Kii Peninsula 紀伊半島 12 (19/12/19) Kimiidera 紀三井寺
鰹節発祥の地 印南浦
紀三井寺
今日は長距離走行になる。紀伊田辺から一気に和歌山まで走る。この間に適当な宿が見つからず、朝早く出発する。90kmを越えほぼ100km程の長距離なので途中見学の余裕はあまり無いだろう。うまくいけば和歌山に日が暮れる前に着き、紀三井寺が見学できるかも知れない。
鰹節発祥の地 印南浦
たまたま休憩の為に国道沿いの公園に立ち寄ると、大きな看板で鰹節発祥の地と書いてあった。鰹節はてっきり土佐高知が元祖と思っていたが、ここ印南浦らしい。確かに紀州は商人や漁師の町が多く当時は海を交通基盤として各藩に商業活動をやっていた。今では鰹節は当たり前の食料だが、これをどの様な発想で作ったのか興味がある。
塩谷を通り
山間部へ。由良町畑と言う所。
180mの峠越え完了。
みかんで有名な有田市に入る。「ありた」ではなく「ありだ」だそうだ。今までありたと思っていた。みかん畑が多い。有田川に沿った国道脇には無人販売所がいっぱいあり、みかん10個で100円。ビタミン補給のため購入。
坂を上りそして下ると海南市。海南市の向こう側に見えるのは和歌山市。
和歌山に到着。まだ日没までは時間があるので、ここの名勝になっている紀三井寺に行く事にする。
紀三井寺
寺号は紀三井山金剛宝寺護国院。一般には紀三井寺の名の方が知られている。紀三井寺の始まりは古く、宝亀元年 (770年)、唐の為光が、名草山で金色の千手観音を見つけ、十一面観音像を彫ってその胎内仏として草堂を造って安置したと言われている。古くはこの一帯の広範囲に渡って寺領で勢力を持っていたが戦国時代に織田信長、豊臣秀吉の紀伊攻め、そして江戸時代になると徳川政権により寺領は縮小され、寺の活動に制限がつけられて以前様な勢力は失っていった。
紀三井寺は名草山の中腹にあり、室町時代中期の建立の山門の楼門をくぐると急な長い231段の階段がある。縁結びの階段で結縁坂と呼ばれているそうだ。
長い階段を登る途中の両脇には堂がいくつかある。
[普門院 (7鈴観音 写真上)と穀屋寺 (地蔵菩薩 写真下)]
[滝本院 (波切不動明王 写真上) と清浄水 (右下)] 紀三井寺の名のもとになったのが湧き水の井戸。紀三井寺の三井水と呼ばれ元々は清浄水、楊柳水、吉祥水の3つの湧き水があった。今でも昔から残っているのは清浄水で残りの二つは復旧整備している。
[松樹院 (身代り地蔵 写真上) と宝蔵院 (写真下)]
[仏塔] 階段を上り切ると、ここに来る途中から見えていた仏塔がある。2002年に建てられた鉄筋コンクリート造3階建の新仏殿で新しいもの。塔内にはこれも新しく作られたものだが高さ12mの木造千手観音立像 (大千手十一面観世音菩薩像) を安置している。100年後には立派な史跡になっているのだろう。
仏塔の上は展望台になっている。和歌山市内も臨める。そろそろ日暮れが近くなってきている。急いで残りを見学しなくては...
[六角堂 (上) と大師堂 (下)]
鐘楼は安土桃山時代に造られたものだが、当時の鐘は文禄・慶長の役の折に没収されて名護屋城のある筑後に移され現存しない。
[本堂 (観音堂)] 江戸時代宝暦9年 (1759年) の建立。秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、元は本尊としてここにあったが現在は裏手の大光明殿に移されている。
本堂の地下はちょっとした展示室となっている。
本堂の前には池
[大光明殿] 昭和58年 (1983年) に建てられ、仏像などの重要文化財の収蔵庫。この寺の始まりに関わる千手観音と十一面観音像が安置されている。
[多宝塔] 室町時代 文安6年 (1449年) の建築、三間二層多宝塔造。
その他の御堂
湧き水の小屋 (上) 清浄水と書かれていた。最初に見たものも清浄水と書かれていたのだが? 善寿院 (中) 講堂 (左下) 開山堂 (右下)
境内には多くの石仏があった。
帰りはなだらかな坂で下る。とはいえ結構急坂だが....
見終わった所で日が暮れそうだ。何とか日没まで見終わる事ができた。これから宿に向かう。明日は和歌山市内の史跡巡りだ。