命の価値観
こんにちわ。かやです。仕事の都合でブログを書かないといけないので是非読んでください。あんま文を書くのは得意じゃないけど、
まぁ折角なので僕の経験にもとずいて面白い話をできればと思っとります。少し御時間を頂ければ嬉しいです。
先日ウガンダという国で運動会を開催しました。激アツ最高の盛り上がりでした。ここまでの道のりをゆるーく少し説明させてください。
俺は21年間でこれといって自慢できることは何一つありません。強いていうならバイト頑張れるくらいです。中学時代はサッカーに明け暮れ勉強もまともにしてきませんでした。高校に進学してもバイトと遊びでてきとーに過ごしてしょっちゅう怒られて、いろんな人を傷付け、本当にクズ人間でした。
でもずっっっとサッカーのコーチになってガキんちょと戯れるという夢はありました。
通知表は2のオンパレードだったけど心から大好きな人がいて、めっちゃ尊敬する先生に出会い、毎年のように面白くて最高な仲間が増えていって結局、自分自身クズなまま義務教育を遊んで終えました。
高校卒業してサッカーと教育について真剣に勉強しようって思った時に、テレビでNHKの番組を見て「学校を知らない子ども達」的なことを放送してて、マジで可哀想というか勿体ねぇなぁーー。。って思ってました。
小中校と12年間毎年あった体育祭とか文化祭が無い1年を過ごしたときに、俺って学校行事好きだったんだなぁって思ったんよ。きもいよね。恥ずかしいよね。
んで、暇だから体育祭やっちゃおう!って思ったときにあの「学校を知らない」ってパワーワードがぶわぁって浮かんできたんよね。もちろんこの時はどーやって人を集めるとか費用がいくらかとか考えてないよ。ばかだから。
コーチの勉強しながら、ウガンダで運動会したらくそ楽しそうじゃね?!っていうめちゃくちゃばかなプランが完成しました。まぁただ運動会をしたいだけだったけど。
んで月日が流れいざウガンダに行く前日何を持って行けば良いのか考えてる時に一番最初に手に取ったのがサッカーボールでした。(ウガンダに入国する際は色々手続きが必要でその辺は調べてたから終えてました。)
なんとかなるだろう精神でリュック1個に持ち物は
ボール パスポート 財布 ケータイ カメラ 予防接種証明書 です。
ちなみに言語はスワヒリ語と英語で地域によって違うらしい。
ウガンダに着いたときに気づいたんだけどホテル取ってなかったんよね。どこ行くかも決めてなかったんよね。だから近くのおっちゃんに声かけてトラックで英語圏の田舎の方まで連れてってもらいました。
まっっじで何もない。キレそうなくらい何もねえ!!!!!
ちょっと歩いてたら大大大草原で三人で遊んでる男か女か分からない子供に「Let's play football !」って言ったらまぁ嬉しそうにはしゃいでくれました。一人がどっか走って行って5分くらいしたら15人くらいの子供&大人が押し寄せてきて殺されるかと思いました。大人はめちゃくちゃ俺に警戒してたけど10分もしないうちにサッカー大会が始まってました。サッカーボール持ってきたの大正解。
端から見たら変質者だけどね。
まぁなんやかんやでヌアン君って子のお家に泊めさせて貰うことにしました。マジきったねえ家でした。13人家族の末っ子で超可愛い。家族よりハエの方が多かったかな。まぁ1週間くらい泊めてもらいました。
ヌアンと俺はずっっと一緒にいました。食べ物や飲み物も、半分こしてくれる優しい子です。俺が、サッカーのコーチをしてることを話したら、この村でサッカースクールを開いてよ!って言ってくれました。メッシみたいな凄い選手になりたいんだって。
良い夢だ。必ずスクールをやるとヌアンと約束しました。
ヌアンのお母さんお父さんもめちゃくちゃいい人で毎日何色か分からない、味のないスープとバチくそ美味しい鶏肉のステーキをご馳走してくれました。たまにハエ止まるけど。ほんっとに最高なおもてなしでした。
