3つの病
僕がまるでカウンセラーか何かであるかのように、僕の前では全てを打ち明け、時に涙を流しながら話をする友人や後輩がいる。
僕は全く嫌な気がしない。むしろ、人の話を聞くのは好きだし、自分なんかが悩み相談口になれるならいくらでも助けたいと思う。誰だって悩みはある。学校では明るいあの子も、他人では考えつかない苦悩を抱えていたりもする。
時々思うのは、僕にはそうやって話さない他の友人や全くの赤の他人らは、悩みの相談口をそれぞれ持っているのだろうか。僕が思うに、ほとんどの場合それが両親だったりするのだろう。親に話せないことだからこそ、僕に話してくれる人たちは僕に話すのかもしれない。
一方、僕はどうだ。人の話はよく聞くが、自分の悩みはというと、抱えていることの1割程度しか誰かに話したことがないように思える。無論、それも両親には話せず友人に少しずつ聞いてもらっている調子である。たまに話しすぎると、誰でもつまらなそうな顔をするので、聞いてもらえないことを悟って話を止める。
僕は話すと長いし、文章においても見ての通りだ。頭の中は考えごとでもっとごった返している。
正直、全部話を聞いてもらえる人がいることが理想ではあるのだけれど、自分でも自分の話はキリがなくて聞きたくないところだ。それを、人に押し付けるように話すことなど親じゃない限りできない。しかし、我が家はちょっとの悩みも相談できない状況だから、悩みだけが溜まっていくことになる。
どうにかしたいけど、どうにもならない。心の病になったとて、僕は理性が人一倍強いから、症状には出ないだろう。症状が見えないと、心の病は認めてもらえないのだろうか。否、症状が見えたとて、心の病を信じない人も一定数いる。生きづらい世の中だ。思っていること、感じていることも全てなど当然打ち明けることなどできないし、表現にだって限界がある。
そうして毎日苦悩しながら生きていたけれど(いや、今もしているのだけれど)、少しでも気を楽にしようと思い、強引な意識転換を試みた。
人は、生まれながらに少なくとも3つ、障害を持っているという。それが物理的に見えるものかどうかは人それぞれであるが、障害を幅広く捉えた時、実際そうなのだろう。それを個性と呼ぶのではないかと個人的には思うのだけれど、そこについては深く言及しないでおく。
自分にとって3つの障害(個性)何か、考えてみると面白い。人に中々理解してもらえない点であると定義付けると、恋愛観・人生観の2つは入るのかもしれない。3つ目はまだ思い付かない。睡眠の問題は後天性だし…
とにかく、既にそれだと思っている2つはもはや悩みの種の鉄板ではないか!
それに加え、僕は1日中考えていない時間がないと言えるほど、ずっと思考に囚われている(というか、これが障害か?)。何にしろ、人に話せない悩みが多いく、話す環境もないことがもはや僕の人生なのだ。
僕はこの病んだ心を、一生付き纏う3つの病からきていると諦めて過ごすことにしよう。
あわよくば、悩みを相談する代わりに、様々な形で苦悩を表現できる人になりたいものである。
これが、誰に制限されるものでもない、僕の自分らしい生き方だ。