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Kobayashi Shinpei / 小林晋平 Website

子供の教育で悩んでいる保護者のために:その2

2016.01.03 01:27

「成功体験があるとやる気がでる」のは確かなのですが,「頑張ったらテストの点数がアップした」からといってやる気が湧いてくるかというと必ずしもそうではありません.大切なのは「理解する喜び」を感じ,その先に世界が広がっていることが(おぼろげながらにも)見えたかどうかです.成績アップは,学んで何かを得ることのおまけに過ぎません.しかもテストは他人が作ったもの.他者からの承認システムです.頑張った結果として誰かに認めてもらえれば確かに嬉しいですが,それだけを目当てにしていたら誰も見ていないときには何もしないということにも繋がります.

このことは私たち大人も自分の仕事で考えてみればよくわかります.仕事が面白いことと給料に満足していることは,切り離すことはできないものの,決して同じことではないはずです.最もやる気が湧くのは仕事そのものが楽しいときであって,桁外れな報酬でもない限り,金銭的なことだけでやる気が湧くわけではありません.しかも,楽な仕事で給料が非常に良い場合ですら,次第にどうやって手を抜いておいしい思いをし続けるかの方に関心が向き始めます.人間は最も楽な方へと「最適化」を図ることに長けているので,仕事そのものへのやる気や情熱が失せていくかもしれないのです.まあ,そんなうまい話にはどこかに落とし穴があるでしょうし,ありもしない妄想話をしていても時間の無駄ですね.やめましょう.(この問題は,経済的に豊かになること,しかも楽をして豊かになることだけが人生の目標足り得るのかということにも繋がる重要な問題ではあります.子供たちにそう質問されたらどう答えるか,それがいけないわけではないのですが,何となく「うーん」と考え込んでしまいますよね.個人的には,相対的な評価の中で生きるというのは他人に人生を決められている感じがして,面白くないとは思います.)

自分が何をどう頑張ったから結果に繋がったか,そのメカニズムを理解している.そして自分の行為が結実する,これは面白いわけです.次はこんな方法を試してみようという気にもなります.逆に,頑張った結果儲けが良かったとしても,そのからくりがさっぱりわからず,人に言われるままにやっていただけだったとしたらどうでしょう.子供のように誰か褒めてくれる人がいるうちはいいですが,いい歳をした大人で「僕は褒められて伸びるタイプなんです」というのではちょっと困ります.仕事そのものに対してやる気が湧かないときついですよね.仕事が楽しくて仕方なくて,気がついたら給料も良かった,これが理想であることはほとんどの方が納得して下さるのではないでしょうか.

子供の勉強でも,努力したら点数が上がったときに感じる嬉しさと,新しいことを知って感動したり,自分の力で謎を解いて満足感を得たりしたときに感じる嬉しさは別物であることにまず注意する必要があります.さらに

・大人が,新しいことを知る喜びを知っている

・大人が,謎を自力で解く楽しみを知っている

・大人が,世界は広く,そして深いことに気づいている

ことが大切です.そうでなければ結局お子さんに「何のために勉強するの?」と尋ねられたときに,受験のため,就職のため,挙句の果てに「今やっておかないといつか痛い目に会うよ」という脅ししか言えなくなってしまいます.それでは先が暗くなるばかりです.その手のコメントは大人が「自分もあのときこうしていれば・・・」という後悔の念から発する言葉です.ということはつまり今の自分の境遇を嘆いているわけで,子供に向かって「自分は暗い未来のサンプルだ」と言っているようなものです.それはお子さんにとってあまりよい影響を与えないのではないでしょうか.ご自身の子どもの頃を思い出して下さい.しょぼくれて元気のない先生と,元気にあふれている先生,どっちに惹かれましたか.人生は厳しいですから,暗い顔になる日もあります.元気なだけでどうにでもなるわけでもありません.辛い時には他人の元気な表情を見るのが辛い時すらあります.しかし,全くの希望がなければ人は先に進めません.お先真っ暗では進めないんです.いくら子どもは大人より元気だと言っても,「こんな面白いことが世の中にはあふれてるんだよ」ということを伝えてあげなければ,いつか進めなくなってしまいます.生まれ持った能力だけでなく「モノの見方」が必要になる時がやってくるのです.

それを伝えるためには,私たち大人が「世界は,面白がることができる」ことを実感していなければいけません.「そんなこと言ったって,世の中そんなに簡単じゃない.それができれば苦労していない」と思う方も多いでしょう.もちろん私もそうです.過去の自分のことを考えると「自分に世界を面白がるなんてことができるのか.若い人たちに何かを伝える資格なんてあるのか」と思います.正直,消してしまいたい思い出もたくさんあるし,もしやり直せたら・・・ということも山ほどあります.しかし,よくよく考えてみると過去に何かがあったことと,今この場で何をするかは関係ないことのはずです.昨日の自分がしょぼかったとしても,今日頑張れない理由にはならない.それはそれ,これはこれなんです.自分にどれだけ後悔の念があったとしても,今これから学んで世界の広さ,深さを知ればいいだけのことではないでしょうか.逆に言えば,たとえ昔どれだけすごかったとしても,それはもう過ぎ去ったこと.今ではないんです.何よりお子さんの幸せを願ってそのために悪戦苦闘していること,素晴らしいことじゃないですか.それを出発点として今何かを為せばそれでいいんです.

ではどうやって,何を私たち大人は学んでいくのがよいのでしょう.例えば学校では,生きていく上で必要な力として,字の読み書きや簡単な計算の仕方を学びます.しかしそういった「役に立つ・立たない」という基準だけで学ぶ内容を吟味してしまうと壁に突き当たります.義務教育である中学ですら,日常生活で直接使うとは思えない内容を学んでいます.それらはそもそも何のためにあるのでしょう.そして次世代の教育にとって本当に必要なコンテンツは何になるのでしょう.このあたりを,学ぶことの意味に絡めながら掘り下げていきたいと思います.