本当に最高な家族で毎日こんなに楽しいなら学校いらんやろって思いました。
ヌアンの親友のヴェロンやマケヤイとも仲良くなって、毎日木登りや、鬼ごっことかして遊びました。最高のスタート。
そんなこんなでコーチの勉強とかいろいろあって一ヶ月後くらいにまた同じ村に行きました。イギリスのスポーツショップからサッカーシューズを大量に寄付してもらってヌアンの好きなメッシのユニフォームも持っていきました。
村に着くと大勢の人が温かく迎えてくれました。サッカーシューズを一人一人に配り終えた後にヌアンがいないことに気づいたんよね。マケヤイに聞いたら
「二週間前に死んだよ」
ウガンダ流の渾身のボケかと思ったけどマケヤイのことばに小さく頷くヌアンの母ちゃん。後々聞いたら餓死とのこと。
もし俺が一週間も滞在してなかったらヌアンはまだまだ生きれたかもしれない。メッシのプレーをもっと見れたかもしれない。俺がヌアンを苦しめたのかなってそんなネガティブな気持ちになりました。
親友のヌアンが死んだというのになに食わぬ顔でヘラヘラしてる子供達が不思議過ぎて、お母さんもお父さんも兄弟達もそこまで悲しそうでは無いようにも感じたんよね。
俺がガン萎えしてる雰囲気を悟ったのかヌアンの父ちゃんが「なんでお前が一番悲しんでるんだ」って聞かれました。いやいやあんた達がヘラヘラし過ぎやでって伝えました。
「そりゃ死んだ日は悲しいよ。日がくれるまで泣いた。次の日に太陽が昇ったと言うことはヌアンが植物を与えてくれてる証拠だろ。違うか?」的なことを言ってたと思う。ちょっと難しかった。
自分の息子の死をすぐに切り替えれるあたり、そして太陽と植物に照らし合わせる感じ。この国ではそうなのかと無理やり納得せざるを得ませんでした。
次は誰が死ぬんだろう。この村にお世話になり続けていいのだろうか。夜になるたび思いました。日本では経験した事のない感情でした。
ヌアンが提案してくれたサッカースクールは45人4歳~17歳の子供達が来てくれました。この村にこんなに子供がいたのかってビックリした。
そこで俺はこんな疑問を投げ掛けました。
「学校行きたい?」
ほとんどの子供が頷きました。特に10歳~上の子達は勉強がしたいと。話せるけど読めない。書けない。学校は値段が高いから行けない。学校いくなら食料を確保する。
テレビで見た映像と全く同じだった。次はサッカースクールと英語の授業をしようと決めました。
イギリスに帰ってこの出来事を知り合いのコーチに伝えたら「最高にナイスガイやなお前。俺も参加させてくれ」って言ってくれました。
こいつがセルシオっていうんだけどマジでナイスガイなんよ。
こいつも少しボランティア系のことやってて、セルシオを中心にめちゃくちゃ沢山の人とイギリスの小さなスポーツ会社(Sports Direct 以下スポダイ)協力のもと本格的にウガンダ運動会計画が形になりました。恐るべしセルシオの人脈。
第二回サッカースクールでは年齢別に分けて俺は6,7,8,歳を担当して、セルシオは9,10,11,12その他沢山のコーチが各年代を担当してくれました。スポダイ協力のため綺麗な水とスポーツウェアの支給もありました。
子供から大人まで参加して午後には青空英語教室開講。セルシオの授業は「英語の読み書き」これ大ウケで大人気。俺は生徒全員に読み書きができる絵本とペンを配りました。
この時俺はヌアンのママをはじめ、何人か子どもが減っていることに気づきました。嫌な予感がした。
人が死ぬことが当たり前になっているから、いちいちリアクションを取らない。多分そんなとこだろう。
そこで俺は「命」について俺の考えを授業形式で話しました。
命より大事なものは何?
この質問を生徒に投げ掛けました。すると
「水」「果物」「肉」「太陽」「植物」
色んな答えがでてきました。
死ぬのは怖い?友達が死んだら悲しい?
