ジェーンとジェームス/大塚智穂
先日、来日ツアーでオーストラリアから小豆島へ渡ってくれたジェーンとジェームスに、初めての小豆島を堪能してもらえるようにと、島の食材を使ってとてもシンプルなごはんを作りました。
・自家製味噌ときゅうり
・小豆島産いちじく
・自家製卵豆腐とグリーンレモンオリーブオイル
・小豆島産タコの柔らか茹で
・小豆島産アイナメの山椒葉入塩釜姿焼き
・たこ飯
・冷製すだち素麺(キリッと冷やした出汁に細口素麺)
2人はとても喜んでくれたようで、ごはんのお礼にと2人が私のためだけに歌を歌ってくれた。お料理が大好きなジェーンの妹、ジョーにプレゼントした歌で「Joʼs kitchen/ジョーのキッチン」。ジョーをチホのキッチンにして歌ってくれた。ごはんのお礼に歌をプレゼントしてもらったのは生まれて初めてで、なんだかホクホクした気持になって、とても特別な時間でした。
ジェーンの口からは、お話をしているかのように歌がこぼれ出る。だから、何気なく話をしていても、それが、歌なのか会話なのか分らない時があるくらい、とても自然。だから、ジェームスと話をしているだけなのに、ついつい耳を傾けてしまう。それくらい、スッと耳に入ってくるし彼女の発する音は心地が良い。演奏するジェームスは見た目からして(とっても大きくて包容力がすごい)そうなのだけど、ジェーンへの愛、家族への包み込むような大きな愛に満ちているのが分かる。とにかく二人の人柄が滲み出て、なんせ素晴らしい。
「英語の歌詞が分からないのがもどかしいけれど、二人の醸し出す素敵な空気、素晴らしい歌のがすごく伝わって、とても嬉しい!」と伝えてもらったら、歌詞の日本語訳を見せてくれた。すると、「ジョーのキッチン」のすぐ下に、たまたま目に付いた「Baking bread/パンを焼く」という歌詞。私も普段からパンを焼くし、彼らの朝ごはんに持ってきたパンも、さっき焼いたものなのと言うと、「パンを焼く」を歌ってくれた。
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『近頃私はパンを焼いている
シンプルなことのようかもしれないが
一言も喋らず一日を終える
そして私の家は甘い甘い香りに満たされる
シンプルなものは疲弊した世界の目を覚ます
近頃私は庭で種をまいている
それは私の骨をつくり、太陽の味がする
もっとおじいさんの話を聞けばよかったと思う
彼は種を蒔く人生しか知らなかったのだ
近頃私は何よりもまず歌を歌っている
今日が終わる前にやるべきことをせずに
とてもとても悲しいことである
日々が終わるまでに歌える歌が少ないのは
近頃私は玄関から愛が入ってくるのを見ている
私たちはパンを分け合い、歌を歌い、踊り、
満足するまで飲む そして夜明けがあなたを連れていくが
私たちがつくる愛はこの古い壁の中に今もある』
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日本語に訳してもらった歌詞を見ながら聞いていると、涙がとまらなくなっていた。歌っている二人を目の前にして、ボロボロと泣いてしまった。
6年前、実家のおじいさんが亡くなった。長男だったおじいさんは生きて戦争から帰って来て、牧師か医者か物書になりたいと思ったが、おじいさんのお父さん(ひいおじいさん)は「豆腐屋を継ぐ気がないなら家を出なさい」と言った。沖縄とフィリピン沖で戦死した2人の弟の事を思いながら3ヶ月ほどぼんやり考えごとをしながら過ごし、結果、豆腐屋になる事を決めた。それから病気で倒れるまで、毎日毎日ひたすら豆腐と向き合っていた人だった。趣味なんて後回し。仕事を引退したら読もうと思っている本が山程あったし、聞こうとしていたCDが沢山あった。それらは最期まで未開封のものがほとんどだった。病床(本人には病気のことを伝えていなかった)でおじいさんは、ベッドで横になりながら、今まで聞いたことのなかった昔の話やら、まどろみのなかで見た夢の話やら、色々な話を私にしてくれた。そうそう「豆腐屋だけは途絶えること無く続けて欲しい」とも言っていた。
さらに、数日前実家のおばあさんから電話があった。91歳の誕生日プレゼントが届いたとお礼の電話だった。その時おばあさんは私に言った。「私は豆腐屋に嫁に来て、同じ所で一生が終る。遠く離れた小豆島で充実した生活を送っているようで、おばあちゃんはそれが本当に嬉しいし、誇りに思えるし、生きがいだ。」と。
おじいさんとおばあさんは機械の無い時代から豆腐屋を切り盛りし、仕事一筋で生きてきた。一生懸命豆腐屋をやっていた。同じ土地で、ただひたすらに家族の為に仕事をし、家族皆でごはんを食べ、家族皆で子や孫を育てて命を繋いでゆく。今では私の両親が3代目をやり続け、私の姉夫婦が4代目として控えている。ただただひたすらにシンプルな暮し。でもそれが一番大切なことだと今なら分かる。おじいさんが亡くなった時、私は思った。「ごはんが美味しく食べられて、家族や友達がみんな健康で過ごせたら、あとはオマケのようなもんだ」と。
ジェーン&ジェームスの歌と演奏は、まさに「琴線に触れる」というやつだった。
小豆島でのライブ後の打ち上げは、送ってもらった実家の豆腐を食べてもらった。私が豆腐の中で一番美味しいと思っている実家の豆腐を、小豆島の御塩やお醤油で食べてもらった。ジェーンとジェームスは「Oishi~!!!」と目を大きく見開いて言ってくれた。「こんな美味しい豆腐は食べたことがない!素晴らしいね!これからもこんな美味しい豆腐を食べることはないと思う!送ってくれた家族にもお礼を伝えておいて。本当に美味しい!」多分…こんな感じの事を言っていたに違いない。笑
「パンを焼く」はMichael Kennedy/マイケル ケネディさんが作詞曲をされていて、あんまり素晴らしい歌だったのでジェーンは「歌ってもいいですか?」と本人に了承をもらったそうだ。残念ながらマイケルさんは亡くなってしまったが、彼の想いと共に今でも歌い続けている歌だった。ジェーンとジェームスは私の話を聞いて、マイケルの奥さんにその話を伝えたいと言ってくれた。更に「マイケルはきっとチホの料理好きだったと思うよ!」と。
出会えて良かったなあと、心から思えた2人だった。
マイケルにも豆腐を食べてもらいたかっな。
大塚智穂