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乱視に思うこと。

2019.12.20 23:10


検眼で思う『もしかして?』




目育士になってから、眼を通して

ひとの仕組みを学んで&発見しています。

  


光の波長(色)が姿勢や呼吸を調えることだとか、

感情や感覚、記憶にも影響すること。


 


検眼するようになって、

さらに学びが深まり、広がっています。


見え方に表れる思考や行動の傾向が

とっても興味深いです。

 



たとえば、乱視。


先日、近視も遠視もほぼなく

乱視のみ出ている方がいらっしゃいました。

 


カウンセリング…、ちょっとね、

しっくりきていないんだけど。

現状では一番当てはまる言葉なので使います。



カウンセリング中に、

内心考えていることとは違うけれども

社会的な関わりの中で選んでいる考えについて

お話してくださって。



問いを続けてみると、

非言語情報と言語情報に

差異があることがわかりました。



これ、わたし的アハ体験だったんです。



乱視はつくっている。
捉えにくいものを捉えるために、
角膜や水晶体の形を変えている。
乱視の場合、独自の思考を持つ傾向がある。


こんなことを学んでいたのだけれど、

もう少し奥がある気がしていたんです。

そのヒントになりました。


 


わたしが乱視の方と

お話していて感じるのは頭の良さ。

ショートカットが上手な印象。

回転が早い。器用。

ペース、リズムが独特。

自分の世界を持っている。






わたし自身の眼も変化していて。

淡路島に2週間滞在していたときと、

講座受講のため淡路島を再訪したとき。

右眼の乱視が明らかに上がっていました。


これがわりとショックで。

なぜならフラットにものをみるのが

わたしの特性だと思っていたから。

今はフラットではないのか、と思いました。



 

でも、やっぱりピンと来なくて

前回と今回の検眼の間、何を感じていたか

自分の中を探ってみました。



 

 

そうして前出のクライアントさんのことを

思い出したんです。



内心考えていることとは違うけれども
社会的な関わりの中で選んでいる考えについて
お話してくださって。

問いを続けてみると、
非言語情報と言語情報に
差異があることがわかりました。



そもそも検眼させていただいた数が少ないので

統計にはならないのですが、

これもひとつの事実です。



(非言語情報と言語情報を言い換えて)

感覚的情報と思考的情報の整合性をとるには、

双方に大きな違いがあると擦り合わせに

エネルギーを使います。



目の前にあるりんごを

バナナとして見ようとしたら?

相当無理がありますよね。

 


思わぬところで自ら人体実験になっていて、

つくづくからだって凄いなあと感じたのでした。




この話は今のところここまで。

乱視が悪いわけではないし、

凄いといって祀り上げることでもないし。



乱視なんだ、それで自分はどうしたいかな?

というところが大切で。



わたしの場合こうして書いてみて、

りんごはりんごとして、バナナはバナナとして

見たいと感じていることがわかりました。





今のわたしの眼を調べたら、

また何かがわかりそうです。



乱視レンズを入れることが出来なかったけれど

入れられるようになっているかもしれないし、

乱視度数が変わっているかもしれない。



眼は饒舌です。







また思うことがまとまったら書きます。


きたみ。


2021年5月19日、補足。



A非言語とB言語。

A感覚的情報とB思考的情報。


C理解までの間にある道=解釈。



AとBとの差異が大きければ大きいほどCも大きくなる。乱視はチャンネルが複数ある分、差異が生まれやすい、のかなー。ってね。

  


たとえば、差異がとてもとてもとても大きかったら。道がつながらないかもしれない。つながらなかったらBが起こりにくいかもしれない。


差異を縮めることができたらどうだろう?

道ができたり、あるいは道ができなくてもBが遠くに見えるかもしれない。


言葉が出にくい特性の方が持つ、先天性の強い乱視に対する眼鏡の可能性をおもう。



言語。発語。

運動性言語と乱視。

頭の形。乱視軸。目玉の形。

前と後ろを繋ぐ道。

身体感覚、ボディーイメージの発達。

後天的乱視は発達過程の予感。

聴覚優位の背景。