岐阜遠征第2弾 国道365号上石津トンネル旧道 後編
この先が知りたい。
ここまでは誰だって来れる。
あえてこの先が知りたいから、僕は今ここに立っているのです!
お邪魔します!!
たぶん崩落現場は200mも先ではないと思われます。
この平穏もあとわずか・・・。
第2ゲート到達!!
そしてそのすぐ裏側には・・・、
道が無い!!
比喩ではなく道が無い。
これは恐らく崩落で全て崩落したわけではなく、桟橋を渡して道路を通す工事のようですね。
今は橋が無いのでどうにもできませんが。
今の僕たちには橋が無くともあの対岸に立つ術があるのです!!
現道ワープ!!
まさに最強の迂回路ですよ。
ワープしてる間に、 戻りの途中で往路では発見できなかった石碑があったのでご紹介します。
工兵第三大隊爆破
大正十二年七月竣工記念
道路改修記念碑
岐阜県知事 上田萬平書
上の2つの石碑は横並びに設置されていました。
同じものに対する記念碑であることがわかります。
また上田知事は大正12年当時の岐阜県知事なので、両者の互換性の確認が取れました。
この石碑達からの有力な情報は1つ。
道は少なくとも大正12年以前からあったので、竣工ではなく「改修」の時点で明らかです。
意外と古い道だということがわかります。
しかしそうなってくると前編で気にしてたあの道はいつまでメインストリートだったんだろう?
これは上石津の図書館にでもこもって調べないとわからなさそうですね。
ワープ完了!!
看板に隠れて見えませんが、上石津第3トンネルはすぐそこです。
その手前をぐるっと川沿いに回って抜けるのが旧道。
しゃりおくんが停まっているところですね。
知ってるよ・・・。
行けないことが分かってても、男には行かなきゃいけない時がある!!
旧道はしばらく併走しますが、山裾に差し掛かると素直に巻いていきます。
わかりやすい旧道線形と言えますね。
併走するのはすぐに合流するとトンネル直後に交差点となって危険ということでしょう。
天王峠なんかは、トンネル出口に旧道直通ですけどね。
優しい設計です。
前編でも案内されていた多良峡森林公園がありました。
関ヶ原側からはトンネルを使わないといけないってことですね。
そしてここがラストのアクセスポイントなので・・・、
当然封鎖きますよね。
ここから500mは徒歩で行きます!
多良峡
これは確かに美しい。
紅葉の頃はさらに美しいのでしょう。
今年の秋には間に合わないだろうなぁ・・・。
基本的に長いだけで(笑)、石碑の類はありませんでした。
前編公開後の情報(mayさんありがとうございます!)によれば、崩壊地点を含むこちら側の方が3年ほど長く現役だったそうです。
第1トンネルが1984年、第2トンネルが1987年1月、第3トンネルが同7月だそうです。
これは後日調べてわかった竣工年なのですが、ここで気になることが一つ出てきました。
第1、第2トンネル間は旧道利用ということで納得できた。
第2、第3トンネル間は半年の間どうしてたんだろう??
僕の読んだ本では「順次開通」とあったのですが、これが誤りで第2トンネルは完成していたが半年間待たされ、第3トンネルとともに解放されたと考えるのが無難でしょう。
もし違ったら教えてください!
距離的にはこちらの方が長かったですが、景色以外には見どころの無かった三重側でした。
しかし一般的にはその景色こそが最大の道の魅力!
是非とも復活して、また多良峡の素晴らしい景色を見せてほしいものです。
次回僕は再び上石津トンネルの前に立ちます。
この道を旧道と呼ぶならば、旧旧道と呼ばねばならない道に挑む為に!!
以上、国道365号上石津トンネル旧道編