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この道往けば act2

旧国道8号第9弾 金ヶ崎ー阿曽 古の石碑編

2019.12.15 03:01

さて第1関門を突破したので次の切り通しまでの間に、ひとつアメを拾っていきましょう。

以前から気になっていた、路傍の石碑。

見に行かないわけにはいきません。

石碑の位置は丁度、切り通しと切り通しの間。

写真はそこから小規模な切り通し方向を写しています。

そして相変わらず混雑している国道8号現道。

阿曽隧道探索の苦労が甦ります。

さてもったいぶってもしょうがないので、見ちゃいますか!

お地蔵様もいらっしゃったのか!!

これは迂闊でした。

石碑だけに気をとられていた自分が恥ずかしい。

むしろお地蔵様メインですよね。


後ろの岩をくりぬいたのかと思いましたが、鑿の跡も見られないのでおそらく自然の形を利用しているのでしょう。

ただ意外とお地蔵様は新しい気もします。

痛みも少なく、祠などは後付けとしてもそれを差し引いても古いものではなさそうな・・・。

2代目とか・・・?

どうもこの石碑はこのお地蔵様に奉納されたもののようです。

奉られた言葉はちょっと解読しきれませんでしたが、祝詞のようなものに感じました。

そしてオブローダー的には一番最後に重大な情報があります。

昭和八年一月吉日

この当時はまだ国道8号ではなく、国道12号(東京-石川)と呼ばれていた時代の石碑です。


国道8号の歴史は古代北陸道まで遡れますが、明治から昭和にかけてはぶつ切りに別の国道に指定されていた歴史があります。

これはそんな空白の時代の石碑。

それでもこの道は地域に愛され守り続けられていたのです。

これを見て僕は、この先に控えるであろうこの区間最大の謎に挑む気力が湧き上がりました。

よし、行くか!!

こちらがこれから向かう大規模切り通し方面。

相変わらず険しい・・・。

しかし、挑まなければ始まらない!!

やってやろうじゃないか!!

いよいよウツロギ峠でおなじみの五幡に突入しますが、現在地は江良(えら)。

五幡の先はもう阿曽隧道、しかしその前に僕が気になる最後のチェックポイントが待っています。

その入り口が・・・、

ここだ!!

ここ、実はかなり疑わしい区間でもあります。

文献でも触れられていない区間で、近くにある帰り山観音の記述はあるのに、ここの切り通しの記述がないなど、なかなか謎に包まれています。

しかしこういう場合、オブローダーにはわかりやすい解決方法があります。

わからなければ行ってみればいいんです!!

切り通し前の新旧合流疑定地。

僕が疑っているのは当然右の防波堤の上です。

見れば見るほど気になるこの分岐、しかしただの防波堤という可能性もあります。

なぜなら・・・、

ぶつっ!!と切れてるわけですよ。

これはこのおうちを建てる際に旧道を崩したのでしょうか。

少なくとも道の痕跡であることは間違いないと思うんですが・・・。

謎が深まります・・・。

未成道みたいだな・・・。

おうちの裏側にはやはり道らしき痕跡がありました。

やはりここには道があったと考えるのが自然でしょう。

道幅も先ほどの小さな切り通し区間旧道とほぼ同じ規模。

道の繋がりを感じます。

・・・・・おえ

ここ道あるか??

ないだろ!!

漂う未成道臭・・・

なんだこの道!!

ただよく見てみると平場はあるのです。

あるからには行かないといけないのが平場のマジック。

今回もまた藪の中の住人か・・・。

ただ土砂の流出によって足場がすっかすか。

落とし穴だらけ。

足首やっちゃうよ!


さらに言うならここもいばらだらけ!!

まだ足痛いんだよ!!

なんでこいつらこんな蔓延っちゃってるの!

こんなところに道の連続性いらないって!!

法面も人工的に開かれたように見えます。

ただこの手の壁は結構フェイントだったりするので、なかなか断言はできません。

写真左の岩の端っこに石垣のようなものがみえますが、あれは自然石でした。

石垣だったら確定だったのにな・・・。

すいません、限界でごわす。

ここは危険です。

終わりなき藪地獄。

ここは無理せず、海岸線からの目視に切り替えたいと思います。

・・・すぐ近くに歩きやすそうな海岸が見えてるんだもん・・・。


さて次回からは、海岸から目視にて旧道を確認していきます。

思いもよらない物が現れる海岸線の探索。

次回を待て!!