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 シルバーバーチの霊訓

死後の世界

2019.12.08 01:00


一問一答


問「死んでから低い界へ行った人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れたこと───多分低い世界だろうと思いますが、それを思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役に立つのでしょうか」


シルバー・バーチ「低い世界へ引きつけられて行くような人はやはり睡眠中にその低い界を訪れておりますが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。

なぜかというと、そういう人の目覚める界は地上ときわめてよく似ているからです。死後の世界は低いところほど地上に似ております。バイブレーションが粗いからです。高くなるほどバイブレーションが細かくなります」



問「朝目覚めてから睡眠中の霊界での体験を思い出すことがありますか」


シルバー・バーチ「睡眠中、あなた方は肉体から抜け出ていますから、当然脳から離れています。脳はあなたを物質界にしばりつけるクサリのようなものです。そのクサリから解放されたあなたは、霊格の発達程度に応じたそれぞれの振動の世界で体験を得ます。

その時点ではちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。なぜかというと脳があまりにも狭いからです。小は大をかねることが出来ません。ムリをすると歪みを生じます。それは譬えば小さな袋の中にムリやりに物を詰め込むようなものです。袋にはおのずからと容量というものがあります。

ムリして詰め込むと、入るには入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生じるのです。ただし、霊格がある段階以上に発達してくると話は別です。霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能になります。

実を言うと私はここにおられる皆さんとは、よく睡眠中にお会いしているのです。私は〝地上に戻ったら、かくかくしかじかのことを思い出すんですヨ〟と言っておくのですが、どうも思い出してくださらないようです。

皆さんお一人お一人にお会いしているのですヨ。そして、あちらこちら霊界を案内してさしあげているんですヨ。しかし思い出されなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから・・・・・・」



問「死んでそちらへ行ってから役に立つわけですか」


シルバー・バーチ「そうです。何一つ無駄にはなりません。神の法則は完璧です。長年霊界で生きてきた私どもは神の法則の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるものかといった地上の人間のお粗末なタンカを聞いていると、まったくなさけなくなります。知らない人間ほど己れの愚かさをさらけ出すのです」



問「睡眠中に仕事で霊界へ行くことがありますか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的ですか」

 

シルバー・バーチ「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけの能力をもった人がいるわけです。しかし大ていは死後の準備のためです。物質界で体験を積んだあと霊界でやらなければならない仕事の準備のために、睡眠中にあちこちへ連れて行かれます。

そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。地上時代に霊的知識をあらかじめ知っておくと、こちらへ来てからトクをすると言うのはその辺に理由があるわけです。ずいぶん長い期間眠ったままの人が大勢います。

あらかじめ知識があればすぐに自覚が得られます。ちょうどドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光のまぶしさにすぐ慣れるかどうかの問題です。

闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのにずいぶん時間がかかります。地上での体験も、こちらでの体験も、何一つ無駄なものはありません。そのことをよく胸に刻み込んでおいて下さい」



問「霊的知識なしに他界した者でも、こちらからの思いや祈りの念が届くでしょうか」


シルバー・バーチ「死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。

その意味でもわれわれは無知と誤解と迷信と誤った教義と神学を無くすべく闘わねばならないのです。

それが霊界での目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれないかぎり、魂は少しずつ死後の世界に慣れていくほかはありません。長い長い休息が必要となるのです。又、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った者をこちらで看護してやらねばなりません。

反対に人のためによくつくした人、他界に際して愛情と祈りを受けるような人は、そうした善意の波長を受けて目覚めが促進されます」



問「死後の生命を信じず、死ねばおしまいと思っている人はどうなりますか」


シルバー・バーチ「死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかないわけです。目覚めるまでにどの程度の時間がかかるかは霊格の程度によって違います。霊格が高ければ、死後の存続の知識がなくても、死後の世界に早く順応します」



問「そういう人、つまり死んだらそれでおしまいと思っている人の死には苦痛が伴いますか」


シルバー・バーチ「それも霊格の程度次第です。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大ていは無意識だからです。死ぬ時の様子が自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます」



