山中信号場待避線 後編
狸に目をとられてしまった前編の最後。
こいつのおかげで重要な情報を見落としていました。
化かされてたな・・・。
このトラック、車検証などをみるに・・・。
10年物の廃車なんだそうです。
よしみやさん、情報ありがとうございます!
雨ざらしじゃないというのは、やはり大きい。
10年間風雨にさらされた廃車はなかなかのもんになってることが多いですが、ここのはさも現役であるかのように残っています。
天井に残る煤が物語るこの施設の用途。
ここはタヌキの住処でも、トラックの墓場でもありません。
信号場待避線のロックシェッド(スノーシェッド)
往年の交通の遺産として、末永く残すべきものだと思います!
・・・なんだけど・・・、
これは違う意味で怖いからやめてくれよ
さすがにこの瓶に触れる勇気はありませんでした。
コーラはともかくファンタの瓶なんて、このご時世あんまり見かけないぞ。
いつからあるんだよ。
そしてこの瓶どかしたらなんか出てきたらどうすんだよ・・・。
熊も怖いしそろそろ行くか・・・。
しかしこういう施設に来るといつも思う。
こういうのは遠景こそ素晴らしい
中に入っていろいろ探りまわるのも楽しいんですが、自然と一体となった遺構を愛でるにはやっぱり遠目から眺めるのが一番。
しかしいつまでも振り返ってるわけにもいきません。
ススキに埋もれかけた道を進みます。
大体この待避線跡がどこに出るか予想はついていますが、それを証明しなければなりません。
しかし夏場ならこんなに楽には辿れなかっただろうなぁ。
ススキの陰からぷーさんが現れないことを祈りながら進みます。
しかしレールがあったころを想像できる姿が残っています。
ここを煙を噴き上げながらSLが走っていた姿。
皆さんは想像できるでしょうか?
気分は山岳鉄道?
ススキ地帯抜けた!!
やっぱりススキは厄介だよなぁ。
晩秋だったからこそ、苦も無く通過できました。
しかしさっき登ってきたところはなかなかベストな位置だったんだなぁ・・・。
勘がさえてるじゃないか。
大分本線(現県道)に近づいてきました。
となればゴールはあとわずかと言えます。
やはりここに出たか!!
僕はてっきり廃林道だと思っていたこの道。
そんな歴史があるものとは気づきませんでした。
しかしここがおそらく遠征ならばすぐに気が付けたことでしょう。
山中信号場(やまなかしんごうじょう)跡
ここに信号場がある理由は前後の勾配と、この先の山中隧道によるところが大きいです。
詳しくはこちらをどうぞ。
こ・・・この中が空洞の木製の構造物・・・。
ただの木ではないな・・・。
これは噂に聞く・・・、
木製電柱!!??
マジかよ。
今まで全然気づかなかったよ・・・。
信号場跡には史跡らしく、案内板がありました。
これが先ほど言っていた「遠征なら気づいてた」理由。
近場すぎて読まなかったのが運の尽きです。
まぁ何事も遅すぎることは無い。
今からでも確認しておきましょう。
なんか事細かにいろいろ書いてあるんですけど・・・。
これって合ってるか?
上下引込線が更地化したことで分かりにくくなってるんだけど・・・。
ちょっと微妙かも・・・。
こちらは観光案内的な色合いの強い看板。
しかし、この右側の写真!!
いいねぇ!!!
今この光景を見出すのは難しい。
何せ左側の線路は完全に更地化されて、元の状態はほとんど残っていないのです。
在りし日の姿を、せめて心の中で重ね合わせるとしましょう・・・。
さぁ心の中でレールを敷いて!
以上、山中信号場待避線編