東京作業記 december 2019
2020年3月東京&北九州、5月イギリスにて上演する『4.48 PSYCHOSIS』のクリエイション記⑵
Day18
この作業記を18日目から始めるかどうか、少し迷いがあったけれど、続いているクリエイションなので、18日目とすることにしました。滞在製作ではないので、住んでいる町や食事の写真を載せるのはなんだか恥ずかしいので、文字ばかりの作業誌になるなぁということを考えながら。
今日から、東京で5日間の集中ワークショップです。8月の英国滞在を経て、4カ月ぶりに集合した出演者(今日は滝本さんお休みで)3人と、台湾からコンテンポラリーダンサーの葉名樺(イェ・ミンファ)、今日は舞台監督の伊東龍彦さんも加わり第二期のクリエイションがスタートしました。
この間と言えば、各々いろんな舞台に参加していたのです。私自身も、多和田葉子さんの『夜ヒカル鶴の仮面』のリーディングを製作したり、その前には昨年のくにたちの多和田さん劇から誕生した市民劇団・チーム第三幕の『ロミオとジュリエット』を上演したりしていて、そのことを書きたい気持ちもあるけれど、でも、やっぱり作業日誌で現在進行形のことを書こう、それぞれのクリエイションは完全に独立し完結しているものではないけれど、ここでは日々のことを書いておこうと思いながら始めてみます。
久しぶりに顔を合わせたり、初めましてだったり、3月の東京&枝光での上演に向けて、また一歩(単純に時期的にも)近づいているわけですが、何と言っても「コンテンポラリー・パンク・オペラ」のベースを担う音楽です。鈴木光介さんの作曲はどんどん進み、ついに24曲中の22曲が姿ある形になっています。すべてが完成! はい、あとは歌うだけ! とは当然ならなくて、光介さんの音楽と、サラ・ケインのテキストと、そして私の演出ノートと、それを遊び場としてこれから砂遊びのようにつくって壊して、またつくってが始まります。今回の5日間はその遊びを始めること。夏のテキスト&ニーナ・ケインというフェイズからさらに音楽&ミンファという(光介さんのことばを借りるなら)マテリアルが増えている状態。この段階を経て、2月からはいよいよ“リハーサル”がスタートする。
まずは22曲を連続して一気に聞き通す。光介さん1人でつくってくれたデモは、光介さんのメインボーカルに、光介さんのハーモニーが重なり、さらに光介さんの1人オーケストラ×22曲。聞き終わると、光介さんの声が頭の中でぐーるぐる。なんとも幸せな脳内コンサートの後は、ミンファを囲んで池袋で一杯。
昨日読み終わったデボラ・E・リップシュタット『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い』(山本やよい訳、ハーバーBOOKS、2017年)。アメリカで現代ユダヤ史とホロコーストを教えているデボラ・リップシュタットと、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングとの法廷闘争を記録した“ノンフィクション”。そもそものきっかけはリップシュタット教授が、その著作の中でアーヴィング氏を「ホロコースト否定者」と呼んだことについて、アーヴィング氏が名誉棄損を訴えたことに始まります。これが1995年。ほぼランダムに選んだ読書が、思いもかけず1990年代のイギリスを背景にしていることにびっくりして、ああ、今この本を読まねばならなかったのか(と、大体思うんだけど)、思ったのでした。
500頁を越える作品の中でたった1頁分しか触れられていないけれども見過ごすことができない衝撃を受けたのは、著者が裁判中に観劇したマイケル・フレイン作『コペンハーゲン』の舞台について。1998年ロンドンのナショナル・シアターで初演を迎えている作品。リップシュタット教授がこの舞台を見て、フレインの戯曲の描く倫理的な考え方に困惑し、そしてフレインが参照した文献リストの中に訴訟中のアーヴィング氏の名前を見つけるという箇所(詳しくは同書p.244-245)。
本作の中では、『コペンハーゲン』で参照されたアーヴィング氏の著作をめぐる議論というのは直接的に出てきていなかったと思うし私自身それを検証できるほどの知識を持ち合わせていない。でも、ある歴史家が流布する影響力、歴史にかかわらずある事柄への考え方が伝わり、そして舞台という形でそれがまた人に伝えられていく、そのことにゾクッとしたのでした。しかも、“フィクション”というのは、その人間に思考のプロセスを与えるものだから。
なんていう話を帰りの電車の中で星羅としながら帰宅。東京でお稽古の日々は、電車の中で過ごす時間が有意義な読書タイム。
Day19
今日から4日間は、王子からバスで10分くらいのところにある北区の施設・ココキタでのお稽古。綺麗で感じがよくて、我が家からは少し遠いけど、移動中に作業が捗ることを考えるとすれば、これもよし。この期間中、前後になるべく予定を入れないようにして、東京レジデンスのような気持ちになっているんだけど、どうだろう?
