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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

壮麗帝の挑戦7-オスマン、プレヴェザ勝利

2019.12.18 02:27

チュニジアで敗北したスレイマンだが、対処は早かった。1536年には200隻の船を建造し、翌年地中海の西へ遠征を開始した。実はここにフランス大使が乗るはずだったのだ。ところが、フランスが皇帝カールと手打ちしたので、艦隊は行く先を変更し、エーゲ海へ向かった。

エーゲ海では、ヴェネツィアに属する島を襲撃、このためヴェネツィアは、教皇パウルス3世に対オスマン十字軍を要請した。カールはこれに応え、スペイン、神聖ローマ、ヴェネツィア連合海軍を結成、司令官はチュニス攻めに成功したアンドレア・ドーリアを据えた。

38年9月、連合艦隊は、コルフ島をヴェネツィア支配下に奪還し、オスマンの根拠地アルタ湾に向かった。連合艦隊は湾の入口のプレヴェザに到着したが、湾は入り口が狭く、奥が深いので、深入りは危険とみて撤退を始めた。

しかしユダヤ人海賊シナン・レイースは、湾の陰から撤退する連合艦隊に追跡を開始、レフカダ島沖で追いついた。連合艦隊は、反転して反撃に出ようとしたが、襲撃に追いつかず、何隻かの船がやられた。司令官ドーリアは、反撃を諦め、追撃をかわすことにした。結局プレヴェザの海戦は、被害はさほど大きくなかったが、キリスト教側に失望をもたらした。