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この道往けば act2

紀伊半島遠征第7弾 紀北隧道群 相賀隧道 後編

2019.12.15 02:21

いよいよ核心部に突入する相賀隧道。

しかしその前に前編で発見した旧旧道から、僕は思わぬ発見をしました。

そこ橋だったのか!!

おそらく最も単純な方法で作られたプレートガーダー橋。

まさか現役時からこの姿だったのか?

位置的に橋の下は確認できませんでしたが、橋台らしきものもみられませんでした。

隧道に目移りしてる上に、埋もれまくっててわからなかったよ!

さて洞内はこんな感じ。

蘇るトラウマ・・・。

しかし僕が立ちたい場所はここではない。

この先にあるのです。


延長82m、紀北隧道群中最短であるこの相賀隧道。

行ける!

そう行けるさ!!

Yes!Ⅰ can!!

相賀隧道を象徴する洞内からの崩壊現場

僕はしばし闇に潜ります。

光よ、反対側でまた会おう!

フラッシュオフだとこんな感じです。

素掘りの岩壁は光を吸収するので、コンクリート隧道より余計に暗く感じます。


そしてこの隧道もコンクリート補修の跡が見受けられました。

素掘り部がそのままなのは、よほど強い岩盤なんでしょうか?

さっきの橋も岩が強いからそのまま置いちゃったってこと??

なかなかワイルドだな・・・。

奥の光は心霊現象ではなく、僕の持ってるライトの光ですよ。

コンクリートの舗装がされている洞内。

もしかしたら明かり部分も舗装されてたのかも?

掘り返してみたらよかった。

そこまで気が回らなかったなぁ。

そういえばカーブしてる煉瓦隧道って初めてだなぁ。

どういう施工してるんだろう?

煉瓦を微妙に削っていってるとか・・・?

カーブ部分コンクリート化されてやがる・・・。

どうなってたんだろう?

ご存知の方教えてください!!

ゴールが近づいてきました。

そして僕が立ちたいと思った場所も近づいてきました。

しかしさっきの橋と同じように、焦ってはいけない。

見るべきものはこういうところに隠れているものです。

起工大正2年9月
竣工大正5年7月
設計者 三重県技師 岩井藤太郎
設計者 三重県技師 天野久
石工 西村市蔵


この国道42号紀北隧道群は皆、この岩井藤太郎氏によって設計された隧道群です。

いずれも素晴らしい隧道たち。

時期的には煉瓦隧道制作期としては末期と言えます。

洗練された感じがありますね。

田代隧道のちょっと先輩って感じでしょうか。

そしてやっぱり石工は違うみたいですね。

長島隧道には「松田辻吉」と書かれていましたし。

こちらは比較的読みやすく書かれてますね。

かなり苔たちの浸食を受けていますが、まだまだ読めます。

いきなり振り返っての撮影にはわけがありまして。

この旧道区間、もう一つの遺構に直で出ちゃうんですよ。

旧馬越橋(まごせばし)

何を隠そうこの橋、現道から丸見えなんですよ。

オブローダーとして、見えてる橋の上には立ちたいという欲求は何物にも代えがたいものがあります。


隧道を越えて、今その願いは叶いました。

そして現道も素敵なトラス橋。

これはこれで・・・。

非常に読みにくくなってますが、「まごせばし」と確かに書かれています。

「まごせ」は熊野古道の一部ともなっている、付近の峠「馬越峠(まごせとうげ・レポ未)」から来てると思われます。

現道の橋も同名ですね。

この谷の名を僕は知りませんが、地図で見るよりはるかに深い谷でした。

ここは結構海に近い場所ですが、リアス式海岸地形では海の近くでもこのような険しい地形が散見されます。

福井県と共通点ありますね。

見事なプレートガーダー!

ごついぜ!!

こちらも既に廃ですが、昭和29年に架け替えられた2代目とのことです。

3代目はトラス橋、2代目はガーダー橋、初代はなんだったんだろう。

アーチだったら面白いんだけどな・・・。

ご存知の方いらっしゃいますか??

こっちにも道あるなぁ・・・。

やはり作業道という公算の高い道ではありますが、気になる立地。

気になる問題を残してしまいました・・・。

そして現道復帰。

僕がこっちから入れなかった理由が見えてますね。

旧道入口で工事中

これは俺には無理っすわ。


なんだかんだで紀北隧道群の中で一番気に入っているこの相賀隧道。

崩落を苦にしなければ非常に美しい旧道でした。

また来たいなぁ、ここ。


以上、紀伊半島遠征 紀北隧道群 相賀隧道編