ツアー中の光介さんが明日からはまたツアーに出てしまうので、前半は光介さんの音楽のワーク。好きな曲、1曲歌う、というお題。これ、考えてみればヘブデンブリッジでやっていたアナログカラオケの延長で、これもずっとやっていくエクササイズなのだろう。歌を歌うということ。
ミンファは台湾語の歌。音楽の時間はすべて逃げてきた! というミンファの声は、透明感のある綺麗な歌声。彼女が今回の舞台の上でどう歌っていくのか、それはもう楽しみなのであります。
それから我らがテナー・小野くん。「O sole mio」と中島みゆき「化粧」の2曲を歌ってくれる。ココキタの練習室いっぱいに小野くんの声が充満。これはもう物質的に声で満たされる、その中に人間がいる。人間は声の隙間(いや、もう少し浸食されつつある)っていうなかなかない体験。
ウォーミングアップからゆるゆると楽しみ始める稽古場です。
音楽の後半は、出来立てホヤホヤの『4.48 PSYCHOSIS』楽譜を見ながら練習。さて、いよいよこの作品をつくるためにかかる時間の多さを再認識。3月の初日を迎えるまでにやることが山のようにあるのです。
後半は、ミンファのワーク。体と空間の簡単なエクササイズのあとは、1人5分の即興。Day12ヘブデンブリッジでやったエクササイズとつながっている。こういうワークはそれ自体上手くなっても仕方がないと思うのだけど、コンテンポラリー・シアターをつくるための考え方のエクササイズとして有効だと思う。その意味では、今までこういうワークをやったことのなかった星羅や小野くんのアプローチが、夏よりもずっと大胆にある意味ではとても冷静になってきた。ひとりひとりの即興を丁寧に振り返るミンファのやり方、とても良いなぁ。
これらのワークを見ながら、テキストの読みを考えていた。サラ・ケインがどういうつもりで『4.48 PSYCHOSIS』を書いたのか。この作品は、個人的な遺書ではない。しかし、歴史との対峙の入口、問題設定がこれまで明確に見つかっていなかった。ドラマツルグレベルの話で。それが先週ついにはっきり分かった(と思う)。今、その裏を取るために資料を読み漁っているところなんだけど。
台本をパラパラめくっているとシーン19。ラバン理論を用いて書かれているフラグメント。ラバン理論についてニーナ・ケインに何度か話してもらって(そもそもこの場面がラバンを用いられていること自体が私には発見できないが、イギリスの観客であれば多くの人がわかるだろう、とニーナ)、このラバンの使い方については2017年のニーナとの横浜レジデンスの時から議論のタネになっているんだけど、これが、ついにつながったのであります(稽古を見ながら)! 戯曲の入口が明確にわかったことで、ラバン理論の引用の意味が戯曲内レベルではなくロジカルにつながっていた!! これは、早くニーナ・ケインに話さないと、私の頭が破裂してしまうかもしれない(笑)。
帰り道、3月の公演のパートナーであるPARADISE AIRから、事前のイベントについての連絡。詳細は後日。イギリスのニーナからは、東京でのクリエイション頑張ってねの激励メール。こうやっていろいろな人の助けをいただいてこの創作が成立することに感謝。
Day20
今年は暖冬だと聞くけれど、どうにも私には寒く感じられるこの12月。今日は暖かい1日で、陽射しの入るココキタは明るくて素敵なお稽古場です。
さて、今回の『4.48 PSYCHOSIS』はコンテンポラリー・パンク・オペラと謳っていますが、コンテンポラリー・パンク・オペラが何なのか、それは私もまだ見えないものを作るということなのです。とはいうものの、少しずつ、その「質」が見えてきています。見えるのは「質」であって「形」ではありません。
1年前にインタビューしていただいた時はこんな風にお話させていただいています。
