F.CHOPIN、姉ルドヴィカへ毎日のように書簡を書く寂しいフレデリック
実はショパンがは4人の悪魔のバレエは、ルドヴィカ夫妻がパリに1年前の1844年夏に来た時に、一緒に観に行ったことがあったのだ。フレデリックはそのことを思い出していた。
姉ルドヴィカへパリで上演されているオペラの演目と歌手のことをフレデリックは詳しく報告しました。「オペラ座では、イタリ歌劇はヴェルディ作曲の作品を上演しています。
新しい劇の≪マリ・ジャンヌ≫はマリー・デルヴォ―ル夫人の演技の優れた部分が披露されますが、僕はまだ観ていません。」
ショパンは、毎日のようにオペラ座へ熱心に通っていた。この頃は、サンド夫人も一緒に鑑賞に行っていたのだ。サンド自身も創作活動のネタを探していたからなのだ。
ショパンは15日間かけて書いた書簡を休み休み日記のように書き綴り姉へパリの様子を伝えた。「今日はパリは天気が悪く憂鬱です。」パリの冬の寒さは厳しく天候が悪いと誰もが気分が沈みがちになる…。
「今日はバルフの新作オペラの初演をグランド・オペラ座でを観ます。
彼は≪ハイモンと4人の子供≫です。あなたとパリで一緒に観ましたね。
そして、今日の作品は≪セビリアの星≫という作品を観ます…。」
ショパンは続けた、「…明日はイタリアオペラ≪ヴェルジーのジェンマ≫(ガエターノ・ドニゼッティ作曲)を上演します。」
そして、まだまだショパンのオペラ鑑賞の毎日は続いた。。。「昨晩は、使用人のルースも連れて行ってやりました。
しかし、昨日の夜の夕方、私たちは皆(ルースを含む)ポルト・サン=マルタン劇場
に行きました。デネリー氏による新しい演劇を上演していました。
あまり良くありませんが。
マリー・デルヴォ―ル夫人の≪マリー・ジャンヌ≫の演技は奇跡的です。」
まだ観ていなかった話題のデルヴォ―ル夫人の演技を観にショパンはサンドと一緒にサンマルタンへ行きました。
この劇の内容をルドヴィカへフレデリックは詳しく書いて伝えました。
「 職人と結婚する労働者階級の少女の物語です。
職人の夫の邪悪な生活様式のせいで、彼女と彼女の子供の小さな男の子は貧困に苦しみます。
そして彼女は、子供を飢えで死ぬことから救うために、自分の子供を浮浪児と孤児の収容所へ連れて行くのです。
その場面はデルヴォ―ル夫人によって見事に演じられています。 みんなすすり泣きます。
劇場では、人々が鼻をかむのが聞こえます。 彼女が駆け出しのころは、こんな役は出来ませんでした。
彼女が≪賭博師の人生の10年≫を演じていた頃のことです。」
それから、オペラ好きのショパンの話は長い。。。その3日後もオペラ鑑賞をしたショパン。「僕はバルフのオペラを観て全くがっかりしました。もちろん、歌は最高にいいので、私はそのようなオペラの資源の浪費を見て後悔しました。
一方、マイエルベーアは静かにボックス席に座り、台本を見ていました。彼は完全に上演準備ができているオペラが二つあるのです。
≪預言者≫と≪アフリカ≫です。両方とも5幕ですが、彼はオペラの初演を許可しないのです。
彼が気に入った新しい歌手がいない限り上演はさせないのです。しかし、監督にシュトルツ夫人は影響力を持っているため、彼女は自分より優れた人物の歌手に主役を与えることはないと思われます。
バルフのオペラでの舞台装置は威厳があり贅沢な雰囲気でした。」
ショパンは、決して評論を公に書くことはなかったが、自分の作曲の一番の理解者であるワルシャワの姉のルドヴィカには正直な感想を淀みなく伝えたのであった。
ポルト・サン・マルタン劇場 建設: 1781年 改修: 1873年
18世紀後半頃