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天野浩史|みんなでつくる、をつくる。

ボランティアで学生は変わるのかー「体験の言語化」からの挑戦出版記念シンポジウムに参加して

2019.12.07 05:39

この一年ほど、意識的に自分にインプットする時間を取ることができず、自分が仕事で生み出すアウトプットに、妙な「限界」を感じていました。

これはいかんと思い、時間があったので早稲田大学で開催された『ボランティアで学生は変わるのか〜「体験の言語化」からの挑戦』出版記念シンポジウムに参加しました。

「体験の言語化」とは、2016年に出版された書籍のタイトルでもあり、「早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(通称、WAVOC)」が教育手法として開発した、ボランティアなどの体験を学習者が言語化していく方法論です。

早稲田大学では正課の授業として「体験の言語化ー世界と自分」「体験の言語化ーボランティア体験から」が開講されています(いずれも1単位)。

また、2017年度には新たに課外活動「早稲田ボランティアプロジェクト(通称、ワボプロ)」が始まり、強い関心とコミットメントをする学生を対象とした「学生の情熱×教員の専門性」をコンセプトとした取り組みとして、より進化した活動を行なっているのも特徴です。

今回のシンポジウムでは、新たに出版された、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター編『ボランティアで学生は変わるのか〜「体験の言語化」からの挑戦(ナカニシヤ出版)』の出版記念も兼ねて、第1部では、ワボプロの5つのプロジェクトの紹介と「世界が自分ごとになった日」というテーマで学生が自分の言葉で語り、第2部では、村上公一WAVOC所長、河井亨立命館大学准教授、米谷龍幸ナカニシヤ出版編集者の3名と会場にいる発表学生とのパネルディスカッションで体験の言語化、そしてそれを促す教員の関わりについて深めていきました。


このシンポジウムの学びは、まず何よりも、発表者である学生から紡がれる言葉でした。

活動の様子、揺さぶられたときの心情が浮かぶ内容であることはさることながら、パネラーの河井先生の言葉を借りれば「お腹に響く言葉」をそれぞれの発表者が紡がれていました。

例えば、パラリンピックリーダープロジェクトのOさんは、なぜ自分は障害者と健常者を分けてしまうのか、分けてしまうものは何か、という疑問を抱きながら、活動、自問自答や議論を重ね、

「線ではなくグラデーション。全体の中で自分はどれくらいの場所にいるか、と考える」

「グラデーショングラデーションの世界なら、違和感はなくなる。良し悪しのない世界が見えてきた」

と、明確な線ではなく、グラデーションとして世界を解釈するという考えを持ったそうです。

「グラデーション」「良し悪しのない世界が見えてきた」という言葉で、自身の活動と学び、そして解釈の変わった社会を語る姿には、大きな感動を覚えました。


また、「世界が自分ごとになった日」のテーマにあるように、変わったタイミングがそれぞれの学生の中でどこにあるのか、という点では、活動テーマによって、その大きさはあるものの、「何気ない瞬間やシーン、他者からの作用が自分ごとになるスイッチになっている」と印象を受けました。

狩り部のTさんは、地元の方と一緒に町内を回り、豊かな緑の山々を見ながら「これが獣害の原因なんだよね」と説明された瞬間、海士ブータンプロジェクトのMさんは、ブータンでのホームステイ先のおじさんから「開発はもうこれで十分だ」と言われた瞬間、ISHINOMAKIの朝日プロジェクトの学生は、合宿でのホテルで(=活動の最中ではなく、活動が終わりスイッチが切れているとき)、「重要な非常口の場所や避難経路」について説明をされた瞬間というように、各々、客観的に見ると何気ない瞬間に「カチッ」とスイッチがはいったように思います。

その瞬間に出会うまで、また瞬間に出会ったあとの、自分の中で「モヤモヤする時間」があったことも大きいのだと、発表を聴いていて思いました。むしろ、そのモヤモヤする時間に自分の言葉でそれを紡ぎだすこと、すなわち体験の言語化なのだと感じました。

そして、その場をどうデザインするか、そのときに、どう学生の「体験の言語化」を促すか、まさに教員(支援者)の重要な役割があったのだと思います。

ばらっと読んだだけですが、新刊の『ボランティアで学生は〜』でもりびとプロジェクト担当の二文字屋先生は「引くこと・待つこと」の重要性と具体的な問い(「ムラブリの何がどう嫌いなの?」「君にとっての「向上心」とは何?」等)を学生で投げられています。


日頃、自分が関わる地域教育やフィールドワーク・プロジェクト学習でも、「自分の言葉で語る」ことの重要性を実感し指導しつつ、学習者の「変容」は何によってもたらされるのか、を考えていました。

例えば市民活動の世界では、葛藤や怒りに出会うことが、市民活動の始まりと言われていますが、教育や研修の中でそれを設計するのは、場合によりますが、難しいことが多いです。加えて、変容は「衝撃の大きい体験」による気づきだけなのか?そうではなく「何気ない中で見つけた自分の気づき」にも、変容するきっかけがあるのではないか?と考えていました。

その矢先、今回のシンポジウムに出会ったことで、体験の衝撃や大きさではなく、その前後にどう自分の言葉でそれぞれの体験を言語化するプロセスを踏むか、の重要性を感じることができました。また、そこにどう支援者が関わるか、ということも鍵なのだと実感しました。


結びに村上所長がおっしゃっていた「WAVOCはボランティアを教育という観点から捉えてきた(意訳、そんな感じのことをおっしゃってました)」こと、そしてそれを教育手法として体系化されたことに、大きな共感を感じています。

活動を通じて、作用される側の社会がどう変化するか?も重要ですが、反作用で関わった人がどう変容していくか、という視点で捉えることの重要性は、これからより教育の現場に求められいくと思います。

ボランティアとほぼ近い領域である地域活動・社会活動も、大学生に限らず、高校・中学・小学校で取り組む当たり前のものとなっていき、地域での体験・経験型の学習やプロジェクト型の学習機会が増えていく中で、「体験の言語化」は土台と言える手法だと、痛感した2時間でした。