多層的な言葉を聞いて欲しい――演出家・川口智子が語る4.48サイコシスのオペラ上演
ここから明らかに進化しているのは、今、私たちにはすでに曲があるということ。今日のお稽古で、言葉と歌の話をしていました。「言葉」なのか「音楽」なのか。小野くんの自分のお稽古方法を聞くと、かなり細かい言葉へのアプローチが、彼の歌の丁寧な言葉につながっているのだとよくわかります。これは短い時間でできることではないけれど、やっぱりこういう丁寧な作業がとても大事なんだと思います。
今回、鈴木光介さんと相談して、24のすべてのフラグメントに音楽でアプローチするというのは、これは本当に言うに易し、みたいな話で、光介さんの作業量、しかも初めてという英語での作曲、それはもうすごく大変な作業だと思いますけれど、やっぱり「全部」と決めてやったのがとってもよかったと思う。それは全編が音楽というだけじゃなくて、ご都合的にサラ・ケインのテキストを削らない、テキレジしないということ。中には、え、これ音楽にできるの? みたいな診療記録のようなものや、ただの数字の配列なんかも出てくる。光介さんは、言葉をきちんととらえて、音楽を生み出す。夏のイギリスの前に2人で吉祥寺のカフェでテキストの読み合わせをして、その作業が効いてくるなと思います。私自身も、リーディングでの読み、光介さんとの作業、さらに夏のニーナ・ケインとの読み込みがあって、今、また一人でその読み直しをしている。本当に長い時間をかけて、文字通り、テキストと向き合ってきています。でも、それは本当のリハーサルに入るまでの準備なんだけど。でも、この準備の段階で多くのことを共有できるのが、このプロジェクトの一番重要な部分。
その意味ではあと2日のこのお稽古場が終わると、2月の後半からいよいよ本当のお稽古が始まるので、そこまでにまだまだやらなければいけない作業はある。脳内のアドレナリンが出て、幸せな状態です。
リハーサルはゆるゆると進行し、王子で名樺と滝本さんとご飯を食べて本日終了。
Day21
このリハーサルがすでにのべ3週間となっていることに驚き。まあ、イギリス滞在については、往復の日程も作業日に入っているから、実質は2週間くらい。ここまでの時間は作品づくりに向けたワークショップ。焦らずに、じっくりと互いの手法を交換しながらベースづくり。今回の5日間も残すところ明日1日になって、本当にリハーサルで没頭して日々を過ごしているとあっという間です。
さて、今回の作品づくりに参加してくれている葉名樺(イェ・ミンファ)。振付家・ダンサーとして台湾をベースに活動をしています。名樺と出会ったのは去年の8月。ACCのグラントで日本に来ていた名樺。とある方が、名樺と私を引き合わせてくれたのでした。お互いのウェブで作品のビデオを見て興味を持ってはいたものの、会って何を話したらいいのかなと悩みつつ、ひとまず青山の銕仙会に能を一緒に見に行く約束をして能楽堂ではじめましてを迎えました。最初に一体何の話をしたのか記憶は曖昧だけど、能を見始める前に既に意気投合し、見終わって青山の居酒屋さんで2人で日本酒を飲み盛り上がり。その後、能楽師の鵜沢光さんと名樺とで一緒にワークショップ(というかシェアリングかな?)をしたり、私の稽古場に遊びに来てくれたりと、なんだかここまでしっくりくる関係も珍しいなと思いながら付き合いが始まったのです。
その後、『4.48 PSYCHOSIS』の最後のピースがはまったなという確信を持って名樺に出演を依頼し、6月には打ち合わせのために台北へ。そこで彼女のリハーサルを見て、その集中力の高さに本当に惚れ惚れとしたのでした。その名樺と一緒に今この稽古場をやっていることはとても嬉しいことです。
