いざ京都へ ② 浪人時代
体勢は整った。
長女はネムちゃんの不在が淋しくて
毎日写真を送ってと言う。
勉強は家庭教師のN先生のおかげで
感覚で捉えていた設問に
理論的に考えて答える力がついてきた。
時には感情的になってしまう長女に
とても粘り強く対応してくださった。
長女の中で感覚を言葉にしていく
作業が行われているようだった。
そんな中、
長女は12月の直前模試に寝坊した。
すでに朝型の勉強の習慣をつけるために
N先生は朝7時に長女の近所の
ファミレスで授業をされたりして
工夫してくださっていたが、
長女は緊張すると眠れなくなり
朝が本当に起きれなくなる。
今までも何度かそういうことが
起きていた。
N先生からセンター前日から
我が家に泊めます、と申し出を受けた。
「京都はセンターの日には
雪が積もることがよくあります。
交通機関も麻痺するし、
寝坊したりしたら致命傷です。
一人暮らしのお子さんには
そういう世話もしてきていますので、
自分にとっては特別なことではないので、
心配されないでください」
と、おっしゃる。
ありがたかった。
当日寝坊して間に合わなければ
1年間が無駄になってしまいかねない。
ここまでしていただけるとは、
感謝につきない。
12月に同じ京都の私立の試験も受けた。
特待生募集に
一般生として合格した。
特待生として受からないのは
後の本番にもなかなか厳しいところだ。
一応入学金を支払っておいたほうが
良さそうだと思った。
ところが長女は
「本命に落ちても、そこに行くつもりは
ないから払わななくてもいい。
払ったことを盾に取られるのも嫌だし、
気の迷いで行こうと思って
しまうのも嫌だ。」
と言って、手続きの書類も一切見せなかった。
まさに退路を経つとはこのことだ。
潔いと言えば潔いのだが。
確かに公立の志望校に比べれば
学費も2倍以上だし、
行きたくない学校に無理に行かせても
続くかどうかもわからない。
ただ、まだ厳しい状況なんだ、と
胃が痛くなる。
センターもだが、
まだ実技的にも難しいのかも。
その先はあまり考えたくなかった。
N先生の予想通りセンターの日は
雪が10センチくらい積もった。
温かい朝食をいただいて
朝7時前には家を出て
車で会場まで送ってくださった。
途中の景色の写真を送ってくれたが
銀世界だった。
そんな厚遇を受けながらも
1日目の英語の試験で
失敗したらしい。
自信がなくても
今日は自己採点するな、
と言われたのに
心配で採点したら
得意な英語で予想より
点が取れてなかったらしく
翌日は泣きはらした目で
受験した。
センターの得点自体は
昨年よりは上がっていたが
学科の合格ラインギリギリで
技術点の点数を補えるほどの点数
ではなかった。
二次試験の実技の負担が大きくなった。
ここからは毎日がまた3つの課題とだけ
向き合う日々だった。
二次試験を終えて
ヘトヘトになった長女は
発表までの間
地元に戻ってきた。
ネムちゃんに会いたかったし、
のんびりゆっくりしたかった。
ところがネムちゃんは
長女のことはキレイさっぱり
忘れていた。
長女が抱擁しようとすると
逃げて回った。
臆病だから、追いかけられるのが
苦手だった。
しまいにはフーッと毛を逆立てた。
どんな動物とも
仲良くなれると自負してきた
長女にはショックだったが、
あの手この手で復縁を試みていた。
そんなふうに
何気ない数日間を
ゆっくり過ごしていた。
そして発表の日。
京都にいる同じ予備校の友達に
発表の結果を
連絡してもらうことになっていた。
ネットの発表より掲示のほうが
1時間早いからだ。
ところが時間を30分過ぎても
連絡がない。
親子でドキドキする。
待ちくたびれて友達に
電話をしてみた。
その友達も長女も不合格だった。
友達もショックで
電話をかけれなかったようだ。
呆然とした。
長女は自分は危ない、
と思っていたが
友達が不合格になるとは
思っていなかったらしく
だからこそ
連絡を頼んでいた。
その友達は私立の特待にも合格していた。
でも友達は迷っていた。
予備校の数人しかいない友達のうち
1人は合格した。
1人は私立に行くことを決めた。
連絡を頼んだ友達は保留だ。
長女は
「1人で二浪かぁ。キツイな。」
「あーーー。本当に落ちたんか〜」
「もう1年同じこと、やれるかな。。」
ある程度覚悟はしてたいたのか
悲しさより、悔しさをにじませていた。
なんとも声のかけようもなかったし、
わたし自身も
この浪人生活があと1年続くことに
いろんな不安が渦巻いていた。
経済的なことはもちろん、
この1年ほぼ毎日
ラインと電話で励まし続けてきた。
夜の10時頃から始まる
電話かラインで
40分くらいやりとりしていた。
そして、時には新鮮な野菜や果物、
体調が悪い時には
おかずも作って送っていた。
それがもう1年。
わたしも深いため息が
出そうだった。
しかし本人の方が辛いのは
間違いないので
ここはせめて、普通に振る舞わねば。
保留にしていた友達から
連絡が入った。
「来年◯ちゃんがあの大学に合格したら
わたしも絶対後悔しそうだから、
あと1年頑張る。
一緒に浪人しよう!」
びっくりした。
特待生で私立に合格しているのに?
親ごさんは反対されなかったのかな。
そこまでして、行きたい大学なんだ。
そんなに強い想いで
大学を選ぶんだ。
大学に選ばれるのでなく
大学を選ぶ。
好きな道を選ぶこと、
そのためにどこで学ぶのかを
こだわる。
そんな強いこだわりを
持ったことがなかった。
2年もかけて
チャレンジしようとする
その勇気と根性に
尊敬の念を抱いた。
しかし。
二浪目は次女の高校受験と同じ年。
つまり受験生2人。
その翌年は息子の大学受験だ。
いつまでものチャレンジには付き合えない。
そこだけははっきり伝えよう。
2週間、地元でゆっくり過ごした。
大学生になっている友達にも会い、
成人式の着物を決めるのに
付き添って
一緒に着物を着せてもらった。
嬉しそうな写メが送ってきた。
来年の成人式には出れないけど、
合格したら、
家族で成人式をしようね、と話した。
帰る前の日、
この一年は次女も受験生だから
昨年までと同じような
応援はできないし、
その翌年は息子の大学受験である。
あなたの大学へのチャレンジは
この1年で終わりです。
来年は必ずどこかの大学に入学するか、
大学に行かないならそれなりの
道を捜すことを約束すること。
この大変な道を選んだことと、
諦めずにチャレンジすることには
お父さんもお母さんも
敬意をはらっているし、
できるだけ応援しようと思っている。
ただ費用面でもとても負担が
大きいことも自覚してほしい。
それでも公立の大学に合格してくれれば
家計的にはとても助かるから
頑張ってください。
と、伝えた。
長女も納得して、京都に向かった。
1年の過ごし方がわかっているだけに
意気揚々ではなかったが。
二浪目の覚悟をもって
再び、
いざ京都へ。
搭乗口に消える長女の背中は
少し大人びていた。
この年、長女は二十歳になった。