英国離婚王7-千日の王妃アン処刑
2019.12.11 02:16
イングランドではマキャベリストのトマス・クロムウェルが生き生きと仕事をして、修道院を解散、その財産を没収していた。聖職者やシスターは一般人となり、結婚した者も居る。一方グラントンベリー修道院長のように抵抗した者は処刑された。
ルターの言うように修道院は無用とは言い切れない、実際ペスト禍のときは各地で修道僧やシスターが治療にあたった。病院兼福祉施設の「救貧院」は修道院付属施設だった。修道院を無くした国では新たに「公的福祉」を作らざるを得なくなるのである。
ところが、ヘンリー8世は憂鬱であった。王妃アンは後に女王となる娘を出産していたが、1536年初め、王妃アンは男子を死産したのである、この日は前妃キャサリンの葬儀の日だった。英王は、はじめからわかっていたとはいえ、アンの姉と関係していたことが、近親相姦として罪にあたるとまた悩み出した。
そして36年9月19日、アン王妃は、姦通罪、近親相姦罪でちょうど1000日目に処刑された。アンは、王妃を簒奪した女として国民から憎まれていた。処刑に臨むアンはむしろ嬉しげだったと伝えられる。しかしその処刑のわずか10日後、英王はジェーン・シーモアと結婚するのであった。
BBCドラマよりアンの処刑だいたい記録通り