この間のワークショップは私もかなり即興的な稽古場の作り方をしているのだけど、その中でも名樺はかなり的確な球を打ち返してくれる。名樺がリードしてくれるワークと、私がヘブデンブリッジでやったワークとが接続したりするということが自然に起こっているので驚いていると、「こんなことは初めてやった」という。一番は、名樺の振り返りの丁寧さ。台北でのリハーサルを見ていても思ったけれど、かなり細かくしつこくエバリュエーションをする。しかも、パフォーマー当人の目線から。これは、私もやってみよう、と早速取り入れてみたりして。あと、とにかくずっと喋ってる。最初に会った時から、台湾に行った時も、今も、2人で並んでいると本当にずっと喋ってる。ま、お喋りっていうことですね、2人とも。
今回の稽古場は、作品の上演自体が英語になることもあるけれど、ドラマトゥルクのニーナ・ケインや、名樺がいるためにリハーサル言語はほぼ英語。ただ、思考をまとめる時は、日本語で話してから、英語で話してってした方が楽な時もあって、たまに暴走すると日本語でずーっと話し続けてしまう。そうすると、溜息ついて滝本さんが名樺の耳元で通訳し始める。小野君のワークの間は星羅、星羅が話してる時とか、まあ誰もやらない時は私が通訳して、とグルグルグルグル、立ち位置が変わりながら当たり前のように通訳をし合う。絶対的で香港チームとお稽古していた時もそうだけど、この状態自体がカオスで好き。ただ、お稽古がおわると異常にお腹が空いていることが多い。
それはさておき、いよいよ明日でこのフェイズは終わり。夏から長い時間をかけた“下準備”を納めます。
Day22
ついにこのフェイズが終了。UKレジデンスと5日間の王子でのワークショップ。材料集めは終わり。次の段階に進みます。
演劇、ダンス、現代音楽、オペラ、ミュージカルとそれぞれ違うバックグラウンドをもつ人が集まるクリエイションだからこそ、この段階をすっ飛ばして先に進むことはできない。だからこそ、今回のこの作業に辛抱強く、そして要求に応えてくれる5人の出演者に感謝を。
今、手元に置いてある1冊の本。今年の3月に出版され、友人に教えていただいた1冊。
ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄されたものたちの生』(桑島薫・水野友美子訳、みすず書房)。南ブラジルにある「ヴィータ」は社会に見殺しにされた人々が死とともに終わりを待つ施設。この本は、文化人類学者の著者がそこに暮らすカタリナという一人の女性との出会いと、彼女の生を記したもの。
一つの言葉が別の言葉を導いてきたんじゃない。言葉が思い出されたの。辞書ではほとんど使われていなかった、たぶん辞書には載っていなかった言葉が思い出されたのよ。それで、わたしがそれを書いたんだわ。(p.315)
カタリナは、「使われていなかった言葉を人間の言葉にするため」に辞書をつくる。
その辞書の言葉たちは、『4.48 PSYCHOSIS』と共振している。
指の間のペンはわたしのしごと
わたしは死刑宣告されている
誰も有罪宣告したことはない、わたしにはそうする力がある
これは重大な罪
救済なしの判決だ
自分の身体を精神から分離したい
そう願うのは
軽い罪 (p.479)
VITA、ラテン語で「生」を意味する。
そこはOTHERたちの場所。
昨年の今頃は『4.48 PSYCHOSIS』のテキスト・シェアリング版を仙台と横浜で上演していた。ニーナ・ケインとこの企画の話を本格的し始めたのが2017年の10月だからすでに2年の時がたった。少しずつ、少しずつ、『4.48 PSYCHOSIS』と今の距離が近くなっている。2020年3月、コンテンポラリー・パンク・オペラ『4.48 PSYCHOSIS』は幕を開けます。
みなさま、よいお年を。