☆GIFT☆
“メリークリスマス”と“苦しみます”をかけたダジャレに『メリークルシミマス』とか『滅入り苦しみます』なんてのがありますね。
こんなダジャレで師走の時期を自虐的に笑い飛ばす、そういうことができなくなりました。
我が子に自死(自殺)で先立たれた親になってしまってからは、もうダジャレではなく、そのまま……自分にガッツリと当てはまる言葉になってしまい、笑えないどころか、本当に苦しい嫌~な季節に。
(まあ、どの季節もそれなりに苦しいんですけどね)
メリークルシミマス、今年も。
街角がイルミネーションでキラキラと彩られ、あちこちから聞こえてくる少しアップテンポのクリスマスソングに合わせて足早に向かう先は、愛する人のもと、愛する人たちの居る場所。
かつては自宅をメリクリ風にささやかながらデコレイトして、夕暮れ時には居間にキャンドルなんぞを灯して、ムーディーなメリクリソングをエンドレスで流し、鼻歌混じりに夕飯の支度をしながら家族の帰りを待つ、……今から思えば一点の曇りもない『幸せなお母さん』でした。
でも、幸せだと思っていたのは私だけだったのか、我が子はクリスマス、お正月のあと、晴れ渡った冬の日に旅立ってしまい、すべては幻に。
事後からは180度、世界は変わりました。
*
一年目のクルシミマス。
あの頃は……もうダメかも、どんなやり方で抗おうと、このまま自分は悲しみという冷たい雪に圧しつぶされてしまうんだろうか……と。
人生で初めて、自分の努力だけではどうにもならないことがあるのだと身をもって知りました。
それでもまだ奇跡を信じるかのように、わざわざクリスマスムード一色の華やいだ街に一人で出かけ、マッチ売りの少女の如く、心の灯に亡き子との楽しかったクリスマスの思い出を恐々と浮かべてみようとするけれど、すぐに涙で消えてしまいます。
そして、映画やドラマのような奇跡は起きませんでした。
あたりまえですが、生きては戻ってきません。
けれど……
雪で作られたスノーマンが街角にひょっこり。
📷写真は2017年12月さいたま新都心で。
涙も凍るような悲しいイルミネーション街でしたが、思い立って出かけなければ、このスノーマンを目にすることもなかったのでしょう。
実家の雪国では、冬休み帰省して、雪で遊ぶのが大好きな子でした。
おじいちゃんに作ってもらった小さな雪山で、夕暮れまでミニスキーで遊んでいました。
皮肉にも冷たい雪で作られたスノーマンが、暖炉のようにあたたかくて楽しかった思い出を呼び起こしてくれました。
小さな小さな小さな奇跡。
あの子からの贈り物のようにも思えて。
一緒に街を歩いてくれてるような気持ちになり、妙なことを考えずに無事家路につくことができたのを憶えています。
『苦しみ“増す”』には、ギリギリならずに済んだ一番辛かったあの冬。
死別した大切な人は、生きて戻らなくても、時々……はっとするようなことで傍に感じることがあります。
そんな、小さな小さな奇跡を見逃さないように、今日も。