まさに月読尊…令和元年最後の満月。
今年最後の満月の夜、見事に煌々と輝く月になりました。
さえぎる物が何も無く、ただただ煌々と夜を照らす明るい月。
まばゆく輝く月でした。
最近ちょっとだけ、神様に目覚めた僕。月読尊(つくよみのみこと)と重ねるように昨夜の満月を眺めていました。1年間の不安定な気候をすべて照らすような月と同時に来年に向けて未来を照らすような月。
そんな感じのするまばゆさでした。
来年も様々な自然を追いかける1年。月、星空、空、大地、東栄町の自然、夕焼け、富士山。目に写るすべての自然を心から楽しみたいと思います。
神図鑑から引用しました。
神図鑑
月読尊
ツクヨミノ
ミコト
【闇に光を届ける神】
ツクヨミは、アマテラスの弟であり、スサノオの兄でもある。
イザナキがイザナミに追われ、黄泉の国から逃げ帰ってきた後、イザナキの右目から産まれた神様がツクヨミである。
イザナキが産んだ最も尊い神として、彼らを「三貴子」と呼ぶ。
アマテラスは太陽の神。スサノオは海原の神。
そしてツクヨミは夜の神、または月の神と呼ばれている。アマテラスやスサノオの話はよく出てくるが、ツクヨミはほとんど登場しない。
支配領域は、天や海に限定されず広い範囲に及ぶという。また、大陸に派遣され大陸の神様になったという説もある。
いずれにしても、謎が多い神様である。
また、ツクヨミ(月読)という「月を読む」意の名前から、暦とのゆかりも深い。
暦は月が満ち欠けする月齢と連動しており、満月から次第に月が欠けていき、新月になるまでの時間の流れを基準とする。
神社で一日と十五日に参拝するのは、この月の満ち欠けに関係していた。
一か月のうち、十五日を境に振り出しに戻り「気」が高まることから、一日に祓い、そして十五日にまた祓う。これが参拝時期の所以である。
アマテラスが「陽」ならば、ツクヨミは「陰」。
夜の闇に光を届け、海の航海をそっと見守り、さりげなく人々を導くありがたい存在である。
決して主役ではないが、なくてはならない存在。
人にも様々な役割がある。表舞台に立つ人、実行する人、補助する人など。
一見、言葉を発する者だけが人の目を引くが、それは、誰かがその言葉を差し控えたからこそ、言葉を発する者の存在が際立つのである。
「成るように成る」という言葉がある。
とやかく物申したり、あれこれ心配しなくとも、必然の成り行きのままで良いように出来ている。この世は「成る」で出来ているのだ。
しかし、どうしても事が成らない時に「する」人が出てくる。
人はそれを「英雄」と呼ぶ。私たちは「する」ことに目を向けがちだが、日常における多くの場合は「成る」ことによって支えられている。
特別な能力がある人は、その能力を活かして様々な困難を切り拓いていく。
その一方で、足元が見えにくくなってしまう。その見えない足元の細かな部分を、他の誰かが支えている。
ツクヨミは、そんな足元を照らす神様ではないだろうか。
私たちの周りにも、陰で支えてくれている人がいる。
そこに眼を向けて評価できる人にこそ、徳は備わる。あなたの足元を照らしてくれている人も、きっといるはずだ。