問「善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎めを受けますか」


シルバー・バーチ「私にはその善人とか悪人とかの意味がわかりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。がその人の真の価値は毎日をどう生きてきたかに尽きます」



問「愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では嫁に行くとか嫁を貰うといったことはないと言っておりますが・・・」


シルバー・バーチ「地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊格の程度が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとってはより自由な世界への入口のようなものですから、二人の結びつきは地上より一層強くなります。

が二人の男女の結婚が魂の結びつきでなく肉体の結びつきに過ぎず、しかも両者に霊格の差があるときは、死とともに両者は離れていきます。それぞれの界へ引かれていくからです。若返るかというご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことではなく、成長、進化、発達という形で現われます。

つまり形体ではなく魂の問題になるわけです。イエスが嫁にやったり取ったりしないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。

男性といい女性といっても、あくまで男性に対する女性であり、女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっておりますが、霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていきます」



問「死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪が一ばん多いですか」


シルバー・バーチ「もちろん私たちも罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれがすぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま他に知られるのです。因果関係がすぐに知れるのです。

従って醜い心を抱くと、それがそのまま全体の容貌にあらわれて、霊格が下がるのが分かります。そうした罪を地上の言語で説明するのはとても難しく、さきほど言ったように、利己主義の罪と呼ぶよりほかに良い表現が見当たりません」



問「死後の世界が地球に比べて実感があり立派な支配者、君主、または神の支配する世界であることはわかりましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されてきたのでしょうか」


シルバー・バーチ「霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないでいただきたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はおりません。霊界の支配者は自然法則そのものなのです。

また地上のように境界線によってどこかで区切られているのではありません。低い界から徐々に高い界へとつながっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて上へ上へと上昇してまいります」



問「地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか」


シルバー・バーチ「いえ、いえ、そんなことはありません。そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁あるものとの再会もあります。神の摂理はうまく出来ております」



問「シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に会うことが出来るでしょうか」

    

シルバー・バーチ「とくに愛着を感じ、慕っている人物には、大ていの場合会うことが出来るでしょう。共通のきずな a natural bond of sympathy が両者を引き寄せるのです」



問「この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか」


シルバー・バーチ「地上よりはるかに実感があり、しっかりしてます。本当は地上の生活の方が実感がないのです。霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません」



問「ということは地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか」


シルバー・バーチ「だから言ってるでしょう。地上よりもっと実感がある。と、こちらの方が実在なのですから・・・・・・あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられて、物質という壁で仕切られて、小さな鉄格子の窓から外をのぞいているだけです。地上では本当の自分のホンの一部分しか意識していないのです」



問「霊界では意念で通じ会うのですか。それとも地上の言語のようなものがあるのですか」


シルバー・バーチ「意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます」

 


問「急死した場合、死後の環境にすぐに慣れるでしょうか」


シルバー・バーチ「魂の進化の程度によって違います」



問「呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか」

 

シルバー・バーチ「魂に意識のある場合(高級霊)は、エーテル体が肉体から抜け出るのが分かります。そして抜け出ると目が開きます。まわりに自分を迎えに来てくれた人たちが見えます。そしてすぐそのまま新らしい生活が始まります。

魂に意識がない場合は看護に来た霊に助けられて適当な場所───病院なり休息所なり───に連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます」



問「愛し合いながら宗教的因習などで一緒になれなかった人も死後は一緒になれますか」


シルバー・バーチ「愛をいつまでも妨げることは出来ません」



問「肉親や親戚の者とも会えますか」  


シルバー・バーチ「愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません」



問「死後の生命は永遠ですか」


シルバー・バーチ「生命はすべて永遠です。生命とはすなわち神であり、神は永遠だからです」



問「霊界はたった一つだけですか」


シルバー・バーチ「霊の世界は一つです。しかしその表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側には必ず霊的表現があるのです。

