Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

シルバーバーチQ&A 15

2019.12.14 15:00

●シルバーバーチとは……モーリス・バーバネルという人物を霊媒として、1920年から60年間にわ たって霊的教訓を語り続けた古代霊の仮名で、3000年前頃、つまりイエス・キリストより1000年前 に地上で生活したという英知の塊である崇高な存在。

⇒スピリチュアリズムを現世に広めた第一人者であり、江原啓之さんがスピリチュアリストになった動因でもあるのです。

【シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A】より一語一句カットすることなくシルバーバー チのアンサーを掲載します 

●シルバーバーチのお言葉を受容した者は感激して、救われ、地上天国という理想郷の創造と同時 に、自己の魂成長に全身全霊を捧げることだろう。


Q「霊的に正しければ、物的な面もおのずから正されるとおっしゃていますが、痛みつけられ、大量に殺戮され、酷使されるために生まれてきているとしか思えない動物には、それは当てはまらないように思います。動物は、何も悪いことはしていないのではないでしょうか?」


A『その見方は間違いです。同じく霊といっても、人間の霊と動物の霊とでは、範疇(カテゴリー)が違うのです。人間には正しい選択をすべき義務が与えられています。

いい替えれば、そこに自由意志の行使が許されているということです。それによって人間は、宇宙の進化を促進することもあれば、妨害することもあるわけです。この天体上で共存している動物に関しても、それをどう扱うかについて、ある一定範囲で選択する自由が与えられています。

人間の世界には悪用・誤用が多過ぎます。そのなかでも決して小さいとはいえない問題が、動物への残酷な医学的行為と、食糧としての身勝手な濫用です。しかしこれは、人間が進化するための、一種の必要悪なのです。もしも人間から自由意志を奪ったら、個的存在としての発達と進化を遂げるチャンスがなくなってしまいます。ここに問題の核心があります』


Q「そういう事態が生じることが、なぜ許されるのかが理解できません」


A『「生じることが許される」ことに疑問を抱くということは「許されないようにすべきである」とお考えになっていることになりますが、それは人類から自由意志を奪ってしまうことになります。

繰り返しますが、自由意志を奪ってしまえば、人類はただの操り人形となってしまい、内部の神性を発現するチャンスがなくなってしまいます。霊的資質が発達せず、地上生活の基本的な目的が失われます。

地上世界は、霊にとっての保育所であり、学校であり、トレーニングセンターです。さまざまな挑戦に遭遇し、それを克服しようと努力するなかで自由意志を行使してこそ、霊性が進化するのです』


Q「自分たちの使命を維持するために、人間は植物の生命を奪い、動物の卵や乳を横取りし、さらにひどいこととして、動物を殺して食べざるを得ません。こうした強盗にも似た生き方は、あなたがよく強調なさっている理性を反発させずにはおかないのですが、これを「愛の造物主」の観念とどう結びつけたらよいのでしょうか?」


A『人間は、自分たちのすることに責任をとることになっており、その行為の一つ一つが霊性に影響を及ぼします。その際に必ず考慮されるのが動機です。動機にやましいところがなく、どうしても殺さざるを得なかった場合は、その行為はあなたの霊性の成長にプラスに働きます。


霊的摂理は、原因と結果との関係、種まきと刈り取りの原理のうえに成り立っており、これだけは絶対にごまかせません。あなたのすること、考えること、口にすることの一つ一つが、それ相当の結果を自動的に生み出します。そこに、ごまかしの余地はありません。


悪いと知りつつ間違ったことをした場合は、その結果に対して責任をとらされます。その苦しみは自分で背負わねばなりません。善い行いをした場合でも、それが見栄から出ていれば動機がお粗末でいけませんが、魂の自然な発露としての善行であれば、あなたを向上させます。それが摂理というものなのです。


常々申しあげているように、「殺害」の観念がつきまとう食品は、なるべく摂取しないほうがよろしい。殺すということは絶対にいけないことです。ただし、その動機を考慮しなければならないケースがあることを認めます。


霊的向上をのぞむ者は、いかなる犠牲を払っても、大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。その摂理は霊的なものです。霊が発揮すべき側面は、いつの時代も同じです。愛と慈悲と寛容と同情と協調です。こうした原理にしたがって考えれば、食すべきものを食し、飲むべきものを飲み、正しい生き方に導かれます。しかし、最終的に選択するのはあなた自身です。そのために大霊は、自由意志というものをお与えになったのです』