないでしょうが、やる価値はあると思われます!
いつの日か、この先の敦賀湾を拝んで見せる!!
以上、山中峠編