その無限の霊的世界が二重、三重に入り組みながら全体として一つにまとまっているのが宇宙なのです。あなたがたが知っているのはそのうちのごく一部です。知らない世界がまだまだいくらでも存在します」



問「その分布状態は地理的なものですか」 


シルバー・バーチ「地理的なものではありません。精神的発達程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます」



問「ということは、私たち人間の観念でいうところの界層というものもあるということですか」


シルバー・バーチ 「その通りです。物質的条件によって影響される段階を超えるまでは人間が考えるような〝地域〟とか〝層〟が存在します」



問「たとえば死刑執行人のような罪深い仕事に携わっていた人は霊界でどんな裁きを受けるのでしょうか」


シルバー・バーチ「もしその人がいけないことだ、罪深いことだと知りつつやっていたなら、それなりの報いを受けるでしょう。悪いと思わずにやっていたなら咎めは受けません」



問「動物の肉を食べるということについてはどうでしょうか」


シルバー・バーチ「動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いを受けます。

その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識には必ず代償が伴います。責任という代償です」


以上、各種の資料を引用しながら死後の世界を見てきましたが、全体を通じて最も注目しなければならないのは、死後の世界と現実の地上生活とが密接不離の関係にあるという点であろうかと思います。

地上生活中の体験と知識が死後に役に立つという現実的な意味にとどまらず、地上生活中の意識や道徳感覚が時として死後の霊的進化向上に決定的な影響を及ぼすこともあるという意味においても、多寡が六、七十年の人生と軽く見くびることが出来ないものがあるようです。

たとえば大哲学者と仰がれた人が、その強烈な知性が却って災いして、死後、自分の知的想像力で造り上げた小さな宇宙の中で何百年、何千年と暮らしている例があると聞きます。これをマイヤースは〝知的牢獄〟と呼んでいます。各宗教の指導者やその熱烈な信者にも当然同じことが言えます。

この問題は別の章で改めて取り扱うことにして、話を元に戻して、もしも地上生活と死後の生活とに現実的にも道徳的にも何の因果関係もないとしたら、また仮りに関係があるにしても、それが仏教に見るような永遠の地獄極楽説とか、キリスト教に見るような、嫉妬したり報復したりする気まぐれな神の支配する世界だとしたら、

一体われわれは地上生活をどう生きたらいいでしょう。まったく途方に暮れるばかりではないでしょうか。

そうした観点から改めてスピリチュアリズムをみると、それがいかに合理的で、知性も道義心も宗教心も快く満足させてくれるものであるかを再認識するのです。

しかし同時にもう一つ別の観点、すなわちオリバー・ロッジの説に見られるコペルニクス的転回によってこれを見ますと、地上生活と死後の世界とに関係があるのは至極当り前といえるわけです。

われわれは肉体という鈍重な衣服をまとってホンの束の間を地上で暮らしているわけで、すぐまた元の生活すなわち霊界での生活に戻るわけです。つまり、もともと霊界で暮らしている者が危険を冒して地上へやってくるにすぎないのです。

とは言え、地上に生を享けるということは、ロッジも言っているとおり、そう易々と叶うものではないようです。その問題になると仏教の方に一日の長があるようです。 「帰経文」 という経に次のような箇所があります。

「人身受け難く、今巳(すで)に受く、仏法聞き難く、今巳(すで)に聞く。此の身今生に度(さと)らずんば、更に何(いづれ)の生に度(さと)らん。我等もろともに、至心(ししん)に三宝に帰依(きえ)し奉(たてまつ)る。」


死後の世界を知ったからといって、われわれは、かりそめにも地上生活を軽んじることがあってはならないと思います。その戒めをよく表わした俳句があります。決して名句とは言えないまでも、よき教訓を含んだ句として最後に紹介しておきます。

浜までは海女(あま)も蓑(みの)きる時雨(しぐれ)かな

高神覚昇著「般若心経講義」より