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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

凜として楚々とした立ち姿「築地明石町」(鏑木清方 昭和2<1927>年作)

2019.12.09 18:46

凛として楚々とした立ち姿  44年ぶりに発見「築地明石町」

(鏑木清方 1927年作 東京国立近代美術館蔵

「新・美の巨人たち」テレビ東京放映<2019.11.30>主な解説より引用)

 この作品を描いたのは、美人画の名手として上村松園と並び称された、日本画家・鏑木清方(かぶらき きよかた1878〜1972)である。

清方が人物画を描くにあたっては、人物の容貌だけではなく、内面の心理にまで及んで描き尽くした。その描写にその高い芸術性が見られるのも、特徴のひとつである。

今回、行方不明となり「幻」とされてきた3作品が発見され、東京国立近代美術館へ、新たに収蔵された。その作品は、清方の代表作として知られながら、1975年以来44年間も所在不明であった「築地明石町(1927年作)」と「新富町」「浜町河岸」(ともに1930年作)の合わせて3点。

今回番組が、特別にとりあげた作品「築地明石町」。背景は、朝霧で白く霞んでいる。佃の入江に停泊した帆船のマストも、薄く描かれている。

そして、中央にはどこを見ているのか、立ち姿の女性。その髪は、明治時代に流行した「イギリス巻」にしてあり、単衣の江戸小紋の着物と、少し長めの黒い羽織姿が、印象的であり美的である。

時代背景は、「明治20年代から30年代の人々の生活」。そして、明治時代には明石町は「外国人居留地」であった。

 番組が特に着目したのは、「白い肌」の描き方であった。

東京藝術大学大学院の保存修復・日本画研究会の向井大祐さんは語る。

「薄い彩色を何度も重ねて、丁寧に仕上げている」と。そして、この肌色の再現を試みた。輪郭線を描き、絹をかぶせ、上からなぞる。古粉、黄土、朱色を混色して、肌の色である「肉色」を再現した。

 清方は肉色で5回、髪で5回、それぞれ丁寧な重ね塗りを施している。

 この作品で光るのは、やはりそのリアルなまでに人の温かみすら伝わってくる、「肌色」でありその再現である。

(番組を視聴しての私の感想コメント)

凛とした、楚々とした立ち姿。憂いと陰りを帯びた女性の意味ありげな表情。

内側に向いた足もと。女性の目線の先には、はたして何が映っているのか・・・その意味深な情景全体に、まずは惹きつけられた。髪型も、当時流行していたからとはいえ、現代でもまったく遜色のない粋なスタイルである。

 さて、かつて本番組と私の感想コメントで、鏑木清方の作品のひとつ

「朝涼」(あさすず)をとりあげたことがあった。(2018年6月)

その際は、作品全体を印象づけた、特徴ある「パステルカラー」の色合いトーンをとりあげたことを想起した。特に娘が着衣している、浴衣の色に使われている色こそが、「清方<きよかた>ブルー」と呼ばれている、こだわりのカラーである。

単なる美人画として観るだけであれば、他にもありがちなスナップ写真のような印象で終わってしまうのであるが・・・青・群青・緑青・パステルカラー(淡青)などと、当時は東山魁夷、伊藤若冲といった画家の、各作品における「青」という色にこだわっていたせいもあり、私はその点に興味と関心を抱いた。

とりわけ、清方はその人物の「内面」までも、肉薄して描こうとして執着した作品とすれば、改めて目を凝らして見入ってしまう。築地明石町で描かれた女性は、実在の人物であると知り、その人物の存在感に改めて見入ってしまった。

最後に、清方が晩年を過ごした、鎌倉・小町通りの近く、雪ノ下自宅跡には、「鎌倉市鏑木清方記念美術館」が建てられている。

鎌倉に寄った際には、ぜひとも訪れたい美術館のひとつである。

写真:「新・美の巨人たち」テレビ東京放映<2019.11.30>より転載。同視聴者センターより許諾済。