こんな質問にも予想外のアンサーが帰ってきました。
死ぬのは嫌だけどこわくない。
死んだ人を悲しむより明日自分が生きることを考えなければいけない。
一番衝撃を受けたアンサーがこれ。
「生きる事の方が死ぬより辛いし難しい。」
これらの意見を聞いたときに、ヌアンパパの太陽と植物があーだこーだっていう言葉を思い出しました。俺はこの授業で「命より大事なものはない」と言うことを伝えたかったけど、果たして本当にそうだろうか。生きることを押し付けていいのだろうか。
俺の授業は俺がこの国の生き方を学ぶ時間になりました。「短い命を楽しむ」ならいっそう運動会をやってあげようと。一人でも多くの人に経験してもらおうと思いました。
結局トータル5回の授業を半年に渡って行いました。セルシオ先生大人気でしたね。
運動会の日程も抑えてスポダイからゼッケンや大縄など多くの用具を提供してもらって、俺はポスターを作ってセルシオは、ポスターを隣町まで走って配ってくれました。
それがこれ
かっけぇっしょ。高校時代の写真もちゃっかり入れてます。許してー。
運動会バカ盛り上がった。最高だった。
リレーや障害物競争。綱引き、玉入れ、椅子取りゲーム、バスケ、サッカー。俺も本気でやりました。
最後に村長がスピーチをしてくれました。適当に日本語訳してそのまんま書きます。
「今日はマジで楽しかった。長いこと平凡な生活をしてたから今日の一日が本当に濃いものになった。ありがとう。Kaya's Children悪くねぇ名前だ。お前らに出逢えて本当によかった。この村では沢山の人が毎日のように死ぬんだ。病気や飢餓に苦しんだり、時には動物に襲われることもある。決して大きな村じゃないから、いつ、どこで、誰が死んだかすぐわかる。昨日も一昨日も小さな命が亡くなった。しかし、これまで以上に多くの人がいつもより悲しんだ。それはこの運動会を全員が楽しみにしていたからだ。そして今日は一人も死ななかった。以前、カヤとセルシオの授業で、「命」について意見を交換したよな。私の意見は命より大切なものは水でも太陽でもない。楽しみだ。楽しみなことがあるから頑張れる。楽しみがあるから死にたくない。楽しみがあるから明日も生きたい。死にたくない。死にたくないから、誰かが死んだら悲しいんだ。今日どれだけの人が生きてて良かったと思っただろうか。海を越えて来てくれた彼らが我々を生かしてくれた。明日も生きよう。明日の朝日を楽しみに生きよう。」
俺は涙とは程遠い人生を送ってきたけどこの時は、息が出来ないくらい泣いてしまったな。
最後に運動会主催者として、体育委員長として俺もスピーチをさせて頂きました。
「今日は来てくれてありがとう。生きる事が死ぬことより辛いって言葉を聞いたとき、価値観の違いを感じました。日本では「命」は世の中でいっちゃん大事なものとして教わります。でもそれは教育が充実してて、好きなご飯を好きなだけ食べれて、明日生きてることが当たり前だからそう教わるんだと思います。
でも君らは違う。生きることに必死で時に死ぬことに怯えてストレスフルな毎日を送っている。俺はそんなことを知らずに生きることを押し付けようとしてしまった。申し訳ない。生きるのが辛いなら死ねばいい。俺はそれを止めない。でも君らは生きていたから今日の運動会ができたんだ。生きていれば仲間ができる。生きていれば勉強ができる。生きていればサッカーができる。生きていれば恋愛ができる。死ぬときに周りがすっげぇ悲しむくらい濃い生活を送ってほしい。君達は一人じゃない。少なくとも俺とセルシオや他のメンバー達は仲間だ。
そして、実は学校は勉強するところじゃないんだ。仲間とはしゃいで恋をしてドキドキするところ。君達は学校に行かなくてもこんなにバカみてえにはしゃげる仲間がいる。愛嬌のある女の子がいる。ついでに配布した絵本でみんなで一緒に勉強する。勉強は、はしゃぐついでにやるんだ。それが学校だ。」
俺は頭悪いし成績優秀でもなかったけど、高校生活が楽しかったのは最高な仲間とバカなことして、時には好きな子の前で格好つけたり、時にはビックリするほど怒られたり。そんな日常にどっぷりハマっていたからだと思ってる。村には学校という施設はないけど、空気感はあの頃の懐かしい感じがあった。だから学校に行かなくても、学校みたいな生活を送れていることを気付かせてあげたかった。もちろん勉強も大事だけど。
軽い気持ちで始めた運動会がこんなにも一つの村に生きる勇気を与えれるとは思ってませんでした。
今誰が生きてるかはわからないけど彼らが救われる日が来ることを願ってます。協力してくれた仲間達、日本から連絡してくれた仲間達本当にありがとう。くそ長くなっちゃったけど最後まで読んでくれた誰かになんか良い感じなものが残れば嬉しいです。
最後まで読んだ人の集中力すごいね。
暇なのかな。笑
ありがとう。
Baka&Peace かや